内容へスキップ
エヌエヌ生命 / Mauritshuis Special Selection 2026 マウリッツハイス美術館 絵画コレクション

Mauritshuis Special Selection 2026
マウリッツハイス美術館 絵画コレクション

マウリッツハイス美術館から厳選したコレクションの絵画解説を掲載しています。

絵画解説

Jan
Feb
Mar
Apr
May
Jun
Jul
Aug
Sep
Oct
Nov
Dec

ヘリット・ベルクヘイデ「デン・ハーグ、バウテンホフから見たホフ池付近の狩りの一団」 1685年―1690年頃
油彩・カンヴァス

この作品に描かれた風景は、ウィレム5世ギャラリーから見える眺めそのものです。ホフ池とビネンホフの建物が広がり、右側には政府官庁が見えます。端にある施設はオランダ総督の居住区です。左側の背景に、マウリッツハイスもちらりと見えます。6頭の馬に引かれた大型馬車が通り過ぎていきます。馬車の中にはオランダ総督ウィレム3世も描かれていると思われますが、これは、右手前の人物が、帽子を脱いで敬意を表していることからも分かります。一団の先頭を進んでいる馬上の人物の手には、鷹が止まっています。この集団は明らかに狩りに出かけるところであると分かります。


ヘリット・ベルクヘイデ(1638年―1698年)は、ほぼ都市景観画のみを描きました。特に自身が住んでいたハールレム、アムステルダム、デン・ハーグを題材に選びました。人物は、ヨハネス・リンゲルバッハまたはヤン・ファン・フュヒテンブルフが代わりに描くことが多く、ハールレムではおしゃべりをする町人、アムステルダムでは異国の商人、デン・ハーグでは狩人など、描く町によってさまざまでした。この作品では、昼の明るい太陽に照らされたホフ池の風景を細かなディテールまで描いています。実際に見たものを正確に再現しているような印象を受けますが、当時はこのような風景は実在しませんでした。現実には、通りとホフ池の間に家が立ち並んでおり、取り壊されたのは1923年になってからのことです。


(マウリッツハイス美術館カタログより引用)

アドリアーン・コールテ「苺のある静物」 1705年
油彩・紙を貼った板

このアドリアーン・コールテ作の苺の静物画は、簡潔な秀作です。葉書より一回り大きいだけの非常に小さいサイズで、図案は極めてシンプルです。石造りの台座に苺が無造作に積まれ、台座の端から2個の苺がこうべを垂れ、山積みの苺の中央から白い花が1本まっすぐに立ち上がっています。コールテは、苺の上から光を当てて赤い苺と白い花を暗い背景から際立たせることで、シンプルな構図に繊細な気品を与えています。苺は食することができそうなほど写実的です。赤い苺の上にある小さな白い点は、苺の特徴的な質感をとらえています。


コールテの生涯についてはほとんど情報がなく、生没年も不明です。制作年を記した彼の作品から、その活動時期が1683年から1707年であり、拠点はおそらくミデルブルフであったことが推測できます。コールテの専門は静物画でした。現時点でコールテ作の絵画は約65点あることが判明していますが、失われたと思われていた作品の存在が明らかになることが時々あります。コールテの構図には、繰り返し登場する要素があります。例えば、石造りの台座や卓上に1種類の果物か野菜、または様々な種類の貝殻が積み重ねられており、常に暗い背景を配して描かれています。他の大半のコールテ作品と同様に、この小さい静物画も画板に貼り付けた紙に描かれています。彼と同時期の画家の中で、控えめな題材の静物をこれほどまでに上質に描き出した人物は他にいないでしょう。


(マウリッツハイス美術館カタログより引用)

ヨハネス・フェルメール「ディアナとニンフたち」 1653―1654年頃
油彩・カンヴァス

フェルメールが画家の活動を始めたのは、1654年頃です。初期の作品は歴史画で、聖書や神話の場面を描いていました。作品はアムステルダムとユトレヒトの画家の影響を受けています。これらの画家の作品は、フェルメールの義母が小さなコレクションとして所有していたため、毎日見ることができたのです。歴史画を描くには、多くの知識と考察が必要でした。そのため、実際の生活を模した風景、肖像画、静物よりも印象的だと見なされました。


女神ディアナはニンフたちと休息を取っています。ディアナは狩猟と夜の女神であり、このことは、彼女の足元にいる猟犬と彼女の額の月からもわかります。この夢のような雰囲気は、フェルメールの作品に典型的なものです。


(マウリッツハイス美術館公式ホームページより引用)

ヤン・ダヴィス・デ・ヘーム「花瓶の花」 1670年頃
油彩:カンヴァス

この花の静物画で、ヤン・ダヴィス・デ・ヘーム(1606年―1683/4年)は豊かさを描こうとしていたと思われます。花々がカンヴァス全体を覆いつくし、背景の暗さが一層あざやかな色を際立たせています。この作品は、ボスハールトなど、17世紀初頭に描かれた花の静物画とはまったく違います。これまでの整然と並べられた花々と比べて、この作品が強調しているのは「色の爆発」です。


巨大な花々は花瓶の縁を覆うように垂れ下がり、花だけでなく、麦の穂や、アプリコット、桑の実、白スグリ、さくらんぼなどの果物も混ざっています。気前が良いことで知られたデ・ヘームらしく、作品内にはさまざまな生き物も描き込まれています。美しく目立つ蝶、カタツムリ、芋虫のほか、蟻、ハサミムシ、ガガンボなどの小さな虫を含め、少なくとも12種類の生き物が描かれています。


デ・ヘームは、17世紀後半、最も影響力のあった花の画家と言われています。一時期は、ユトレヒトとアントウェルペンの両方を行き来し、地味で控えめな北部と静物画家と、豪快で華やかな南部の画家の間の橋渡し役を果たしました。絵の中に描きこまれた小さなディテールによって、デ・ヘームの作業場の様子がわかります。花瓶の表面には、工房の窓と2つのオブジェ(窓枠に置かれた1本の瓶)が映っています。おそらくこの中には、画材を凝固させるために使う亜麻仁油が入っており、日光に当てて漂白していたのでしょう。


(マウリッツハイス美術館カタログより引用)

ヘンドリック・ファン・ステーンウィック・ザ・ヤンガー「想像上の建物が描かれた広場」 1614年
油彩・銅板

こちらの絵画は、マウリッツハイス美術館による解説が非公開となっています。

ヨハネス・フェルメール「真珠の耳飾りの少女」 1665年頃
油彩・板

この少女は、頭を少し傾けて肩越しに絵の外の鑑賞者をまっすぐに見つめています。青みがかった灰色の目はきらめき、口元は少し開き、唇は艶やかに湿っています。黄色と青色の2本の布がターバンのように彼女の頭に巻き付けられています。耳元にぶら下がっているのは真珠の耳飾りです。構図中央に極めて印象的に配置されたこの大きすぎる装飾品が、ヨハネス・フェルメール(1632年―1675年)のこの作品名の由来となっています。本物の真珠だと考えるにはサイズが大き過ぎます。おそらくガラス製の「真珠風」の飾り玉にニスを塗ってつや消ししたものか、フェルメールの想像の産物かもしれません。


この絵はフェルメールの妙技が光る代表例です。少女の穏やかな顔は緻密に細部まで作り込むことなく穏やかな色調変化と筆跡を残さない筆使いでやんわりと描き上げています。彼女の衣服はさらにゆったりと描かれており、フェルメールの特徴とも言える反射光を表現した小さい点描が生気をもたらしています。その一方で、様々な材質が明確に描き分けられています。例えば、白い襟で用いられている分厚い筆使いは、乾燥したターバンの塗り方とかなり異なっています。フェルメールはこのターバンに非常に高価な顔料のウルトラマリンブルーを使用しました。しかしながら、やはり最も際立つ特徴は、数回の筆遣いだけで描かれたこの真珠です。左上には明るいハイライト部が施され、下方には白い襟がぼやけて映り込んでいます。


17世紀当時のオランダの少女は一般的にはターバンを着用していませんでした。フェルメールは絵のモデルをエキゾチックな東洋風に仕立てるためにこの装飾品を使いました。レンブラントはこのような絵を多数制作しており、それらはトローニーと呼ばれました。トローニーは人物にできる限り忠実に似せて描くことを意図していなかったため、肖像画とみなすことはできません。おそらく実在の人物を描いていたと思われますが、トローニーは主に人物の特徴やタイプをとらえて習作することが目的でした。


(マウリッツハイス美術館カタログより引用)

サロモン・ファン・ロイスダール「教会と渡し舟のある川の風景」 1649年
油彩・板

サロモン・ファン・ロイスダール(1600/3年―1670年)は、下線、池、干拓地、教会の塔など、オランダの緑豊かな低地景観を描き出した秀逸な画家です。50年近くに及ぶ長い画家活動のなかで、彼の多数の作品を手掛けており、季節ごとに干拓地をあらゆる側面から描きました。サロモン・ファン・ロイスダールは、有名な風景画家ヤーコプ・ファン・ロイスダールの叔父であり教師でした。彼は画家であっただけでなく、ハールレムの漂白場で用いられていた青み剤の取引を行う事業家でもありました。


サロモン・ファン・ロイスダールの代表作である1649年作のこの作品は、彼の絶頂期に描かれたものです。構図上の空間は非常に立体的で説得力があり、この景観の奥に向かって斜めに流れる川と水面に寄りかかる岸辺の気が大きな役割を果たし、川の流れが絵の鑑賞者の視線を同じ対角線に導いています。この動きは、上空に平行に描かれた一連の雲の筋によってさらに強められています。また、客と牛を載せた渡り舟や帆船があり、遠方には大きな建物も見えます。サロモン・ファン・ロイスダールが描いた川の景色は、そのほとんどが地形的に正確ではありません。描かれている建物の大半は実在しません。この作品内の教会と城は、画家の想像の産物と思われます。


(マウリッツハイス美術館カタログより引用)

ヤン・ファン・ハイスム「果物の静物画」 1724年頃
油彩・銅板

ヤン・ファン・ハイスム(1682―1749年)の花の静物画は、生前、国内外でとても人気がありました。花と果物を組み合わせることが多かったですが、この「果物の静物画」では、果物のみを描いています。テーブルの大理石の天板に、プラム、ブドウ、ベリーがあり、中心の桃には小さな白い蝶が止まっています。蟻が、桃の柔らかな皮の上を這っています。


ファン・ハイスムの腕前は、滑らかな筆遣いと、露や虫のいる果物や花の写実的な描写に、特に表れています。伝記作家によると、ファン・ハイスムは秘技が漏れることを恐れ、他の画家を工房に入れなかったそうです。


この小さな絵画は、同じ寸法の花の静物画とセットです。どちらの絵も、銅板に描いています。銅板の表面は硬くて滑らかで、このような緻密な作業に最適です。


(マウリッツハイス美術館公式ホームページより引用)

ウィレム・ファン・ハーヒト「カンパスペを描くアペレス」 1630年頃
油彩・板

アントワープの画家ウィレム・ファン・ハーヒト(1593―1637年)の現存する作品はわずかです。今日確認できているのは、絵画3点と版画数枚のみです。3枚の絵画すべてに、絵画やその他の美術品でいっぱいの展示室「クンストカンマー」(美術品収集室)が描かれています。


17世紀初頭のアントウェルペンでは「画廊画、ギャラリー画」という新しいジャンルの絵画が発達しました。この作品には、あふれ返るほどの絵画、彫刻、版画、古代のコイン、地球儀、磁器などの貴重な美術品が詰め込まれています。これらの素晴らしい絵画は、アントウェルペンで美術品を収集する文化が盛んであったことを物語っています。宮殿のような室内は、この新分野の創設者の一人であるファン・ハーヒトによる珍しい作品です。


左手の手前には、古代の物語が描かれています。アペレスはイーゼルの前に座り、アレクサンドロスの愛妾であるカンパスペの肖像画を描いています。伝説では、アペレスはカンパスペの肖像画を描いている間に、彼女に恋してしまったと言われています。アレクサンドロスは偉大な画家に経緯を示すべく、肖像画の代価として彼女をアペレスに贈ったとも言われています。これは、宮廷画家に最大限の敬意を払う統治者の話であるため、芸術家には人気の主題でした。


(マウリッツハイス美術館カタログより引用)

ヨハネス・フェルメール「デルフトの眺望」 1660―1661年頃
油彩・カンヴァス

オランダ黄金時代でも最も有名な都市の風景画が「デルフトの眺望」であることは明白です。光と影が織りなす美しい調和、壮大な空、曇天ながらも溢れる光、水面に映る建物の様子を目にすれば、至極当然のことと言えるでしょう。ヨハネス・フェルメール(1632年-1675年)は、デルフトの南東側からこの絵を描きました。


前景に見えるのは街の外れにあるデ・コルク波止場です。前方では、暗い雲が手前の埠頭、水面、建物に影を落とし、はるか後方では、太陽が輝いて新教会の屋根と塔を鮮やかに照らしています。この精巧で創意工夫に満ちた強い明暗の対比により、フェルメールは深い奥行き感を作り出しました。鑑賞者の視線がまず暗い雲下の街に導かれた後、必然的に光のある方へ、この情景の奥深くへと引き寄せられます。


フェルメールはバランスの取れた静けさの感じられる構図を重視していました。そのため、現実に忠実であることに固執していました。そのため、現実に忠実であることに固執しませんでした。実際には、建物の外観は作品内ほどには整然としておらず、地平線はより変則的で、建物の間隔は離れていました。このように現実とは異なる様相に変えたのは、水、建物、空の3層が織りなす各画面構成の境目となる水平線を強調する意図があったからです。
フェルメールの優れた創作力はこの作品を細かく観察すると、彼が建築素材の質感を描き出す最良の方法を模索したことがうかがえます。


(マウリッツハイス美術館カタログより引用)

カレル・ファブリティウス「ゴシキヒワ」 1654年
油彩・板

カレル・ファブリティウス(1622年―1654年)は、同世代の芸術家の中で最も才能豊かな一人でしたが、爆発事故で若くしてその生涯を終え、絵画の世界にも大きな衝撃を与えました。彼の工房は事故により全壊したため、彼の絵はほんのわずかしか現存していません。
作品数が少ないにもかかわらず、全作品が高質で、見事な独創性を備えています。彼はなめらかで的確な筆遣いにより、レンブラントの弟子の中で最も才能豊かな画家でした。


白い壁に映える黒、黄色、赤の魅力を、若きファブリティウスはしっかりと感じ取っています。光と影、ビーズのような小さな目。壁に映る影。色や細部を控えめにし、自由なはっきりとした筆遣いで五色ヒワを描きました。少し傷んでいる壁の前に、足を鎖でつながれた小鳥。それだけです。無駄がなく、ちょうどいいです。


まるで生きているかのように忠実に描かれた小鳥の肖像画は、いわゆるトロンプルイユ、だまし絵です。本当に餌台の上にゴシキヒワがいるかと思ってしまいます。五色ヒワは、小さなバケツを使ってボウルから水を汲むなどの芸当を覚えることができたため、17世紀、人気のペットでした。


赤い顔と羽根により、特に目を引きます。黒とキャラメル色の羽根の間には、明るい黄色の羽根が数枚あります。ファブリティウスは、黒い絵の具の上に、黄色の絵の具を2本塗りつけ、乾く前に筆の柄の部分で微妙な引っかき傷を付け、黄色の下にある黒を見せました。これは、師レンブラントから学んだ技法でした。


(マウリッツハイス美術館カタログより引用)

「聖セバスティアヌスの日の祭」年長のヤーコブ・サーフェリー(またはその工房) 1598年
油彩・板

年長のヤーコブ・サーフェリー(1565/67年―1603年)が描いた、楽しい祭日です。教会の周りには屋台が並び、村人が祝っています。黄色い家の差し掛けの下で酒を飲んでいる村人もいれば、二階の窓辺に座って求愛している村人もいます。旗竿にはためく大きな三角旗は、この祭が捧げられている聖セバスティアヌスです。


小作農の祭はフランドルの画家にとても人気がありました。ヤーコブ・サーフェリーが1590年頃にフランダースからアムステルダムに移住したとき、この主題はアムステルダムではあまり知られていませんでした。サーフェリーは、この主題をオランダに紹介した画家の一人であり、「聖セバスティアヌスの日の祭」は模範です。


村人がグループにわけられ、小さく巧みに描かれています。誰もが楽しそうで、陽気です。酔っぱらった部隊、闘士、弓遊び、ガチョウ引き、教会に行進する鉄砲打ち、舞踏、野外劇場、歌手などがいます。この作品は力強く、鮮やかに描かれています。


(マウリッツハイス美術館公式ホームページより引用)

壁紙カレンダー

2026年1月

壁紙カレンダーは、以下よりダウンロードください。
ご自身の端末サイズに応じたファイルを選択のうえ、「設定」より壁紙等を変更いただきご活用ください。

パソコン用


Mauritshuis Mauritshuis

The Mauritshuis

2016年よりNNグループはマウリッツハイス美術館のメインスポンサーです。NNグループでは、マウリッツハイス美術館がもつ世界的に有名なコレクションで刺激とインスピレーションをあらゆる人に与えられるような数々のコラボレーションを行っています。

マウリッツハイス美術館のデジタルツアーを公開中

ご契約者さまには、オンラインで鑑賞いただける日本語音声付きのデジタルツアーを公開中です。
ご契約者さま用のマイページからご覧ください。