オランダスタディツアー2024レポート
エヌエヌ生命の「ビジョンを実現するつながり」を提供する活動の一環として、5度目となる「オランダスタディツアー2024」を2024年9月に実施しました。本ツアーでは、エヌエヌ生命のルーツであるオランダの先進性や最先端の取り組みが肌で感じられるよう参加者に合わせてプログラムを組み、家業後継者や若手経営者に新たな出会いや学びの機会を提供しています。
欧州で事業展開するためのゲートウェイと呼ばれ、デザイン先進国、そして労働効率の高い国としても知られるオランダのイノベーションや文化に触れ、参加者たちは現地から何を持ち帰ったのでしょう。
文:桑原果林、写真:大谷臣史
【ツアー1日目】
参加者たちがオランダに到着した翌日、ツアー初日となるこの日は、まずエヌエヌ生命の親会社であるNNグループの本社を訪れました。参加者たちを迎え入れ、NNグループの事業に関する説明を行ったのは、サステナビリティ部門の最高責任者を務めるアドリー・ハインスブルックさんです。
ハインスブルックさんは、自らをイントレプレナー(社内起業家)と定義します。従業員でありながら、その枠組みの中で起業家のビジネスマインドと先見性をもって考えなければならない存在です。社内で常に注意喚起をするのが仕事だというハインスブルックさんは、「サステナビリティは様々なビジョンや戦略からできており、ひとつが欠けたら不安定になってしまうため、バランスとディテールが大切だ」と言います。
また、小さなことでもアクションを起こすことで、いつか大きなインパクトが生まれるというのが、よりサステナブルな社会を目指して日々取り組んでいるハインスブルックさんのモットーです。
写真)サステナビリティ部門の最高責任者を務めるアドリー・ハインスブルックさん
ハインスブルックさんは「人類学者としてNNグループで働いている」とのことですが、保険会社の業界で人類学者が起用されるというのはオランダでも珍しいことだそう。数字だけでなく社会に対して包括的な視線をもつ人類学者は、変革をもたらすのに適している、とハインスブルックさんは言います。
その後、参加者による自己紹介の場が設けられました。先陣を切って堂々と英語でプレゼンテーションをしたのが、秋田県で家業に携わる金谷幸奈さんです。大学在学中に香港留学を経験し、その後家業である株式会社協和土建に入社して林業部門の組織改革に注力する金谷さんは、秋田県の魅力や自社の事業を紹介しました。金谷さんは高齢化や若者の不足など深刻な課題を目の当たりにし、これらをサステナブルな方法で解決することを目指しています。
写真)地元秋田の魅力をアピールする金谷さん
参加者たちの事業紹介を終えた後、「NNコミュニティ・インベストメントプログラム」のマネージャーを務めるズデンカ・ピサチッチさんから、NNグループのパートナーシップについて説明がありました。NNコミュニティ・インベストメントプログラムは、社会全体の幸福を実現することを目標に、社会的弱者を中心とした人々のウェルビーイングを支援する取り組みです。パートナーはオランダで45、世界全体では165を数え、NGOなど様々な組織で構成されています。NNグループは利益の1%を社会に還元するほか、ボランティア活動や知識、ネットワークにより貢献しています。2022年からこれまで40万人を支援してきたNNグループの現在の目標は、2025年の事業年度末までに100万人の支援を達成することです。
写真)「NNコミュニティ・インベストメントプログラム」のマネージャーを務めるピサチッチさん
NNグループがこのプログラムを通して提供するサポートには、①借入等に関する知識を提供するなど、財務管理能力の向上のための支援、②深刻な金銭的問題に対する一時的な経済支援、③留学サポートなど、不利な家庭環境に生まれた子どもたちの才能やスキルを伸ばす機会の提供、④長期間離職している人や貧困の人が教育や雇用の機会を見つけるための育成支援の4つがあります。
NNグループのパートナーとの協業の例として、オランダ最大級の基金であるオラニエ基金が挙げられます。オランダは豊かな国であるものの、貧困の中で暮らす子どもの割合は約6%にのぼり、これらの数字はインフレによりさらに増加すると予想されています。しかし、貧困や借入等の問題を抱える人々への支援は、自治体、フードバンク、その他の支援機関など、様々な機関によって断片的に行われているため、必要とする人に支援が届きにくいという現状があるそうです。そこで2022年にオラニエ基金との協力による支援プログラムが開始され、様々な支援のアクセス向上と効率化により、現在までに国内の6つの都市で23,413人の支援が達成されました。
他にも、学校での活動やイベントを通じて若者たちが気候、社会、多様性、機会均等、健康などの問題について行動を起こすよう促す非営利団体「Young Impact」との協業プログラムがあります。オランダでは84万人以上の若者が精神的な問題を抱えているそうですが、学校にゲストを招いて地球環境や心理的プレッシャー、多様性の話をするイベントやボランティア活動などを行い、若者のレジリエンスを高めるための手助けをしています。
その後、ハインスブルックさんに率いられ、約2000人の従業員が働く本社内を見学しました。7階中央はちょうど高速道路をまたいで建物同士をつなぐ橋のような部分で、オフィスと食堂、そして従業員同士をつないでいる「ブリッジ」と呼ばれる”サステナビリティの象徴”となるエリアです。「Connect @ the office」(オフィスでつながろう)というスローガンが掲げられ、毎週恒例のカクテルパーティーや、外部ゲストによるレクチャーなどが行われています。
オフィス内にはサステナビリティを意識した様々なこだわりが見られます。例えばプラスチックカップは使用されておらず、従業員は自ら容器を持参するのだとか。外部の人にも受付でガラス製のマグカップを渡すという徹底ぶりです。カーペットや椅子など、不要になったオフィス家具は業者に頼み、アップサイクルされたものを再びオフィスで利用しているそう。「変化をもたらすには、とにかくパイロットやテストを通して行動してみること」と訴えるハインスブルックさんは、小さなイノベーションを重ねることを大切にしています。
ハインスブルックさんはNNグループの取り組みにおいて、「ネットゼロ」と「ぬくもりを感じるビジネス」という考え方を2つの柱としていると説明しました。その指針は、リサイクル素材でできた家具やインテリア、ノープラスチックの取り組み、従業員のウェルビーイングに気遣った快適な職場空間など、オフィスのあらゆるところに浸透していました。
その後、NNグループがメインスポンサーを務めるマウリッツハイス美術館を訪問し、レンブラントやフェルメール、ヤン・ステーンなどの巨匠が描いた名画を通して、オランダの歴史や文化的背景を学んでツアー1日目を終えました。
【ツアー2日目】
この日にまず向かったのは、ロッテルダムにある「BlueCity(ブルーシティ)」と呼ばれるインキュベーション施設。もともと「トロピカーナ」という名前のプールとして営業していたこの施設は、当時の風貌を残しつつ、現在は50以上の循環型経済を実現するスタートアップ企業やスケールアップ企業の拠点となっています。食品・農業廃棄物を使ってサステナブルなパッケージを作るスタートアップ企業「Outlander Materials」のハルシタさんが、施設利用者としてBlueCityのアヤズさんと共に案内してくれました。
もともと1988年に開業したレジャー施設としての人気は時間と共に衰え、高い運営費用が賄えなくなったため2010年に閉鎖を余儀なくされました。その後2013年に最初の起業家としてシーメン・コックス氏が入居し、後にブルーシティの基礎となる最初の計画を立てました。
コックス氏が最初の企業として立ち上げたのが、キノコの生産をする会社「rotterzam(ロッテルズワム)」です。彼らは地元企業や飲食店などからコーヒーの残渣を回収し、それを菌床としてヒラタケを育て、そのヒラタケを飲食店に卸すことで循環を生み出しています。今ではブルーシティ利用企業ではなくなったものの、プロテインの豊富なヒラタケを食肉の代わりとして使用した加工食品を開発するなどして活躍しています。
施設内にはオフィスやプロダクションスペースのほかにも生物化学や菌、微生物の研究室があり、さらに販売や業務プロセスについて相談ができる専門家もいて、それらがサブスクリプション制で利用可能となっています。このようなシステムが、リソースやスペースが足りないというスタートアップにありがちな課題を解決しています。
もともとプールがあった部分は、現在循環型経済に関するイベントやカンファレンスに利用されています。ここも約1年後に改装予定で、屋上にソーラーパネルを設置し、施設内でエネルギーの循環ができるようにするのだとか。
建物内の建材はすべて既存のものかリユース素材でできています。窓はもともと病院で使われていたもので、予定外のサイズが届いたために収まりきらず、配置を変えることで対処した結果、角ばったユニークなデザインが生まれたのだそう。
次にデルフト工科大学の電子数理情報工学学科を訪れ、量子・コンピュータ工学部の学部長、ロブ・コイ氏と3名の教授から大学の取り組みや研究に関するお話を聞きました。工科系大学としてヨーロッパでトップクラスの名門校であるデルフト工科大学は、1842年にオランダ王ウィレム二世により設立されたという歴史をもちます。もともと国と産業に貢献する目的で、産業・商業も視野に入れた教育が行われてきました。第一回ノーベル化学賞を受賞したヤコブス・ヘンリクス・ファント・ホッフ、ブルートゥースの発明者であるヤープ・ハールツェン、版画家M.C.エッシャーなど、多数の著名人を輩出しています。
写真)量子・コンピュータ工学部の学部長、ロブ・コイ氏
今日のデルフト工科大学では、約26,000人の生徒が通う計8つのキャンパスの知識を融合させた研究を行っています。Shell、ASML、Philips、Booking.com、Microsoft、IBM、Intel、富士通、Google、Honda、Amazonなど、国内外の数多くの産業パートナーと協力し、大規模な研究開発施設で共同研究や研究資材の提供などの連携が行われています。
スタートアップのためのインキュベーションの取り組みもあり、大学からビジネスへのステップアップを支援しています。すでに450社のスタートアップ企業が生まれ、そのうち83%が現在も活動し、計300以上の投資家のサポートを受けています。
さらに量子テクノロジーについての研究、ヘルスケアのため半導体チップの研究とその現状に関する説明を聞き、この場所がまさに最先端の技術を生み出す現場であることを実感しました。
次に向かったのが、エーデという街を中心とした「フードバレー」と呼ばれるフードイノベーションの中心地にある「ワールド・フード・センター」です。ワールド・フード・センターは、農業や食品科学で有名なワーゲニンゲン大学などの知識機関や政府、企業が集まり、農業・食品の分野で協力できる場所としてスタートしました。2023年からフードイノベーションに関わる複数のスタートアップ企業がオフィスを構え、10年前まで軍用基地だったという広大な土地では、現在もオフィスやキャンパス、住居などの建設が進められています。
案内をしてくれたのは、ワールド・フード・センターを国内外のイノベーターとつなぐFoodXという企業のハイベルディン・スウェーリスさん。オランダの食や農業のイノベーションに関してお話を聞きました。
人口は約1800万人、国土がほぼ九州と同じという小国のオランダは、国民幸福度やQOLの高さだけでなく、世界トップレベルの労働生産性を誇っています。特に農業製品の生産性は非常に高く、輸出量がアメリカに次いで世界2位。これは、国の規模を考えると驚くべきことです。一体何がオランダの労働効率をこのように高めているのでしょう?
写真)オランダでは牛乳をはじめとした酪農製品や農業製品の生産性が非常に高い
スウェーリスさんはその理由を、オランダの社会心理学者であるヘールト・ホフステードによる「ホフステードの6次元モデル(※1)をもとに説明しました。その一つが、オランダにおける組織内の権力格差の小ささです。あまり上下関係を意識せず誰に対してもフラットに接するオランダ人は、どんな関係の相手とも臆せずディスカッションができるという傾向があります。また農業に関しては、種子技術から消費者への販売まで、チェーン全体のキープレイヤーがオランダに拠点を置いていることが関係しているそう。その多くはワーゲニンゲン大学のキャンパスに拠点を置いています。限られた土地を耕し、さらに土木技術により国土を作ってきたという歴史があり、これが様々なステークホルダーが対等な関係で話し合い、合意しつつ社会経済の仕組みをつくることを指す「ポルダーモデル(別名オランダモデル)」を生み出したと言われています。
環境変動、地政学的な不安定さ、世界的な人口増加という課題においても農業食品産業の担う役割は大きく、より効率の良い農作物の開発や食肉に代わる代替プロテイン、食糧廃棄を減らすための流通など、様々な研究に多大な資金が投資されています。ワールド・フード・センターでも今後大学のキャンパスを迎え入れるなど、ますます多くのイノベーションが期待されます。
- 参照:ホフステード・インサイツ・ジャパン ウェブサイト https://hofstede.jp/intercultural-management/
写真)FoodXが制作した、食に関するVR体験
食の課題について特に熱心に話を聞いていたのは、参加者の岩本脩成さんです。ワールド・フード・センターについては「日本のローカルでも利用できそうなモデル」だと感じたそう。「パパイア王子」というインパクトのあるブランドを立ち上げた岩本さんは、大学で生命工学を専攻しシルクの研究を行うなど、化学系のバックグラウンドをもっています。ある出会いをきっかけに2019年に地元の宮崎に帰郷し、グリーンパパイアという栄養価が高くエコフレンドリーな野菜に着目し、その生産・販売、加工品開発などを開始しました。海外販路の開拓を模索する岩本さんは、空いた時間にスーパーを巡るなど、現地の食事情を熱心に研究していました。
2日目最後の訪問先は、ロッテルダムにて独自の方法で醤油を製造するTOMASU(トマス)の工場です。大豆や小麦は近くの農園で自社栽培して原料に徹底的にこだわり、また自ら土壌の開発や、オランダの遺伝子研究機関と協力して遺伝子組み換えや交配による品種改良の研究も行っています。時間・自然・職人技をキーワードに「匠」を追求しているというTOMASUのオーナーであるトーマスさんに、醤油作りの工程を見せてもらいました。
TOMASUの醤油作りの工程は、原料の収穫からボトル詰めまで3〜4年かかるそうです。湯煎機を使って2日間かけてゆっくりと煮た大豆と低温加熱して砕いた麦、新鮮な麹菌を混ぜて麹を作ります。台の上で麹菌が増殖すると、熱が発生し水分が蒸発します。日本では12〜18時間で菌の増殖を止めるそうですが、彼らはこれを知らなかったので、5日間置いて水分を出し切るという独自の方法で製造しているとのこと。こうした伝統に捉われないスタイルがTOMASU独自の味を生み出してるのでしょう。
その後麹を樽に入れ、塩を加えた大豆の煮汁と混ぜてもろみを作ります。樽には酸味が少なくバニラの香りがするというアメリカのホワイトオークを使用した、バーボンウィスキーの空樽を使用しています。少し甘みのあるバーボンの香りは、TOMASUの醤油と相性が良いのだとか。醸造の途中で水を足し、樽の木を膨張させながら2年間保管します。
発酵の進んだもろみは、まるで火にかけられているかのように気泡を出します。これを10〜15週の間、毎日かき混ぜます。
もろみを搾って無殺菌で瓶詰めし、その後梱包します。搾り器はリンゴジュース用のものを使用しているのだとか。工場内で自動化しているのは梱包のみで、彼らは出来る限りすべての工程を手作業で行っています。
「味も音も、いろんな感覚を使う醤油作りに恋をした」というトーマスさんは、常に初心にかえって醤油作りのあり方を自らに問いかけているのだとか。伝統的な製法を知らないからこそ生まれた唯一無二の醤油には、独自の世界観と起業家としての芯の強さが感じられました。
【ツアー3日目】
この日は雨、ひょう、雷の合間にときどき晴れ間が覗くという目まぐるしい空模様の中、オランダ各地にある4箇所の視察先を訪問しました。北海に面したアザラシが見える海岸に立ち寄った後、まず訪れたのが「Deltapark Neeltje Jans(デルタパーク・ネールチェ・ヤンス)」と呼ばれる、歴史的な治水工事「デルタ計画」のダムや水門などが見られる場所。敷地内にあるミュージアムで、デルタ計画の歴史について学びました。
このデルタパークがあるのはゼーラント州というオランダ南部の地域で、ここでは農業や漁業、観光において水に頼ってきた歴史があります。1953年にダムが崩壊し、国内で1800人以上が命を落としました。このような洪水被害からオランダを守るべく始まったのが、700kmにおよぶ壮大なデルタ計画です。
初期に建設されていたのは海水の侵入を防ぐ従来型の堰でしたが、これは淡水化により地域の生態系に被害を及ぼしていました。1970年代に反対運動が起こり、計画が見直しされた後、高潮のときだけ水門を閉める巨大な可動堰が誕生しました。
その努力が功を奏し、デルタ計画はアメリカ合衆国のゴールデンゲートブリッジやエンパイヤステートビルディング、中米のパナマ運河にならぶ優れたプロジェクトとして賞賛されています。しかし海面がますます上昇している現状もあり、デルタ計画は今後100年は続いていくだろうと言われています。
参加者の一人、福岡県の水都である柳川に本社を置く1948創業の水門メーカー・株式会社乗冨鉄工所の代表取締役を務める乘冨賢蔵さんは、職人の集団離職をきっかけにITツールによる業務効率化や働き方改革など経営改革を実施し、2020年にはデザイナーや大学生と職人技を生かした商品開発活動「ノリノリプロジェクト」をスタートしました。水門に対する強い関心と共にオランダを訪れた乘冨さんは、日本で人と水の新たな関係性の構築を目指しています。
「日本では直接的なステークホルダーのみが決定権をもっているのに対し、オランダにはタブーなど気にせずいろんなステークホルダーが議論できる土台があると感じました。環境や生態系に配慮して計画を見直すというのも、日本では見られないことです」と乘冨さんは驚いた様子で話しました。
その後、ティルブルフという街にあるテキスタイルミュージアムに移動してガイドツアーを受けました。砂でできた不毛な土地にあるティルブルフでは、1860〜70年代まで羊毛の生産が盛んでした。その後19世紀の産業革命により蒸気機関の技術が生まれ、この地域には国を代表する織物産業が生まれました。
ミュージアムには蒸気機関のモデルや古い織り機などが展示され、織物産業の技術的な発展について学ぶことができます。
最新の織り機や編み機も置かれていて、それらからアーティストやデザイナーによる現代的なデザインのテキスタイルが生み出されています。テキスタイルミュージアムは他のミュージアムや劇場、王室、企業などから依頼を受け、デザイナーおよび技術者と協力して作品や商品を作っています。
また、アーティストやデザイナーが自らの作品の実験や制作を行うこともできます。生み出された作品の一部はミュージアムのコレクションとして収蔵されています。クリエイターの間では近年、ウール製品を回収して作ったリサイクルウールなど、サステナブルな素材への転換が多く見られるのだとか。
こうした古いものと新しいものの共存、それこそがこのミュージアムの魅力となっています。世代を超えたコミュニティにより作り出される、技術と創造性が集約された場所がそこにはありました。
その後、テキスタイルミュージアムと同じティルブルフに拠点をもつオランダ人アーティストのシグリッド・カロンさんのアトリエを訪問しました。シグリッドさんの作品は世界中で高く評価され、数多くのコレクションや美術館のライブラリーに所蔵されているほか、その場所・地域の特性を活かしたインスタレーション作品の制作活動も行っています。また、Swatch、ユニクロ、Forboなど、大手ブランドとのコラボレーションも手がけています。
エヌエヌ生命が運営する日蘭協業支援プログラム「MONO MAKERS PROGRAM(MMP)」の2024年度参加者としてシグリッドさんと協業を始めたのが、本ツアー参加者の一人である久保昇平さんです。もともと舞台演劇の脚本・演出家として120作品以上に携わってきた久保さんは、2012年に家業である関西巻取箔工業株式会社(KANMAKI)に入社しました。72年の歴史をもつ同社が生み出したブランドであるKANMAKIは西陣織の金糸をルーツに、生産効率が高く、安全で環境負荷の少ない顔料箔を提供しています。
久保さんとシグリッドさんの協業は、KANMAKIの商品である転写箔をシグリッドさん考案のカラーパレットで創り出すというもの。シグリッドさんは「色は私にとってすごく自然なもの。色だけじゃなくて、リズムや構成に魅力を見出しています」と、自ら日本で撮った写真を見せながら話してくれました。何の変哲もなく見える日常の光景に手を加えて、日常を非日常にすることは、彼女のすべての作品に共通しているテーマです。
写真)何気ない日本の日常風景を切り取ったシグリッドさんの美しい写真の数々
【ツアー4日目】
この日はMMPで協業するペアに、協業を進めるためのミーティングが設けられました。久保さんは協業相手であるシグリッドさんから期待していたような反応が得られず、「ボコボコにされた気持ち」とミーティングを振り返りました。「綺麗な言葉を並べても相手の土俵では通用しない。普段の仕事に対する姿勢を見せることでしか戦えない」「確立したライフスタイルを持っている人なので、(シグリッドさんの)哲学的・宗教的な部分に触れて成長したい。技術的な面で要望に応えていきたい」とシグリッドさんへの敬意と協業への意気込みを語りました。
もう一人、MMP参加者としてツアーに同行していたのが、加藤剛史さんです。加藤さんの家業である加藤健旗店は、旗・幕・暖簾などを手がける1950年京都創業の老舗で、織りや染め、刺繍の様々な技術を必要に応じて使い分け、顧客の要望に応えて商品を制作しています。家業の強みを活かして独自のライフスタイルブランド「kiten.kyoto」を立ち上げた加藤さんは、2024年度のMMP参加者としてオランダ人デザイナーのラウラ・ルフトマンさんとの協業を開始しています。加藤さんは「一流の仕事に触れることで、まったく違う視点を提供してくれる。そんな相手と仕事ができることにモチベーションを感じます」とラウラさんとの協業への意欲を見せました。
【ツアー5日目】
ツアー最終日は、日本のクラフトやデザインプロダクトに特化した展示・即売会「MONO JAPAN」を訪れました。2016年よりアムステルダムで行われてきたイベントですが、今回はロッテルダムに舞台を移し、2つのホテルと1つのミュージアムを会場として開催されました。
そこに出展者として参加していたのが、前回のオランダスタディツアーに参加していた株式会社オオウエの大上陽平さんとモリタ株式会社の近藤篤祐さんです。ツアーで意気投合し、共同参加を決めたという二人に出展内容についてお話を聞きました。
MMP2023のサポートを受けてオランダ人デザイナーのメイ・エンゲルギールさんと協業した大上さんは、その協業作品をブースの目玉として打ち出していました。「ハイエンドでヨーロッパでも通用するデザインを意識してランプシェードや壁材を作りました。楮(こうぞ)100%の手漉き和紙を草木染めした、オールハンドメイドの製品です。ビーガンレザーのようなアイデアで、彩色をメイが考え、こだわりのステッチを施しています」と商品の魅力を熱く語る大上さん。
札幌で紙箱製造を営む近藤さんは、企業向けのパッケージをメインに、他ではできないハイエンドな商品の製造を心がけています。人口減少で受注量が下がっているなか、「これから行く先は海外」という意識もって2度目のMONO JAPANやパリの見本市「メゾン・エ・オブジェ」への参加を決めたと言います。ブランドを広めるための切り口として、一般消費者向けの商品を作っているのだとか。「前回は、カラーリングがオランダ人好みだったようで、(雑貨収納用の)箱がよく売れました。今回は大上さんの和紙を使用しています。」
またブースでは大上さん、近藤さん、久保さんのコラボ商品も販売されていました。
MONO JAPAN出展者の加藤さんと乘冨さんのブースも訪れ、加藤さんの「引染め」と呼ばれる刷毛で染める手法と刺子が特徴のラップトップスリーブおよびポーチ、そして加藤健旗店の看板商品である暖簾をイメージしたというスリットの入った多機能なエプロン、乘冨さんの鉄工所の技術を活かしたピザ窯などのアウトドア用品の展示・販売の様子を見せてもらいました。
その後MMPで協業中の2組は、MONO JAPANのカルチャープログラムの一環としてレクチャーに登壇し、それぞれの活動やこれまでの協業の進展、意気込みについてプレゼンテーションを行いました。
国際協業プロジェクトの利点や課題は何かという問いに対し、加藤さんは「利点は視点を引き上げてくれること。それぞれまったく違う文化の中で考えて、そこで生まれるプロダクトは新たな文化を表現することができます。課題は言語の壁や仕事の進め方の違い。それらは目的意識と相手への配慮により乗り越えられると思います」と答えました。
5日間にわたるツアーを振り返り、参加者たちは新たに得た洞察や課題を共有し合いました。「オランダ全体でサステナブルというキーワードを感じた」という乘冨さんにとって、オランダでは若者の意識下に気候変動があることが衝撃的だったそう。ガードレールのない水辺の風景に驚き、オランダの自主性と自己責任を重んじるお国柄や、自然や環境に対する圧倒的な感度の高さを感じたと言います。「日本でももっと水辺に近付くことで、水害に対し敏感になり、公共に関してオープンな話ができるようになるのでは」と語る乘冨さんは、参加目的だった「水と人の関係を編み直す」というテーマについてヒントを得たようです。
加藤さんは、サステナビリティに対して自分の路線と違う、「自分ごときが」と考えていたのが、ツアーを通して自分のこととして捉えられるようになったそう。今は「そんな場合じゃない」「やるべきことをやろう」という気持ちになり、大学やスタートアップ企業との連携など、自社の事業の中でサステナビリティにつながる取り組みを開始したいと決意を語りました。
「このツアーの参加者として選ばれた責任に報いていくには、これからもどんどん舞台を広げていくべきだと感じる」と話す久保さんのように、今後参加者たちは国境や業種に捉われない新たなかたちのイノベーションを生み出し、それぞれの舞台で輝いていくことでしょう。