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事業承継

ヒット商品「もずくうどん」を真ん中に
親子二代で築き上げた、食でつなぐ笑顔とありがとう
有限会社セイワ食品
代表取締役 儀間 政和 氏/取締役専務 儀間 義政 氏

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沖縄名産のもずくと国産小麦のみで練り上げた「もずくうどん」は、浦添市に本社を置くセイワ食品の看板商品だ。ミネラル豊富で血圧を下げる効果があると言われるもずくをたっぷりと配合し、つるつる・もちもちの食感で、成長期の子供から健康が気になる大人まで好評を博している。


沖縄県内の観光地で行う試食販売は、その笑顔と熱気に誘われてたちまち人だかりができるという。そんなヒット商品にしてロングセラーのもずくうどんをゼロから開発したセイワ食品 代表取締役・儀間政和氏と、政和氏が「頼りになる」と太鼓判を押す長男で取締役専務の義政氏にお話をうかがった。親子二代で築き上げた食で笑顔をつなぐビジネスとは?

父の代で築き上げた看板商品

もずくうどんが商品化されたのは約30年前。食堂を経営していた政和氏が姉夫婦とともに作り上げたオリジナル商品である。郷土食の沖縄そばに着想を得てはじめは中華麺に仕上げていたが、素材の良さをより活かそうと、添加物はもちろん塩や水さえも加えずにもずくのぬめりだけで小麦粉を練り上げるユニークなうどんを生み出した。

「はじめは四苦八苦しました。いくらこねても粉がまとまらずにパラパラになってしまう。もずくの量や練り込み方を変えながら、完成までに3年ほどかかりました」と政和氏は当時を振り返る。


苦心の末にできあがったもずくうどんは、ミネラルと食物繊維が豊富で食感も良い。自身も子供の頃からもずくを常食し、健康に良いと実感していたことからぜひこの自信作を広めたいと思った。しかしながら、もずくを練りこんだうどんに馴染みがないせいか問屋に卸してもなかなか売れなかった。また、実績や知名度がないために商業施設に出店したいと打診しても、ほとんど門前払いだったという。


困り果てた政和氏は一計を案じた。観光地の商業施設で屋外スペースをなんとか貸してもらい、そこで、観光バスの運転士やバスガイドをターゲットにゆでたてのもずくうどんを試食してもらった。その反響は「抜群に良かった」と政和氏は顔をほころばせる。そこからクチコミで評判になり、もずくうどんはユニークな沖縄土産として一気にブレイクした。「どこで売っているのか」という問い合わせが相次ぎ、一度購入したお客がどんどんリピーターとなっていった。

その一方で、多忙さは増した。開発に携わった姉夫婦がもずくうどんの製造販売を政和氏に託したため、人が集まる観光地に赴き、妻がうどんをゆでて政和氏が試食販売を行う二人三脚の体制が4、5年ほど続いた。観光客が相手なので休日は特に忙しく、子供と過ごす時間もなかなか取れなかったという。


当時まだ少年だった息子・義政氏は、「家族で一緒に遊びに行った思い出はほとんどありません」と言うが、そこに不満の影は見えない。高校生になると夏休みには両親の仕事を手伝うようになり、それは鹿児島県内の大学に進学してからも続いた。

一度離れたからこそ見えた故郷の良さ

義政氏が大学で専攻したのは工業化学。食品や経営とはほとんど接点のない分野である。当時は家業を継ぐことは頭になく、また、父の政和氏も「自分のしたい勉強をすればいい」と快く義政氏を送り出してくれた。

大学卒業後は鹿児島県内のスーパーに入社したが、5年ほど勤務したところでそのスーパーの閉店が決まり、義政氏はやむなく沖縄に帰郷する。そこで改めて見えてきたのが故郷・沖縄の海の美しさだった。


「鹿児島も過ごしやすかったけれど、やっぱり沖縄の海はいい。ここで働きたいと思いました」


そうはいっても、その時点ではまだ家業を継ぐ決心はついていなかったという。しかし、再就職先を探しながら日々家業を手伝う中で気づいたのは、父・政和氏が一年365日休みなく、忙しく立ち働いていることだった。その勤勉さに感服する一方でやはり多忙すぎるのではないか、自分がサポートできることがあるのではないか、そんな思いにかられ義政氏は父が立ち上げたセイワ食品の事業を自らの一生の仕事にすることを決意した。


それから約15年。今では専務となり、商品の販売に大きく貢献してきた息子・義政氏に父・政和氏は全幅の信頼を置いている。
「試食販売にしろなんにしろ、よく売ってくれるんです。頼りになりますね」

義政氏が試食販売を始めるとお客がどんどん集まり、賑わいが増してあたりが活気に包まれるのだという。厳選した素材で作ったおいしいうどんを、満面の笑みと明るいかけ声でお客に勧める。それが義政氏のスタイルだ。
「厳しい顔で商売していても誰も寄ってきませんから。笑顔でいるとまず小さいお子さんがやってくるんです。チビちゃんがおいしく食べている顔を見ると、お父さん、お母さんが喜んでくれる。おじいちゃん、おばちゃんもうれしくなりますよね。笑顔の連鎖です」


そうした心のこもった販売が功を奏し、義政氏が鹿児島から帰郷したときに1店舗のみだった直営店は今や沖縄県内の観光地を中心に5店舗を構えるまでになった。事業の拡大と足並みを揃えるように義政氏の3人の弟妹も次々と事業に参加し、店舗と工場の運営をそれぞれ担当するようになった。セイワ食品はまさにファミリービジネスとして拡大の真っ只中にある。

父の思いを家族みんなで承継する

義政氏の帰郷以来、親子は社長と専務として手を携え、ともに事業を拡大してきたがそこに摩擦や葛藤がなかったわけではない。


「人材育成の仕方や商品の値付け、パッケージに至るまで世代間ギャップや考え方の違いがありますから、いろんなところで意見の衝突は起こります。しょっちゅう喧嘩をしているようなものです。ですが、親父も元気なので逆に考え方や方針に対する意見の相違はあってもいいのかな、と。言いたいことを言い合い、折り合いをつけながらやってこれたのはやはり家族だからでしょうか」と義政氏。


政和氏は近いうちにセイワ食品の経営を義政氏に譲る意向を見せている。自身が興した事業を息子へと承継し、もずくうどんという安定感のある主力商品を担保に他の沖縄の名産品にも目を向けた商品を新たに開発していってほしいという。その思いを義政氏はしっかりと受け止め、次のように語った。


「変わらず守っていきたいのは麵に対する『思い』です。沖縄のもずくと国産小麦だけを使い、もずくが不漁の年も決して品質を落とさず、30年売り続けてきた親父のこだわりは受け継いでいきたい。一方で、親父が言うように沖縄のほかの名産品、たとえば島とうがらしやヘチマなどを取り入れて、新しい商品を提案していきたいですね」

これまで製造は協力会社に委託してきたが、創業時から一貫して現金取引・無借金主義で経営し、利益を投資して商品開発向きの小規模な自社工場を取得している。今後、新商品の開発に注力するならその自社工場の存在が改めて活きてくることだろう。健全経営を基盤として、目指すのは沖縄の「食」を通じて多くの人に笑顔と元気を届けること。それもまた、創業者である政和氏が確立し、義政氏が引き継ごうとしている企業理念だ。

セイワ食品のロゴマークは丸に波を模した3本線で構成されている。3本線はきょうだいが揃った様子、それを囲む丸は太陽であるとともに政和氏を表してもいる。全体は沖縄の空や海などの自然のイメージを重ねたという。爽やかなブルーで彩られたそのロゴマークははるか以前に作られたにもかかわらず、まるで政和氏から子供たちへの円滑・円満な事業承継を予見していたかのようだ。
「親父が抜けても、きょうだい家族で話し合いながらこの家業をしっかり守っていきます」と義政氏。その意志が、同社の何よりの資産に違いない。


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