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事業承継

「高知から世界へ」
近森産業 2代目社長 白木 久弥子 氏

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高知市の食品製造会社である株式会社近森産業の2代目社長白木久弥子社長は、東京で10年以上公認会計士を務めてから実家を継いだ。「高知から世界へ」を経営理念に掲げ、まい進する同社を訪ねた。

白木社長が働いていた東京を離れ、高知に戻ってきたのが2013年の11月。小さい時から「次の社長はくみちゃんだね。」と周りに言われて育った白木社長。東京の大学を卒業して会計士の資格を取ったのもよくよく考えてのことだ。


「公認会計士の資格を取っておいたら社長になっても、自分が独立しても使えると思ったから」だという。

親も舌を巻く銀行交渉術

2013年11月に近森産業に入社した白木氏。実際、東京の監査法人に10年いた経験は家業で大いに生きた。まず日本政策金融公庫に2000万円の借り入れを申し込みに行った。担当者に経営計画を話して工場見学もしてもらったら、額が5000万円に跳ね上がった。結局、無担保・無保証、金利0.51%で1億円を借りることになる。


さて白木氏の真骨頂はここから。その1億円を引っ提げてメインバンクに行き、借り入れを返そうとする。焦ったメインバンクはなんと金利1.875%を0.8%に下げ、父や母の個人保証も抵当権も外したのだ。当時の金利水準は低くても1.6%くらいだったというから破格の低さだ。


「うちの会社は公認会計士が見ているから数字的に安全ですよ、とアピールしました。その時金融庁から後継者になり手がいないから不必要な担保や保証をとらないようにしようという指針が出ていたんですが、それを印刷して持って行ったりしました」


親も舌を巻くしたたかな銀行交渉術、実は中小企業経営のカリスマ、株式会社武蔵野小山昇社長の本から学んだものだ。


さて、借入金を無担保無保証にして利益が出るようになり、満を持して2016年4月に社長を継いだ白木氏。無論、最初から仕事が順調満帆だったわけではない。いや、むしろ荒波に漕ぎ出した小舟のように翻弄されたという。


「入社前に部門別の損益計算書も送ってもらってチェックしたのです。そうしたら、20部門のうち半分は利益が出ていましたが、残りの半分は損が出ていて、合わせてトントンくらいだったのには驚きましたね」

すぐに不採算部門を閉じる決断をした白木氏だったが、当然社内の反発は強かった。それに加えて最強の抵抗勢力が現れる。母親だ。


「母がめちゃくちゃ反対して、従業員の気持ちはどうなるとか、生活はどうなるとか言われてつらかったです。社員との議論にすごく時間がかかったり、辞める人が出てきたり、『東京のやり方を高知に持ち込むな!』と言われたりするのが辛くって。で、どうしたらいろんな人を巻き込んで、みんなの気持ちを一つにして求めているゴールにたどり着けるのか悩んで、経営の本を読み漁りました」


白木氏が大きな影響を受けた2冊の本、一つが先ほど紹介した小山昇氏の本で「無担保で16億円借りる 小山昇の銀行交渉術」であり、もう一つが小山氏と同じ株式会社武蔵野の専務取締役矢島茂人氏の「会社は『環境整備』で9割変わる!」だった。白木氏はこの緑と黄色の表紙の2冊の本を経営のバイブルにしているという。

出典)Amazon

出典)Amazon

結局、何も言わずに去る人が続出する中、なんとか不採算部門を閉じた白木氏。その効果は絶大で、2013年3月末の税引後当期純利益がマイナス5700万円だったのが、2014年の3月末にはプラス150万円になりV時回復を達成したのだ。白木氏が会社に戻ってわずか5ヶ月後の事だった。


「その後、近森産業は経常赤字を出したことがないですね。大体年間3000万くらい利益を出し、1000万くらい教育などの新しい部門に投資をして、2000万くらい残る形です」


もちろんリストラと並行して組織改革にも取り組んだ。新参者の言うことが通らない中、毎晩眠れぬ夜を過ごした白木氏。そんな時、先に紹介した、矢島氏の本に強く感銘を受けた。まずはギスギスした社内の空気を変えるべく、粘り強く社員に語りかけよう。


「当たり前のことを当たり前と思わず、ありがたいと思いましょう、と繰り返して言いました。そうしたらあるときみんなが『あ、わかります。私たち、お客様からお金をいただいて生活できているんですね』と言い始めたんです。そこから急に会社の雰囲気が変わりました」

白木氏曰く、「トップダウンでガンガン行くタイプ」の経営者だった父(現会長)との軋轢はなかったのだろうか?


「帰ってきたときに全部任せてくれましたね。私の方針に一度も反対したことがないのでそれはすごくやりやすいです」

これからの商品戦略

近森産業の主力商品は「芋天粉」と「かつお飯」だ。芋天は高知のソウルフード。サツマイモを芋天粉ではさみ揚げにしたもの。取材班も早速試食したが、そとはカリッ、衣はフワッ、そしてお芋はシットリ、と不思議な食感が病みつきになりそう。

Ⓒ近森産業

そしてもう一つの主力商品が「かつおめし」。新鮮なかつおを特製タレで煮込み、旨味をタレの中に閉じ込めた商品で、土佐かつおめしの素は1999年に農林水産大臣賞を受賞している。


高知の漁師のまかない飯をもとに、白木氏の祖母が考案したという。炊いたご飯に混ぜるだけというお手軽さが受け、お土産としても急成長しているという。実際に食してみると、鰹の香りがプーンと広がり、いかにもザ・高知のご飯といった感じだ。

Ⓒ近森産業

現在、こうした従来からある商品を全国に拡販している真っ最中だという。


近森産業の歴史は、1973年、病院内の食堂から始まった。高知初セルフサービス方式食堂「久(ひさ)食堂」がそれだ。この「久(ひさ)」という文字は、白木氏の曾祖父、高知の交通王、野村茂久馬(もくま)氏の名前から来ている。白木氏の父もその字をもらって正久と名付けられた。

「私も久弥子(くみこ)という名前で、久の字を受け継いだのでそれを新しいブランドの名前にしたいと思いました。久食堂は祖母と父親が育ててくれたのでその思いを引き継げるようなブランドを作りたいですね」


現在高知市に進出してきた蔦屋書店にその「久食堂」を展開中だ。「かつおめしのおむすび」と「いもてん」、2つ同時に販売中で人気だという。


もちろん、新商品の開発にも余念が無い。


「かつおめしの素をふりかけにした商品を開発中です。高知の山椒やゆず、しょうが、一味、などを混ぜています」


現在販路をどうするか、検討中だ。無論、海外も視野に入れている。

教育事業

近森産業の経営理念「高知から世界に」は、高知の食品を県外、世界に伝えていきたいということで白木氏が作った。


そうした中、子どもが出来た白木氏は、高知から世界に通用するような人材を作りたいと考えるようになり、教育事業を立ち上げた。2020年の4月から始まる小学校でのプログラミングの授業に合わせて前倒しでスクールが始まっている。受講者の数はうなぎ登りで、ゆくゆくはプログラミング以外の教育も考えているという。

初めてお会いしたときの印象とは打って変わってそのパワフルさに圧倒されっぱなしだったが、最後に2代目経営者としての今の心境を聞いた。


「小さいころからお母さんになりたいという夢があって。今、子どもを育て、従業員を育てる、その両方をやっていて、勝手に『みんなのお母さん』と思っているんですけど。(笑)どうしたらこの人が成長して、給料も稼げて、幸せに生きていけるのかを考えることが楽しいんです。それは女性が本来持っている力なのかなと思うので、そういう面で女性って経営に向いてるんじゃないかなと思いますね」

そういって白木さんは微笑んだ。「高知から世界へ」。その目はもう、海外を向いている。




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