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事業承継

「里山文化圏構想でエリアの観光業を救う!」
”元湯 陣屋”代表取締役・女将 宮﨑 知子 氏

  • 40-50代
  • 関東
  • 女性経営者
  • 後継者
  • 地方創生
  • DX

この記事は7分で読めます

元湯 陣屋代表取締役・女将 宮﨑知子氏

神奈川県秦野市の鶴巻温泉駅から徒歩5分程。元湯 陣屋という老舗旅館がある。鎌倉期の武将の陣地跡に大正7年に創設された三井財閥の別荘が始まりだ。敷地に入れば、見事な日本庭園に目を奪われる。代表取締役で女将の宮﨑知子氏が3代目である夫の富夫氏と家を継いだ時、宿は負債まみれで倒産危機だった。夫婦はどのようにして、この旅館をV字回復させたのか。話を聞いた。

神奈川県秦野市の鶴巻温泉駅

倒産寸前の老舗旅館を引き継ぐ

多額の負債がある夫の実家を継ぐことに何の葛藤もなかったのか。まずは宮﨑氏に当時の率直な気持ちを聞いた。すると、

 

「夫より先に気持ちを決めたのはこちら」と切り出した。

 

実は息子の嫁である宮﨑氏に、当時入退院を繰り返し、体調が芳しくなかった女将である義理の母から事前に相談があったのだ。それだけ嫁を信頼していたのだろう。

 

「親子だから母と夫が直接話すと対決することになるのは目に見えていた」し、仮にそうなったら、「主人が母をやっつけてしまうだろうな。それなら間に入って私から主人に伝えよう」

 

宮﨑氏はそう考えたという。

 

それにしても、まだ上の子は2才。お腹には2人目がいた。家を継ぐ決断は重かったろう。しかし、意外にも宮﨑氏に躊躇はなかった。

 

「この子達を巻き込むわけにはいかない。それに、私たちには時間があった。後30年は働ける。なんとかなると思ったし、それしか道はなかった」

ときっぱり。

元湯 陣屋代表取締役・女将 宮﨑知子氏

「まあ、離婚するという道もありましたけど・・・それは主人が可哀想だな、と・・・(笑)」

 

とはいえ、当時自動車メーカーで希望の研究職に就き、バリバリ仕事をしていた当の夫は?

 

「どうする?」

 

宮﨑氏が相談すると、夫も2,3日で家に入ることを決断した。2人の思い切りのよさには驚くばかりだ。

 

とにもかくにも即断即決で実家に入る事を決めた若い夫婦。ある意味怖い物知らずだったのかも知れない。2人は、迷うことなく業務改革に取り組んでいく。

業務改革

2人はまず、非効率な仕事をカットすることに取り組んだ。当時旅館で働いている人はパートを入れるとなんと120人。従業員との軋轢は一切なかったのか。決して一筋縄ではいかなかったはず。そんな懸念も宮﨑氏は否定する。

 

「バックボーンを知らないが故に切り込んだ話ができた。皆からそこまで反発はなかった。主人が代々の長男でもあるし、子どもの頃から面倒をみてくれていた方もいて、孫が帰ってきてようやく荷が下せると言ってくださる方もいた」

 

しかし、研修制度すら受けていなかったシニア層を動かすにはやはり時間がかかったようだ。

 

「紐解けば、実際どう動けばいいか分からなかったのだと思う。そこで、そこをフォローするような形をとった」

 

宮﨑氏は知恵を絞った。ピンポイントで攻略する若手を選んだのだ。

 

「ここまでやっていただきたい」

 

そう個人的に頼むと嫌とは言えない。

 

「いいですよ、できます」

 

そうしたケースを「ちょっとずつやっていった」。

元湯 陣屋代表取締役・女将 宮﨑知子氏

教わった内容は文書化して配り、ひっそり閲覧してノウハウを身につけてもらった。

 

それからが秀逸だ。

 

先輩が忙しいときに、若手を加勢にいかせたのだ。そうすると先輩は

 

「ああ助かった。みんなに手伝ってもらってよかった」

 

と、こうなる。小さな成功体験を「グラデーション化していった」という。

 

知らず知らずのうちに従業員はマルチタスク化した。お互いに忙しいときは助け合うようになり、業務の効率化は自然と進んだ。

 

人心を掌握する見事な業務改善術だが一体どこで身につけたのか?疑問をぶつけてみるとなるほどと納得の答えが返ってきた。

 

宮﨑氏が就職したのはリース会社だった。2000年大卒、就職氷河期だったという。一般職で入ったが、総合職の男性とやる仕事はほぼ同じ。営業に出ている男性社員の代わりに社内で審査部とやりあうなど、縦横無尽に仕事をこなした。わからないことはどんどん他部署に聞きに行くことで、自然とノウハウが蓄積されていった。

 

なるほど、宮﨑氏の仕事術はこの時代に築かれていたのだ。

 

現在も陣屋の入り口にある太鼓。当時は、お客さまが来ると太鼓を叩くだけの人がいたという。ムダな仕事を止めてもらうためにどう説得したのだろう?

 

「他の仕事を頼めば良いと思います。こっちの仕事をやっていただきたいです、そう言いました」

 

当時、手書きの予約台帳からこれまた手書きで予定表を作り、それを前の日にコピーしてスタッフ全員に配っていた。

 

「それは趣味でやって下さい。やっても良いけど業務としては認めません。(予約情報を紙で)覚えたいなら違う方法でお願いします」

元湯 陣屋代表取締役・女将 宮﨑知子氏

有無を言わさず、情報のデータ化を進めていった。

 

陣屋の特徴の一つに週休3日制がある。去年5月、旅館の営業日を減らし週休2日から3日にした。旅館では珍しい。というか聞いたことがない。

 

宮﨑氏が着目したのは、休日と平日との間の稼働率のギャップ。平日の閑散日には従業員がお客さんより人数が多いこともあった。日によってパートを多く入れていたので、問題が起きると後手に回り、サービスの質が落ちる、お客さんが少ないのに全館稼働させるから光熱費もかかる。

 

「それなら(平日開業を)止めてしまえ」

 

そう決断した。

 

やってみたら従業員が一斉に休むのでシフトは複雑にならない、オープン時は全従業員がいるからサービスの質は保てる。なにより従業員の体の負担が減り、良いことづくめだった。まさにコロンブスの卵だったわけだ。

クラウドの導入

業務効率化に貢献したのが、IT化だ。セールスフォース・ドットコム社のクラウドプラットフォーム上に、後に「陣屋コネクト」と名付けられるアプリケーションを約1年かけて開発した。

 

「2009年の12月にエンジニアとの出会いがあり、12月後半にセールスフォースに問い合わせ、2010年1月10日には契約した。その2か月後である3月から使い出した」

元湯 陣屋代表取締役・女将 宮﨑知子氏

脅威のスピードでクラウドシステムを導入、4月には紙を完全に廃止した。手始めに予約台帳管理と会計処理のシステムを構築し、次にホームページの予約サイトと連携させた。

 

その効果は絶大で、予約データは一元管理され、リアルタイムに共有されるようになった。業務の流れが可視化され、情報の漏れやだぶりなども解消。社内SNSの導入で、現場同士のコミュニケーションも円滑になった。

 

クラウドの認知度がほとんどなかった時代に秒速で導入を決断した宮﨑夫妻の先見性には目を見張るものがある。

「空白のエリア」の活性化

旅行予約サイトで神奈川県の宿を検索すると、横浜・みなとみらい、湘南・鎌倉、箱根・湯河原などのボタンしか出てこず、鶴巻温泉はないのでお客さまに検索してもらえない。いわば、「空白のエリア」だ。今は自社サイトでしか予約は受け付けていない。

 

そうした中、宮﨑氏は、「里山文化圏構想」を打ち上げる。相模原から西部の丹沢・大山を中心として、厚木、伊勢原、秦野、大磯、平塚などが該当する、海の幸、山の幸が豊富な13自治体にまたがるこの広域エリアを活性化させる壮大な構想だ。

元湯 陣屋代表取締役・女将 宮﨑知子氏

このエリアには観光地経営をサポートする、いわゆるDMO(Destination Management Organization)やDMC(Destination Management Company)がほとんどない。

 

そこで前出のクラウド型ホテル・旅館情報管理システム「陣屋コネクト」の活用が俄然活きてくる。このシステムはすでに、全国400社以上(2021年2月現在)の旅館やホテル、料亭・レストラン、結婚式場などで活用されている。また、「陣屋コネクト」は去年、旅行業の免許も取得した。つまり、旅行の企画・立案・販売ができるようになったのだ。

 

「陣屋コネクトを共通基盤として利用してもらうことで、他の施設にも送客ができる」ようになったのだ。

 

エリアになる中小の施設がシステムで繋がることにより、在庫管理も容易になる。

 

陣屋だけでなく、「エリア全体を活性化させ、盛り上げていく」という考え方だ。そこに活路を求めていく経営姿勢に胸を打たれた。

地域密着サービス

新型コロナ感染症拡大の影響は観光業界を直撃する中、来客数が激減している。飲食業の打撃も大きい。

 

食材のロスが生じ、頭を抱えていた寿司屋の大将との立ち話をきっかけに新たなサービスが誕生した。「陣屋EXPO」がそれだ。”JINYA EXchange POrtal service”の頭文字を組み合わせた。旅館同士がリソースを効率よく交換できるネットワークサービスである。現在、鶴巻町内の居酒屋や寿司屋と、平塚漁港から魚を共同購入している。

 

「価格も抑えられるし、質も担保できる。いずれは地産地消に繋げていきたい」

元湯 陣屋代表取締役・女将 宮﨑知子氏

今後は、有機野菜など一般の流通にのらない食材を、B2Bで消費できる流通システムをつくり、地域密着で展開して行く夢を描く。食材の供給が調整できるだけではない。

 

「ゆくゆくはエリア内の旅館の休館日を調整して、無駄な値崩れを防ぎたい

 

単なる素材の供給体制の調整が目的ではなかった。究極的には旅館の従業員にしわ寄せがいかないようにする計画だ。

今後の展望

これから伸びしろのある産業はサービス業だ、と宮崎氏は断言する。

 

「陣屋コネクト」をエリアで導入することにより、IT 化に遅れている施設を支援する。地域から繋がり、エリア全体での経済性を上げていく構想を描く。M&Aに頼らない、緩やかな連合構想だ。

 

「結局、文化は血。創業家のアイデンティティに寄り添って成り立っている。それを全部崩すことが果たしていいのか」

 

個々の旅館のどこを変革して何を遺すか、そのさじ加減が問われる。エリア全体の底上げを目標にする構想は、陣屋の未来像に繋がっている。

 

リーディングカンパニーとしてエリアの人々と協力して行きたい。それがちゃんとできたら、今度は全国にノウハウを共有したい

 

夢は大きい。

 

最後に自身の承継について聞いた。

 

一番の財産は『情報』、子どもに置き土産で置いていきます」

そう、微笑んだ。

元湯 陣屋代表取締役・女将 宮﨑知子氏


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