父が築き守ってきたプロテック 「人のために」の理念を貫きたい プロテック株式会社 代表取締役 小松 麻衣氏
- 40-50代
- 北海道・東北
- 女性経営者
- 後継者
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北海道札幌市で94年に亘り、衣料製造・卸業を営む竹栄の4代目社長が竹田尚弘氏だ。「卸問屋」の枠を越え、自社ブランド復興やECサイトでの販売、会員制の無人販売店経営、子ども写真館開設など、次々と新機軸を打ち出してきた。創業100周年を前に、地元社会に貢献したいと新たに挑戦しているのが、フードロスを解決するフードシェアリングサービス「プラスフード」だ。「卸業はマッチング事業になる」という竹田氏にその真意を聞いてみた。
創業者である祖父は、流通網が整っていない1928年(昭和3年)に本州から衣類を仕入れて、北海道の人々に販売する卸問屋・竹田商店という会社を立ち上げた。
「卸業だけではなく、数年すると自分のところで衣類を製造し、1966年にはyuk(ユック:アイヌ語でエゾシカ)というブランドを立ち上げていたのです」
その後長いこと忘れられていたyukブランドは、子ども用スキーブランドとして復活し、10余りのECサイトで販売されるようになった。今では全国でも人気のウェアに成長し、インターネット事業部は竹栄の売り上げの4割を担っている。
「せっかく祖父が作ったブランドでしたから、このまま埋もれさせたくないと復活させました。最初は全く売れませんでしたが、改良を重ねながら今に至っています」
卸売りの厳しい価格競争から脱却し、自ら小売りをしたい、直営店を持ちたいという夢をかなえるために、このブランドをもっと強くしようと専門家からアドバイスをもらいながら、社内で商品開発を続けている。
「冬だけでなく一年中活用してもらえるように、北海道発のスキーウェアの機能を盛り込んだ、遊ぶ・食べる・寝るが一つでできるアウトドアウェア『動ける寝袋』を作りました」
この時、アイデアを出し合い、新商品開発に取り組んだ経験が自分も含め、社員の視野が広がるよい機会になったと言います。
「今まで、あまり新規事業に関心がなかった社内の雰囲気が変わり始めました」
小樽出身の竹田氏は3人兄弟の次男として、大学生活を道外でのびのび送ったが、卒業が近づくと北海道の良さを改めて思い出し、地元に貢献したいと小樽市役所に就職した。
「兄がいるので家業を継げと言われたこともなく、市役所の経済部で小樽の物産を全国に売り込んだり、商店街の活性化を考えたりと充実した日々を送っていました」
瞬く間に3年が過ぎたある日、3代目社長の父秀雄氏から家業に戻ってこないかという誘いを受けた。
「大学で進路変更をした兄は、歯科医の道にすすみました。それで私にお鉢が回ってきたのです」
仕事が面白かったこともあり、残業が少なく、給料も安定している市役所を辞めるのはとても勇気がいることだった。
「最終的には、ここで自分が会社を継がないと、竹栄がなくなってしまう。それは嫌だと入社を決意しました」
2008年に竹栄に平社員として入社し配属されたのは、立ち上げたはいいが赤字が続いていたインターネット事業部だった。
「朝から晩まで、それこそほとんど休みもなく、商品価値を伝え、広めることを続けました。おかげさまで2年後には、ようやく売り上げも伸びてきて、そのECサイトのエリアショップ賞に選ばれた時はうれしかったですね」
エリアで売り上げを一番伸ばしたECサイトが表彰される授賞式で、会長である父からの手紙がサプライズで読み上げられた。ずっと見守ってくれていたことがわかる言葉の数々に思わず涙したという。
「2020年に会社設立70周年を迎え、自分がちょうど40歳になった年に事業承継をし、4代目の社長に就任しました」
2019年、食品ロスを店舗、ユーザー、地域の三方よしで解決しようと「プラスフード」というフードシェアリングサービスを立ち上げた。
「竹栄が創業100周年を迎えるにあたって、何か地元に貢献できることはないかと改めて考えました。そこでインターネット事業部で培ったノウハウを生かしながら社会貢献したいと、フードロスの問題解決のしくみを思いついたのです」
北海道にとって、食というコンテンツはとても大切なものだ。それを毎日、廃棄せざるを得ない現象が目の前で起きていた。
「例えばパン屋さんや総菜店の売れ残りそうな商品の情報をおいしいパンや総菜を安く買いたい消費者に閉店する数時間前に届けて、つなぐという仕組みを作れば、双方に喜ばれる事業になると考えました」
当時は、SDGsやシェアリングエコノミーという考え方がまだそれほど浸透しておらず、登録してくれる店舗を口説くのが一苦労だった。
「飛び込みで回るのですが、自分の店の商品が売れないことを世間に公表したら、ブランディングに傷がつくと思ってしまう店がほとんどでした。将来的に考えるとそれをあえて見せて、ロスをなくす努力をしていることが新しい店の価値になりますよと口説いて50店舗集めるのにかなり苦労しました」
そのうちに「プラスフード」の取り組みを札幌市や北海道庁が支援してくれるようになり、マスコミにも取り上げられたことで、だんだんと理解が広がっていった。
「札幌は車社会ですし、町の大きさから言っても、情報を見てから商品を取りに行けるちょうどよい規模感なのです」
日経新聞が主催する「スタ★アトピッチJAPAN」第3回の北海道ブロックでプレゼンをしたところ、「プラスフード」は優秀賞を受賞した。
「全国規模の新聞に取り上げられたことで、Webの視聴回数が伸び、さまざまなお声がけをいただくよいきっかけになりました」
今後はこのフードシェアリングサービスをフランチャイズ化したり、そこで集まったデータを蓄積し、マーケティングに生かすことで別の事業化を考えていくという。
「この事業の最終目的はフードロスがなくなること。だからこれがうまくいけばいくほど、この事業は成り立たなくなるはずなんです。だからこそ、ここで得られたデータを別の事業に生かすことを考えないと……」
もともと地元の社会貢献をしたいと考えた仕組みなので、これからの子どもたちに、良い環境が残されれば、それで目的は果たしたことになる。
「お店にとってもファンが増えたり、ついで買いをしてもらえたりと良い効果がでています。今では農家の規格外野菜なども扱うようになりました」
フードロスを世の中に知ってもらいながら、店や農家と消費者をつないでいく。店と店、人と人をもつなぎながら、いつかはフードロス・ゼロの社会を作りたい。
「初めはこの仕組みがなかなか理解できなかったうちの会長も、今では毎日、『今日は何が出ているの?』といそいそともらいに来る一番のファンになってくれています」
このほかにも子ども服の無人販売店「マンハッタンストア」や子ども写真館の経営を手掛けている。
「コロナの影響もあり、もともとあった直営店5店舗を閉鎖しました。店舗経営には、人件費がとてもかかりますし、販売員の求人やシフト管理もかなり大変でした。そこで、おそらく業界初となる24時間、365日やっている会員制の無人店舗を運営することにしました」
本社社屋の1階という立地なので、お客さまが商品について聞きたいことがあれば、電話やSNSで問い合わせをすれば、営業中ならすぐに応対できる。
「実は、無人店舗と言っても裏ではしっかり接客しています」
ここにもネットショップを苦労して立ち上げてきたノウハウが十分に生かされている。
「店舗で自由に買い物をしたい、話しかけられたくないお客さまも、何か質問があればすぐにしっかり応えてほしい。そういうどこかでつながりたい気持ちを大切にすることが、無人店舗生き残りのカギだと思っています」
子ども写真館は、子どもモデルに商品を着てもらって撮影するために借りた一軒家が、そのまま貸し切りハウススタジオとしても人気がでている。今や予約でいっぱいだ。
「本業の撮影をしたいのに使えないなんてことも起きています」
次々と新しい事業アイデアを形にしていくそのスピード感を社員たちはどう思っているのだろうか。
「以前は、また何かやってるよとひとごとのように見ていましたが、こうやってメディアに取り上げられたり、自分のアイデアが形になるのを経験すると、チャレンジをしてもいいんだという気風がでてきたような気がします」
自分も次男の特権を存分に生かして、のびのび自由にやりたいことをしてきたという。
「自分がワクワクして、楽しんで仕事をする基本スタンスを大事にしたいのです。仕事を楽しんでいる人のほうが、ちゃんと結果を出してくれます。楽しんでいる人は周囲を幸せにしてくれますしね」
繊維や衣料品の卸問屋として祖父が起業した事業だが、これからは店と人、店と店、人と人をつなぐマッチング事業に形が変わっていくと考えている。
「洋服を売ることだけに集中してしまうとどうしてもこちらのエゴが出てしまうと思うのです。もう新品は買わなくていいよねという人もいるかもしれない。そういう人にも、竹栄が考える、循環させるという考え方のファンになってくれれば、それでいいと思うのです」
だから子ども服の無人販売店「マンハッタンストア」の中には、お下がりサービス「TSUMUGU 紡ぐ」のコーナーがある。
「アパレルの廃棄を減らしていくという大きな目標の第一歩として、会員同士のいらなくなった服をつなげるしくみをつくりました」
着なくなった子ども服は、専用BOXに入れてもらい、それをクリーニングしてどの服でも100円で販売するコーナーを作った。
「昔ながらのお下がりというよい文化を復活させて、モノを大切にする習慣が復活してほしいと思っています」
洋服もパンも総菜も、作りすぎちゃダメなんだという流れになっていくと信じている。
「祖父や父が築いてくれたこの事業を、自分なりに形や対象を変えてつなぐという仕事にチャレンジできたらと思います。今までやってきたことは、竹栄の経営にも、十分に生きていますし、次の代の人たちにもブランドストーリーとして理解してもらえると信じて経営していきます」
お客さまの声をお聞かせください。
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