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事業承継

伝統工芸品の着色技術を生かして新たな販路を拡大!
有限会社 モメンタムファクトリー・Orii
代表取締役 折井 宏司氏

  • 後継者

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富山県高岡市の伝統工芸品であり、約400年の歴史を持つ「高岡銅器」。その銅器の仕上げ工程である、表面の着色作業をおこなう事業を先代から引き継いだのが、3代目 折井 宏司氏だ。自社で新製品を企画制作することで、業績低迷をV字回復させた。伝統技術の事業承継を見事に成功させたその秘訣を、折井氏本人に聞いてみた。

折井 宏司氏

叔父のひと言が家業を継ぐきっかけに

日本の銅器生産9割のシェアを誇る高岡市で生まれ育った折井氏。実家も折井着色所として銅器の着色業を営み、家業の仕事に誇りや憧れがあったため、幼少期から将来この仕事をするつもりでいたという。その後、進学とともに東京へ上京。システムを構築するIT会社に入社したことで、家業への憧れは徐々に薄れていった。

当時はITバブルが起き、コンピューター業界はどんどん伸びていた。やればやるだけ結果が出て給料にも反映される。「このまま東京にいたい」と思い始め、仕事にもやりがいを感じて、充実の毎日を過ごしていた折井氏だった。しかし、26歳の時に東京に住む叔父から言われた言葉で、考えが変わったという。

「お前の家は、皇居の照明灯や長野・善光寺の大香炉やお寺の仏像・全国にある銅像の着色を担当するなど、2代続けて全国の公共の仕事もたくさんしている。家業が伝統工芸の仕事をしているのは、誇りだ。お前が継がんと、『折井着色所』という町工場はなくなってしまう。本当にそれでいいと思っているのか?」―こう言われたことがきっかけとなり、折井氏は家業を継ぐために実家の高岡市に戻る決心をした。

売り上げがどんどん減っていく日々に焦り

実家の折井着色所に入社後、1~2年間は修行として着色技術を学んでいた折井氏。会社の売り上げがどんどん減っている状況を目の当たりにし、焦りを感じる日々を過ごしていた。

「最盛期の1970年代、高岡銅器は作れば作っただけ売れる時代で、工場は常にフル稼働。仕事を断るために、相場の2~3倍の値段を提示しても依頼が来たそうです。でも今は、70~80社くらいあった着色工場が30社以下と、半分以下になっています。銅の着色業界が激変していたんです。」

仕事終わりに夜の高岡の町に出ては、業界内の友達や、その友達の友達を紹介してもらい、売り上げ不振を打破するためのヒントを探し続ける毎日だったという。
あるとき、折井氏は高岡市が運営する高岡市デザイン工芸センターで、銅器の原型作り、鋳物や彫金を学ぶ勉強会に参加した。そこで「自社の着色技術を生かして、自分たちで商品を作ることができないか?」と考え始めるようになる。
高岡銅器の業界では、ひと昔前は1回100個単位で仕事を受けていた。そのロット個数が減少し、さらには単価を安くして売り上げを確保しようという動きがあった。「そんなことをしていて、伝統工芸の仕事の魅力が出せるのか」と感じていたことも、自社で商品を企画することになったきっかけのひとつだ。

しかし、鋳物を一から作るとなると莫大な外注費が発生し、初期投資が掛かりすぎてしまう。そこで折井氏は、自社が培ってきた「着色技術」に注目する。ホームセンターで銅板を購入し、学んだ技術を生かしさまざまな着色を試してみた。
試行錯誤の末、銅板表面にクジャクの羽の深みある赤色を表現することに成功した。「これで何か新しいことができる!」折井氏が何かをつかんだ瞬間だった。その時開発した色は、「斑紋(はんもん)孔雀色」という名前が付けられ、現在も自社の製品に使われている。

「良かったのは、自分が無知だったこと。伝統工芸の世界にどっぷり使っていなかったから、技法にこだわらず、自分なりに新しいものを作りたいと、色々な薬品を混ぜたり試行錯誤していたら、新色が出来上がりました。」

折井 宏司氏

既存社員の反発を恐れず販路を拡大

テーブルやコースターなど、自社製品の開発を続ける折井氏だったが、はじめのうちはなかなか社内の理解を得られなかった。テーブルなどの製作依頼が入り、昔からいる職人さんに手伝ってもらうときには「社長のアンちゃん(息子)の頼みだから仕方なくやるけどさ」というようなことも言われたことがあった。
そうこうしている内に、口コミでインテリアや建築関係の仕事も舞い込んでくるようになった。もともと高岡銅器関係者しか出入りのない工場に、東京から設計者やデザイナーが出入りするようになり、新規事業の販路はどんどん広がっていった。

しかし、社員のなかには「高岡銅器の着色の仕事で会社へ来ているのだから、新しいやり方にはついていけない」と折井氏の行動に反発し、どうしても折り合いがつかず、会社を去った者もいた。当時は「昔からの職人を辞めさせて、折井着色所は大丈夫なのか」と周りから言われることもあったという。
「会社を辞められるのは残念でしたが、新しいやり方にチャレンジしないと、会社が存続できない状況になっていました。気持ちを切り替え『これで本当に自分のやりたいことができる』と考えていました。」

折井氏は、当時の社長である父のやり方に反発し、しょっちゅう喧嘩をしていた時期があったという。「自分が新しい商品を開発して、新しいお客さんと取引を始めたころには、もう何も言わなくなりました。自分のやりたいことで結果を出していたのを見て『あいつにまかせてみよう』という気になったのだと思います。非常に良い形で世代交代ができたかな、と思っています。」

自社オリジナル商品製造などの新規事業をおこなうため、11年前に「有限会社 モメンタムファクトリー・Orii」を立ち上げた折井氏。「工場入口をショールームに改装する際、資金繰りに関しては父のバックアップがありました。事務所設立時に自分名義では融資が受けられず、父名義でお金を借りたからです。2008年の1月1日には晴れて代表になりました。」

現在では、アクセサリーなどの小物類からインテリアや大型建材まで幅広く銅製品を扱う。売り上げ比率は、高岡銅器の着色業が10パ―セント、建築インテリア関係が60パーセント、時計やテーブルなどのプロダクト製品が30パーセントにのぼるなど、折井氏が立ち上げた新規事業がメインの売り上げになっている。

伝統技術を守りながら常に新しいものをつくり続ける

モメンタムファクトリー・Oriiのように、伝統工芸だけに拘らず、新しいものを自社開発したり、新しい販路を開発したりすることでV字回復した会社は高岡市に何社もあるという。「伝統技術をちゃんと守りながら、産業としてやり方を変えればなんとかなるんだな、折井みたいになっていきたいなと思ってくれる人たちが増えてくれればいいですね。」

実際、折井氏の影響からか、鋳物業界では家業を継がないと思っていた人が、20代や30代で戻ってくるケースが少しずつ出てきたという。

「継承しないといけないものはありますが、技術をちゃんと学びながら常に新しいものを作るとか、突拍子もないことをして、それを最終的には普及させていくことが、これからの伝統工芸や町工場の生き残っていく道ではないかと思います」と折井氏は語る。

「伝統工芸」の既存のイメージにとらわれず、新しい分野を開拓することで、事業承継を成功させた折井氏。現在は、着色技術や銅板を使ったファッションアイテムの開発に取り組んでいるという。ファッション業界にも新しい「色」を生み出すべく、折井氏のチャレンジは止まらない。

モメンタムファクトリー・Orii