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事業承継

「仲間と箱根を世界に発信したい」
老舗日本旅館 14代目 安藤 義和 氏

  • 40-50代
  • 関東
  • 後継者
  • 地方創生
  • 新規ビジネス

この記事は6分で読めます

箱根登山鉄道宮ノ下駅から歩いてすぐに、足湯につかりながらコーヒーを楽しむ家族連れやカップルでにぎわっているカフェがあると聞いて、取材に出向いてみた。そのカフェは、山の斜面に建っており、箱根で300年続いた奈良屋旅館14代目安藤義和氏がオープンしたNARAYA CAFEだ。

NARAYA CAFE

(聞き手: 安倍宏行 ジャーナリスト ”Japan In-depth”編集長)

家業に入ったきっかけ

大学時代は都市計画を専攻していた安藤氏。そのころ両親はまだ旅館で仕事をしていたが、相続で手放さなくてはいけないことは分かっていた。卒業後、日本工営という建設コンサルタントの会社に就職した。


担当したのはアフリカ。エチオピアを担当し農業開発の仕事にのめり込んだ。楽しかった。しかし、その時、ちょうど奈良屋旅館が閉館した。2001年、父母と一緒に旅館を閉めて引っ越すところに立ち会い、自分の実家である旅館がなくなってしまうということに対し忸怩(じくじ)たるものがあったという安藤さん。


その後2年半だけ開発コンサルタントの仕事を続け、大学院の博士課程に戻り、街並みの保全についての研究に没頭した。その時、広島県鞆の浦、富山県越中八尾などに調査に入っていた。その研究が、その後箱根宮の下にカフェを作ることに繋がったという。

奈良屋旅館14代目安藤義和氏

「色々な地方の観光都市とかに行くと地元のステークホルダーというか、重要な方が動けばすごく変わっていくのを目の当たりにしたのです。自分は研究者としてアドバイスをするよりは、自ら動くべきではないか、とその時思いましたね。」


安藤氏の言う、「専門家からアクター(行動する人=当事者)」に変わる決心をした瞬間だ。


「その当時、2000年代初頭はまだインバウンドの黎明期。ゲストハウス的なものは、浅草や京都にしかありませんでした。でも、いつか箱根にも確実に外国人旅行客が集まってくるだろうと。その当時古民家を改装してゲストハウスにするというのは割と新しかったので、まずはそのコンセプトで手をつけ始めたのです。」

仲間との再会

安藤氏の背中を押したのは実は、中学の同級生だった。彼の名は石井尚人さん。(現:コンセプトメーカー代表 MOUNT FUJI ARCHITECTS STUDIO のメンバー)で、2000年頃、ひょんなことから小田原の町で再会した。当時はおじさんの飲食店の改装をやりつつ一緒に経営をやっていた。安藤さんは大学に戻り、これから学位をとって研究者となっていくのかどうするのかとモヤモヤしていた時期でもあった。


「研究者になるなら論文をどんどん出していかなければいけないけど、自分よりそういうのが得意な人間は沢山いるので、ちょっとフラフラしていた時がありました。その時ちょうど彼と出会いました。うちの旅館を閉めた後に、物置みたいになっている建物が気になったので、何かできないか石井君に相談したんです。」


自分なりに青写真を温めていた安藤さん。施設を宮の下の町に波及効果のあるものにしたいとひそかに思っていた。そのコンセプトに賛同した石井さんは大学の先輩で、ともにMOUNT FUJI ARTCHITECT STUDIO を運営する原田正宏さん(彼は隈研吾さんの事務所で働いていた)を連れてきた。ここから話は一気に進む。

MOUNT FUJI ARCHITECTS STUDIO

「その彼らとの協働で、最初のマスタープランが作られたんです。この土地は傾斜になっていて、NARAYA CAFEは実は上が一階で、下が地下一階でした。今の足湯のところにも家が一棟あり、この坂の傾斜がちょうどカフェの地下一階と一個飛ばした『ならやあん』の建物とがフラットに繋がり、三つの建物を立体的に活用するプランです。彼らは『ナラヤプレート』と呼んでいますが。」

NARAYA CAFE

「最初は彼らが提示してくれた案というのは予算オーバーだったので、セルフビルドとかを考えて身の丈にあった予算でできないかなと考え、一旦その案は保留にしたのです。そしてまずは解体作業を石井君と一緒にツナギ着て、じゃあ今日ここ壊そうかとか言って、もう本当に中学時代のノリでやりましたね。それをその当時ブログに載せて発信したら、結構友人から励ましをもらったりして。それが今もやっている「NARAYA CAFEのできるまで」というブログなんです。」


その後、材木屋さんを通じて、後に小田原城の大改修を棟梁として切盛りすることになる芹澤毅さんという伝統建築の大工さんに巡り合った安藤さん。古い柱や、腐っているところを接いでもらったりした。まさに「チームNARAYA」とでもいうべきグループが出来上がった。そして2007年、NARAYA CAFEが完成した。現在はフルタイム2人と週末のパートタイムが4、5人働いている。

NARAYA CAFE

NARAYA CAFE

ファミリービジネスとしてのカフェ経営は安定しているという安藤さんだが、これからさらに投資をして新たな層を呼び込むとなるとそれ相応の覚悟がいるだろう、と話す。安藤さんが多くの人に伝えたいと思っている箱根の魅力について聞いてみた。


「私は、箱根の多様性が非常に魅力だと思っています。秋は仙石原のススキが綺麗で凄くいい。5月のツツジの後は、梅雨シーズンで箱根登山鉄道沿線のアジサイが見事です。普通の観光地はハイシーズン、ローシーズンと浮き沈みがあるが、箱根は要所要所に吸引力を必ず見出すことができるので、強いと思いますね。」


今後「NARAYA CAFE」はゲストハウスのような施設を現在建築中だ。完成は、2020年の東京オリンピック・パラリンピックを睨んでいる。


「やはり東京オリンピックというタイミングは、間違いなく世界が日本に注目します。そこで何かメッセージを発せられるチャンスというのは非常に大きいなと思います。」


既に箱根にはゲストハウスが出来始めている。強羅の「HAKONE TENT」などがそれだ。今安藤さんはまさにゲストハウスをどのような形にしていくのかに取り組んでいる最中だ。現場を見せてもらった。


大規模改修中の冨士屋ホテルから、使わない猫足のバスタブを2個もらい受け、お風呂に設置しようと考えていることや、崖に露天風呂を作る構想などを話してくれた。


「初心に戻るというか、NARAYA CAFEをやっていた時、日々埃まみれで解体作業していた時のようなあの楽しさを、皆でもう一回味わいたいというのはありますね。」


そう話す安藤さんは本当に楽しそうだ。まだ宿泊スペースは骨組みだけだが、完成したらどんなゲストハウスになるのか、考えただけでもワクワクする。NARAYA CAFEは止まらない。更なる進化を遂げ、このHAKONEという様々な顔を持つ観光地の名を世界に知らしめるために、新たなステージに進もうとしている。

これから継ぐ人へ

最後にこれから家業を継ぐ人へのアドバイスを聞いた。

奈良屋旅館14代目安藤義和氏

「今の形にこだわらなくてもいいのではと思います。長く続いた会社というのは形が変わってくるわけです。トヨタ自動車も、もともとの紡績から自動車メーカーになった。家業では、代が変わるということは、変われるチャンスだと思う。こんなところいたくない、外に出たいとかそういう葛藤を感じる時期はあると思うが、外に色々な興味も満たしつつ、両親が守ってきた家業をストレスなく継ぐことができたらいいのではないかと思いますね。」


とはいっても、家業を継ぐ可能性のある高校生とか大学生とかの悩みはそう単純でもないだろう。「義務感」と「自己実現」との狭間で葛藤する人は多そうだ。自分のやりたいことと家業が繋がるタイミングというものは果たしてあるのだろうか?


それを気づかせてくれるのが仲間なのではないかと思います。まず仲間と体を動かしてみるということがNARAYA CAFEにとっては重要だったのです。今はまた悶々としている時期に差し掛かっているので、それを打開するために、一丁みんなで体を動かしますか!ということになっているのかもしれないですね。(笑)」




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