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事業承継

八重山の伝統工芸を「いつの世までも」伝えていく
株式会社あざみ屋 代表取締役社長 新 賢次 氏

  • 60代-
  • 卸売小売業
  • 製造業
  • 九州・沖縄
  • 後継者
  • 新規ビジネス

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石垣島、西表島などが連なる八重山諸島。独自の文化が根づくこの地には、「いつの世までも末永く」という想いがこめられた「八重山みんさー織」が伝わっている。一時は途絶える寸前だったこの伝統工芸を復活させ、生活に寄りそう織物に育んできたのが株式会社あざみ屋だ。素朴な絣織りは色鮮やかなバッグ、雑貨としてよみがえり、海外のファッションショーでスポットライトを浴びる存在になった。八重山の想いはいかにして受け継がれ、そして次代に伝えられていくのか。2代目の新賢次氏に聞く。

株式会社あざみ屋 代表取締役社長 新 賢次氏

株式会社あざみ屋
代表取締役社長 新 賢次氏(あら・けんじ)

1958年生まれ。沖縄県石垣市出身。1971年に創業したあざみ屋の2代目。大学卒業後に2人の姉に続いてあざみ屋に入社。みんさー織の製造、加工、販売を手がける同社で創業者・新絹枝氏をサポートしてきた。創業30周年を迎えた2001年に代表取締役社長に就任。パリ・コレクションの作品制作、ミンサー全書の発刊などを通してみんさー織の普及、啓蒙に尽力している。

一時は途絶えた八重山の伝統織物が
鮮やかな色彩と現代的なデザインで蘇った

「みんさー織」とは、石垣島や竹富島などに伝わる木綿織物。絣が「五つ」と「四つ」に並ぶ模様が特徴だが、これは女性が「いつ(五つ)の世(四つ)までも末永く」という思いを込めて帯に織り、愛する男性に贈ったものだという。八重山には「八重山上布」という伝統織物もあるが、こちらは琉球王朝への献上品。みんさー織は庶民の生活の中で使われ、親しまれたカジュアルな織物だった。

しかし、洋装が浸透した戦後はみんさーの織り手も次第に減少。消滅の危機にひんしたこともあった。そこに新風を吹き込んだのがあざみ屋だ。1954年、石垣島で「あざみ洋裁店」として創業。洋品店への転業を経て、1971年にあざみ屋が設立される。みんさー織の復興に立ち上がったのが新絹枝氏。創業の経緯を息子の賢次氏に語っていただいた。

「みんさー織の帯との出合いがすべての始まりでした。素朴でぬくもりがある柄の魅力に惹かれ、洋裁の技術を生かして帯の加工品を作りました。幅の狭い帯では用途も限られるので幅広にし、藍染の一色染めから多色染めに工夫しました。母はみんさー織研究所を立ち上げ、特徴である模様が綺麗に見えるよう、試作を繰り返しました。この試行錯誤の先に『あざみ屋』の事業化が見えてきたのです」

こうして、赤や黄色など、南国の豊かな色彩が鮮やかな「新生」みんさー織のバッグ、小物たちが誕生。ぬくもりある手織りは、現代ファッションの一アイテムとして蘇った。

「藍染一色を多色染めにするのはみんさー織の伝統を壊すものではないか?という声もあったようですが、地元で工芸を手がける方々からは『いろんなバリエーションをそろえてこそ、今の生活に合ったものになる』という応援をいただきました。残すべきところは残していく。その上で、今の時代に受け入れられるものづくりを続けていく。これが私たちの思いです」


伝統を継ぎながら、革新を目指していく――絹枝氏の創業理念は、あざみ屋の製品に今も息づいている。

外部とのコラボで刺激を得ながら
新たな事業に積極的に乗り出していく

「2人の姉があざみ屋で働いており、私も大学を卒業後にすぐ家業に入りました。家族、姉弟が一丸となって働く同族企業です。もう何十年も一緒にやってきていますから、お互いの考えも熟知できていますね。創業30周年を節目として私が2代目を継ぎましたが、業績を伸ばしていかなければという思いで必死にやってきました。経営のバトンを受け取ったということは、先代の思いも受け継いだということですから」


あざみ屋の代表として、時代に合ったものづくりをけん引する新氏。2000年には島内に向けてみんさー織のかりゆしウェアを発表した。創業当初から展開するバッグ、小物は島外から来る観光客をターゲットにしたものだった。

しかし、かりゆしウェアは島内のカジュアルウェアとして販売している。日常に寄りそうみんさー織の理念に合致しつつ、観光シーズンという繁忙期に左右されない強固な経営体制へ。事業の多角化、経営の安定につながる打ち手だ。また、2代目社長の体制になってからは異業種とのコラボも活発だ。


気鋭のファッションデザイナー・星野貞治氏と組み、パリ・コレクションで作品を発表。石垣島出身のシンガー・夏川りみさんがNHK紅白歌合戦に出場した際は、舞台衣装を製作した。タペストリーなどインテリアデザインへの進出にも意欲的で、展示会にも積極的に出展している。

「パリコレなどの作品制作を通じ、外部のデザイナーから大きな刺激を得ることができました。アパレルの流行は1年ごとに移り変わり、今年のデザインが来年はもう古いと言われてしまいます。常に考え続け、新たな意匠を生み出していく。大変ですが、これは私たちの仕事の宿命のようなものです。ものづくりも経営も、チャレンジという意味では同じです。失敗もあり、成功もある。だけど、乗り越えて挑戦を続けていくことが大切だと学びました」

いずれやってくる事業承継へ
創業者の思いをしっかりと受け継ぎたい

あざみ屋の社員は約60名。みんさー織の一大メーカーとして、糸の染色から織り、製品化まで一貫して手がけている。工房にはグッズの販売と織物体験スペースを備えた「みんさー工芸館」を併設。みんさー織の普及、啓蒙にも取り組む。

「工芸館を開いたのは1970年代のことです。織物体験をしていただきつつ、オープンな工房を多くの人に見ていただきたい。そんな先代の思いがありました。みんさー織はおよそ30もの工程を経る手仕事です。職人の手から手へ、手仕事が連携したその先に、ようやく製品として完成します。完成した商品はもちろんですが、このプロセスを見てもらって初めて、みんさー織を体感していただけると思うのです」

みんさー織の普及、啓蒙に意欲を燃やす新氏。「社長業も、もうすぐ20年。経営者としての自覚も、ようやく出てきたところです」と笑うが、創業者からバトンを受け取った責任感は、片時も離れない。みんさー織への熱い思いを渡すべく、あざみ屋の次代にも思いを巡らせる日々だ。


「私の3人の子どももあざみ屋に入社し、みんさー織に関する業務に携わってもらっています。事業承継はこれから本格的に取り組んでいくことですが、創業者の思いはしっかりと受け継いでいきたいと思っています」


伝統を継ぎながら、革新を目指していく――創業者の思いを継いだ2代目として、外部とのコラボやかりゆしウェアの製作など、新たなビジネスを模索してきた。みんさー織の原点を守りつつ、次代の後継者にはまた新たなビジネスを見つけ、次のステージに進んでほしい。近い将来に、新氏はあたたかな瞳を向けた。




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