父が築き守ってきたプロテック 「人のために」の理念を貫きたい プロテック株式会社 代表取締役 小松 麻衣氏
- 40-50代
- 北海道・東北
- 女性経営者
- 後継者
写真)サイボク
埼玉県日高市に「サイボク」という名前の商業施設がある。加工豚肉の直売店やレストラン、子ども達が遊べるアスレチック広場、温泉施設を有し、老若男女が一日楽しめる当施設は、まさに「食と健康のユートピア」だ。運営企業は「株式会社埼玉種畜牧場」と言い、埼玉と牧場の頭文字を取って「サイボク」と呼ばれるようになった。
「種畜牧場」の名の通り、サイボクは種豚改良から養豚、食肉加工、販売まで一貫体制で行う全国でも珍しい企業だ。2代目社長である笹﨑静雄氏に、その創業者である父、龍雄氏について話を聞いた。
「非常に厳しい人だった。父からの教えや理念は自分の中に色濃く残っている」
そう語る笹﨑氏。
元々、長野県の農家の生まれで、8人兄弟の次男坊だった龍雄氏。家畜を保有しながら農業を営む「有畜農業」を生業にしていた。その龍雄氏はなぜ養豚を始めたのか。
「豚は農産物の藁や残渣(「ざんさ」、ろ過したあとなどに残ったかす)も食べる。豚の糞は肥料として畑に還元される。春になると子豚が生まれ臨時収入になる。天候に左右される稲作において、豚は農家の保険だった」
幼少期を豚とともに過ごした龍雄氏は、獣医師を志す。しかし、財政的な理由で大学進学を断念。そんな折に願ってもないチャンスが訪れた。
陸軍が出資して獣医師を志す者を募集したのだ。採用者3名の枠に応募者が1000名も殺到。龍雄氏は3名のうちの1人に見事合格。選ばれ、東京帝国大学農学部実科へと進学した。
しかし、卒業と同時に太平洋戦争が勃発、龍雄氏は満州に赴き最後にはフィリピンへ向かった。そして、「マレーの虎」の異名を持ったかの山下奉文陸軍大将と共に、敗戦の責任をとって割腹自殺を進言することになった。
その時、山下大将は龍雄氏ら青年将校にこう言ったという。
「責任は自分一人が取る。君たち若い将校には祖国復興を命ずる。これが最後の命令である!」
フィリピンの地で龍雄氏は肉を食べて力をつける敵軍の様子を見て、日本軍の敗因は食料にあると確信した。
「豚を飼おう。それも種豚改良からやる。そこから始めないと日本は世界に遅れを取ってしまう」
その思いから生まれたのが「埼玉種畜牧場」だ。日本で初めて種豚の改良を産業化し、「種豚のサイボク」として一躍名を馳せた。カリスマ経営者の誕生だった。
「カリスマ」である父龍雄氏が築いた事業を継承する気などなかった静雄氏。その幼少期は過酷だったと言う。
「いじめ」である。
「広い牧場は辺境の地につくられるのが常だ。小学校へ通うのに毎日山道を4キロも歩いた。そのうえ豚を飼っているから臭いとか、さんざん陰口を叩かれた。親父は帝国軍人だったのでとても歯が立たない。だったら代わりに息子をやっちまえ、ということでいじめが起こる」
この幼少期のつらい経験が今の静雄氏を作った。
「お陰で僕は正義感が強くなった。職業によって人をいじめたり差別したりするような理不尽な世の中を何とかしたいと、ジャーナリストになろうと思った。だから大学もそういうところを受け、合格もした」
が、しかし・・・
合格通知書は父龍雄氏に破り捨てられた。
「『お前は長男だから、獣医学部へ行け!』と引っ叩かれた」
だからといって、簡単に宗旨替えは出来なかったはず。腹を決めたきっかけは一体何だったのか。
「デビット・リーン監督の『アラビアのロレンス』という映画が、人生を変えた。理想を持ちながらどう自分の仕事をやっていけば良いのか。そういう意識がムラムラと湧き上がり、畜産を農家の生業の一つとしてではなく、人々の生活に不可欠で大切な基幹となる産業に引き上げていこう。全国に種豚の出荷をしているのだから、農家の夢と誇りを作る責任がある」
そう考えた。
浪人して日本大学獣医学部に進学した静雄氏は、そこから猛勉強に走る。面白そうな先生がいると聞けば、他大学に潜り込んででも勉強した。
貪欲な知識欲、持ち前の好奇心。知りたい!と思ったら誰にでも会いに行き教えを請う。彼らはむき出しの探究心を隠さない静雄氏を可愛がりそして、惜しみなく知識を与えた。
「勉強や知識も大事だが、それに加えてどんな友達を持ち、どんな先生から学び、どんな青春を過ごしたかが一番大事」
「今なお青春」そう笑う静雄氏は、73才となった今もなお好奇心の塊だ。
現在の「ミートピア」サイボクを築き上げた静雄氏。2代目としてどのような経営を心がけてきたのか。
開口一番上げた言葉が「不易流行」だった。
不易流行とは、松尾芭蕉が説いたと言われる蕉風俳諧の理念のひとつ。いつまでも変化しない本質的なものを大事にする一方で、新たに変化していくものをうまく取り入れていく姿勢を指す。
「原理原則を大切にしながら、時代の風を取り込む。このバランス感覚が大切だ」。
時代の風を取り込む。そのためには挑戦を惜しまない。それがまさに静雄氏の真骨頂だろう。それをよく表すエピソードを2つ紹介する。
1つは、「ディズニーに学べ!」だ。
静雄氏がアメリカのディズニーランドに旅立ったのはなんと43年前。東京ディズニーランドが出来る遥か前だ。
「当時はまだブランディングと言う概念が浸透しておらず、ディズニーランドに勉強しにいくと言ったら、遊びに行くだけじゃないかと社内で袋叩きにあった」
そう、静雄氏はその時代からブランディングの重要性を理解していたのだ。
サイボクの温泉施設「花鳥風月」は、そのディズニーのブランディングを参考にして作られた。ディズニーを視察した時静雄氏は、全ての建造物が位置、高さ、大きさなど計算し尽くされていることに気づいた。
よし、「花鳥風月」もそのように作ろう。
そう心に決めた静雄氏だが、当然のことながら社員全員が絶句した。
「なぜ、温泉?」
しかし、「食と健康の理想郷」づくりには、温泉と緑と広い空間が重要な要素になる!と強引に押し切った。
「温泉エリアは『花鳥の湯』と、『風月の湯』の2つのゾーンに分けて設計し、毎週、男湯と女湯が入替わる。春夏秋冬の四季のイメージを配分し変化を持たせて、どこからでも違った風景が楽しめるようになっている」
いま、サイボクを訪れる人々の楽しみのひとつは、エリア内を巡りながら、自然のまま残された森の木々を眺めることだ。自然との共生、そこにこそ、人の健康の源がある。ディズニーから教わったブランディングの神髄がサイボクに息づいてる。
写真)温泉施設「花鳥風月」
もう一つのエピソードは「食の世界への飽くなき挑戦」だ。
ハム、ソーセージと聞いたら誰でもドイツを思い浮かべるだろう。その本場、欧州国際食品品質コンテストに静雄氏が挑戦したのは24年前の1997年のこと。
このときも父龍雄氏始め、工場スタッフからの猛反対にあった。
曰く、
「そんな金をかけてどうするんだ」、「もし入賞できなかったらサイボクの名が汚れる」
当時専務だった静雄氏はまたもや反対を押し切って渡欧した。
「渡航費は俺のボーナスを返上する。入賞できなかったら再び挑戦する。ノー・チャレンジ・ノー・フューチャーだ」
結果は・・・
持って行った13点の商品すべてが入賞した。第一報を聞いた父龍雄氏は事務所で小躍りして喜んだという。
それで終わらないのが静雄流。「チャレンジすることで人材が育つ」。その後毎年のように国際コンテストに挑戦し続け、賞を総なめにする。2019年までに実に金メダル1045個、銀メダル349個、銅メダル127個、総メダル数1521個を受賞した。
サイボク内のミートショップには金のトロフィーが燦然と輝く。
静雄氏の経営哲学が世界に認められた証だ。
去年から続く新型コロナウイルス感染症拡大の影響は、すべての産業に及んでいる。サイボクだとて例外ではないだろう、そう思った。
確かに商品の売り上げは2020年4月~5月に7割になったという。しかし、通信販売がサイボクを救った。これまで地道に開発してきた商品がステイホームの中、通信販売で爆発的に売れたのだ。蓋を開けてみれば2020年の売り上げは前年比プラスになっていた。
「通販を前からやっていたから良かった。信頼、信用の裏付けがあってはじめて通販が長続きする。長い間コツコツまじめにやってきた成果でした。お客さまに感謝です」
『うちの子どもがサイボクのウィンナーが好きでね、食べないの、他のものは』
そうお客さんが言うんですよ、と静雄氏は嬉しそうに笑う。子どもの舌は正直だ。品質の良い物、美味しいものを子どもはちゃんと知っている。
サイボクは「健康で美味しい豚肉」をテーマに、日々種豚の改良・選別を行っている。豚の話をする時、静雄氏の目の色が変わる。曰く、
・豚は中国で1万年前から家畜として重宝されてきたこと
・豚の臓器は人間の臓器と細胞の構造がそっくりなこと
・子豚のお腹がふっくらしているのは、胃と腸や骨の基礎を作っている証拠。人間の子どももそう育てると丈夫になる
・豚の胎盤(プラセンタ)は化粧品や医薬品に使われていること
豚ほど人間との関わりが深い動物はいない。 そして愛情を注いで育てた豚は、美味しいお肉となる。
「人間の都合や効率だけで飼う豚は幸せじゃない。豚の幸せを追い求めた結果として豚は美味しい肉を残してくれるんだ」
静雄氏の説く豚の話に、すっかり我々も魅せられてしまった。
後継者はほぼ長男と決めている静雄氏だが、自分の子どもだから社長にするというわけではない、ときっぱり言う。
「会社の発展は、社員がきちんと仕事が出来る環境を整えること。社員がニコニコして美味しいハムを作っているからお客さんが来てくれる。後継者はそのためにどんな努力をしたかどうかだ。社長の条件としてそこだけは絶対譲れない」
最後に今後の展望を聞いた。その夢は壮大だ。
「食を通して、人類全体の健康産業を担うところまでを視野に入れて精進していく」
そしてこう続けた。
「幸せな豚を作らない限り、人の為に真にお役に立つ豚肉を創ることは出来ない」
「みんな豚から教わったんです。」
お客さまの声をお聞かせください。
この記事は・・・