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事業承継

食べる人、素材生産者、つくる人
そのすべてを和菓子で笑顔に
株式会社常陸風月堂 代表取締役社長 藤田 浩一氏


  • 20-30代
  • 関東
  • 後継者
  • 新規ビジネス

この記事は8分で読めます

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茨城県日立市で創業75年になる和菓子屋「常陸風月堂」は、菓子を求める人が絶えない近隣ではなじみの店。三代目の藤田浩一氏は職人修行後、家業に入るも空回りばかりの日々を送っていた。それを変えたきっかけは、勉強会やイベントで出会う人からの学びだった。今や1本1万円という日本で一番高価な栗蒸し羊羹を手に、世界に和菓子を広めようと勝負する日々だ。何度もどん底を味わった藤田氏が、いかに本当にやりたいことに気づいたかを聞いてみた。

家業の外に出てみたら
欲しい情報が溢れていた

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2009年、25歳のときに修行先である神奈川の和菓子店から家業に戻った。

「今までしてきたことを試したくて、自分なりの和菓子をつくっては店に並べてみました」

これがまったく地元では受け入れられず、売れなかった。

「それを見ていた親父に『このままでは、お前は店をつぶしてしまう』とまで言われてしまいました」

今、考えるとお客さまの求める菓子ではなく、独りよがりで目新しさを追いかけていたと言う。

「なぜ売れないのかわからず、誰にも相談できずにもんもんとした日々を送っていました」

2020年、知り合いからエヌエヌ生命主催の「家業イノベーション・アイデアソン」というイベントに誘われた。

「そこではさまざまな家業をもった人たちが、新しいアイデアを考えてプレゼンしたり、アドバイスをもらったりしていました」

どんなアイデアを口にしても否定されず、「ああしたほうがいい」「こうしたら」と自分のことのように言ってもらえることに新鮮な驚きを覚えた。

「職人の世界しか知らなかったので、マーケティングやデザインの専門家がいることを初めて知りました。それに家業を持つ方々と意見交換したり、相談できる場所があるのがありがたかったですね」

ひとりで悩んできたのが、突然扉が開き、目の前が明るくなったように感じたという。

「わからないなら、誰かに聞けばいい。自分が進んで行動しさえすれば、詳しい人に意見をもらうことだってできるんだとわかったときはうれしかったですね」

これがきっかけとなり、茨城産の「笠間の栗」をぜいたくに使った栗蒸し羊羹を商品化することができた。

菓子を値上げしても
売れ行きは落ちなかった

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「高価な和菓子は、売れない」という父、藤田正照社長(当時)の言葉に反して、この栗蒸し羊羹は売れ行きを伸ばし、ようやく一目置かれる存在になれたという。

「店を建てた借金を完済し、70歳になったことを機に父から打診を受け、2020年に事業承継しました」

社長になって手掛けたのが、経営理念の明文化やレジや勤務管理のIT化などだ。

「同時に適正な商品価格への変更も行いました」

社長になる前から母から引き継いで経理を担当していたものの、いざ自分が経営してみると会社に資金がほとんど残らないのに驚いた。

「父は、よい材料を使って手づくりで丁寧に菓子をつくり、安く売ることを信条としてきました。でも、従業員の生活を守るためにも、値上げをしなければと考えました」

税理士とも相談し、正照会長を説得し値上げに踏み切った。その後、お客さまが離れることなく以前より売上個数を伸ばしているという。

「三代に渡って、同じ菓子を買いに来てくださるお客さまもいます。素材のよさと手づくりの丁寧さ、おいしさが伝わっているのだとうれしくなります」

今も会長の口癖は、「常に新しい商品を考えておけ」と変わらない。

「駅から遠いこの店にわざわざ来てくださるお客さまに菓子を選ぶ楽しさがないといけないとずっと言っているんですよ。普通の店は30品目が一般的ですが、うちは120品目もあるんです」

おいしい菓子をつくり続けるためには、お客さまはもちろん、小豆や栗や牛乳といった原材料の生産者も、菓子をつくる従業員も幸せになる仕組みが必要だ。

「それを考えて、うまく経営することこそ自分がやるべきことなのです」

誰かが喜んで笑顔になる
それが自分のやりがいに

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2021年、「茨城県北ビジネススクール」の新ビジネス支援講座に参加した。

「ここで3カ月間、自分と向き合い内省したことが、今につながる大きな原動力になっています」

講師から「本当にやりたいことは何か」と問われ、「和菓子の伝統を未来に残したい」と答えたところ、却下されてしまった。

「それは家業の後継ぎという枠での言葉でしかないと指摘されました。本来の自分がやりたいことは何なのかを問われたのです」

そこから自問自答するつらい日々が始まった。考えても考えても、モヤモヤが残る。あるときビジネススクールのメンターにこう聞かれた。

「この栗蒸し羊羹のリーフレットに”本気でつくりました“って書いてあるけど、これ誰に向かって言ってるの?誰に食べてもらいたいの?と」

それを聞いて“ハッ”としたという。

「自分は親父に向かって言っていたんだと気がついたんです。反抗心ですよね。売れるわけがないと言った親父を見返したくて、菓子をつくっていたんだと」

そこから素直に内省することができるようになり、自分が本心からしたいことを考え抜いた。

「そんなとき、幼年時に独り占めできた時の母や祖母との時間を思い出したのです。二人を笑顔にしたくて、おどけたらすごく喜んでくれて、それはそれは幸せな瞬間でした」

自分は、ああいう笑顔が見たいんだ。人が笑うと心からうれしい。そのために菓子をつくってるんじゃないかと気がつくことができた。

「その瞬間、涙が勝手に溢れ出て、止まりませんでした。琴線に触れるってこういうことなのかと」

今、胸を張って言っていることがある。

「常陸風月堂に関わるすべての人を笑顔にしたいと思って、『笑顔の連鎖と循環』をモットーに行動しています」

希少価値の高い栗羊羹で
海外での和菓子販路を築く

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このビジネススクールの最終発表会で、茨城県産の「飯沼栗」を使った1本1万円の高級栗蒸し羊羹「万羊羹」を国内外で販売する事業案が、最優秀賞を受賞した。

「一つの毬(いが)に1個しかならない希少な大粒栗を丁寧にむき、丸ごと使いました」

今までは菓子をつくることだけを考えてきたが、今度は販路や広報戦略を考えビジネスを形にできたという。

「まずはクラウドファンディングで売ることにしたのですが、予想を超える反響があり多くの資金が集まりました」

これを知った台湾のクラウドファンディングの会社からも引き合いがあり、日本の和菓子店として初出店したところ、これも大好評を博した。

20232月には、台湾で行われた茨城県主催の見本市での商談会に参加しました。多くの方に試食していただき、味に感動したと言ってもらえました」

その手ごたえもあり、この6月には台湾のECサイトで販売をスタートすることになった。

「いつか海外でも和菓子を売ってみたいと言っていた夢がかないます」

受注生産のしくみや真空パック技術を取り入れたことが、後押しをしてくれた。

台湾での販売価格は、日本の2倍になる予定だという。

「日本より一人あたりのGDPが高い諸外国では、高品質で本当によいものであれば、値段が多少高くても需要があるということがわかりました」

まずはやりたいことを口に出し
行動すれば、必ずかなう

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今、こうして自分が「万羊羹」を手に世界との関係を深められるのは、さまざまな人との出会いがあり、臆せずに教えを乞うたからだと考えている。

1万円という挑戦的な値付けに踏み切れたのは、プロダクトデザインのプロに助言してもらえたからです。日本一高い価格設定にチャレンジする意味がある。もしダメなら、そのあとでまた値段を考えればいいと発想の転換を教わりました」

今では、何かあったらまずやってみて、失敗したらくよくよせずに修正し、次につなげようと考えるようになった。

「どんどんやりたいことを宣言して、自分で行動すると手助けをしてくれる人が周りにいっぱい生まれるんですよ。その実績が残るから、また新しく動きだせる。『幸せの循環』ですよね」

もちろん今でも失敗をするし、悔しい思いもたくさんしている。

2022年の『アトツギ甲子園』では落選しました。ちょっとテングになっていたんだと思います」

2023年、年齢的に最後のチャンスだと再び応募した。

「資料作成などを初心で見直し、茨城県勢としては初の決勝進出をすることができました」

全国大会での入賞はできなかったが、事業と自分を再度見つめ直すよい機会になった。

「この時『自分に正直でいられるか』が何より大切なのだという気づきを得られました」

自分に正直に笑顔でいると
人も幸せに、笑顔にできる

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「アトツギ甲子園」全国大会前に、かつてお世話になったメンターの方々にプレゼン練習をしてもらいながら、「このままの資料では、この大会の審査基準を突破できない」ことをすでに感じ取っていた。

「全国大会でも活躍をという周囲の期待を痛いほど感じていました。だから入賞を狙うなら、それにふさわしい形に変える必要があるとわかっていました」

かつて、そんな風に自分が期待される立場になることはなかった。だからこそ、今回はそれに応えられる自分でありたいと強く思ってしまう。しかし、そのためには自分の信条を曲げて、入賞するためだけに資料を加工する必要があった。

「自分の信念と周囲の期待の板ばさみで、ものすごく悩みました。資料提出30分前まで、どん底の気持ちで葛藤し続けました」

最終的に「自分は何をしたいんだ」と再度自身に問いかけてみた。すると「今の正直な自分の思いを伝えたい。それだけだ」と腹落ちした。

「最初の資料のまま提出し、プレゼンしたので入賞は逃しましたが、あれでよかったと心から思っています」

みんなを笑顔にするためには、まず自分が笑顔でいられなければ、できっこない。

「あのとき、自分の信条を曲げないで本当によかったと思います。そして入賞よりも、同じ後継ぎの立場の人と知り合えて、情報交換をしたり、つながることができたことが何よりのご褒美でしたね」

常陸風月堂のおいしい和菓子を手に、これからもっと世界に出ていきたいという。

「最初の一歩を踏み出すには勇気がいるんですよね。でもその小さな一歩を踏み出してみれば、違う世界が広がっているし、世の中にはすごい人がたくさんいることがわかるんです。自分は、そんな人に会うとすぐに相談を持ちかけます。だって得意な人に聞いたほうが早いじゃないですか」

おいしい和菓子で世界中に笑顔を届ける日も近そうだ。


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