内容へスキップ

経営のヒント

女性経営者座談会
私たちができたから、あなたにもできる!
「女性たちの事業承継応援記」

  • 女性経営者
  • 後継者

hourglassこの記事は8分で読めます

女性たちが、夫や父親、先代の経営者からある日突きつけられた事業承継という大仕事を、どのように取り組み、乗り越えてきたのか?そして現在に至るまでの経営者としての取り組みを3人の女性に座談会という形で語り合っていただきました。
3回連載の第1回は事業承継した経緯と次へつなぐお話です。

 

事業承継のきっかけは三者三様
経営者は苦しい。だからこそ、限りなく楽しい

参加者紹介

アイキャンディ株式会社 代表取締役福森 加苗氏
アイキャンディ株式会社 代表取締役
福森 加苗氏
https://eye-candy.co.jp/
WEB 制作、広告デザイン会社/資本金 2000 万円/従業員数 20人

1993年設立。2007年先代の創業社長から事業承継され、代表取締役に就任。
2008年社名変更、2009年自社ビル建設、社屋移転。
株式会社テイ製作所 代表取締役 田中 和江氏
株式会社テイ製作所 代表取締役
田中 和江氏
https://www.teiseisaku.co.jp/

株紙器抜型製作、強靭ボード製ディスプレイスタンド設計製作/資本金 500万円/従業員数 9人
1992年創業。2016年法人化し、代表取締役社長に就任。2018年本社、工場移転。
株式会社茨城ケミカル 代表取締役 大和田 美佳氏
株式会社茨城ケミカル 代表取締役
大和田 美佳氏

業務用洗剤や衛生管理用品の販売卸、衛生管理のコンサル業務/資本金 1000万円/従業員数 7人
1970年創業。2007年父親である先代社長の死去に伴い、母親が社長に。その後2010年事業承継し、代表取締役社長に就任。
 

ママになる準備をしていたのに
経営者としての人生が急に始まった

株式会社茨城ケミカル 代表取締役 大和田 美佳氏

大和田 12年前に父が突然亡くなってしまって、事業承継しました。東京で情報誌の営業の仕事をし、結婚もしてそれなりに充実していたのですが、茨城の実家から帰って来いと強制帰還の声がかかりました。おなかに子どももいたので戻ったはよいけど、すぐに産休を取るみたいな感じでしたね。一旦は、経理をやっていた母が社長になりましたが、経理と財務の違いもよくわからないようでしたので、私が社長になりました。

福森 じゃ、自らですか?チェンジ!みたいな。

大和田 はい。母は、自分が辞めることも決められないので「もう辞めようね、退職金出すから」っていう引導を渡したことになりますね。

田中 ほかの人に会社を託す選択はまったく考えなかったですか?

大和田 考えましたよ。父の代からの古参の部長がいて、自分が社長になれると思っていたみたいでした。でも、突然娘が東京から戻ってきた。しかも茨城弁も分からない旦那を連れて来たみたいな状態になって・・・。

福森 おお、ご主人も連れて帰られたんですね。

大和田 主人を社長にしようとしたんですけれど、「君の実家の事業だろ?」と言われて(笑)。「俺は嫌だよ。手伝うは手伝うけど」ということになり、「じゃあ、もう仕方ないわよね」って腹をくくったという感じです。

田中 古参の方はどうされました?

大和田 はじめは私も分からないので、「あれはどういうことですか」などと聞いたりしてたんですけど、だんだん肝心な部分は教えてくれないんだなとわかってきたんです。それに「これをお願いしたいのですが」っていうと逃げられたり。だんだんもしかしたらサボってる?というのが見えてきて。そうこうしているうちに、居心地が悪くなったのか自分から辞められました。それで、もうやるしかないなという感じで引き受けましたね。

 

妹が大学生になるまではと
父の仕事を引き継いでみたものの

株式会社テイ製作所 代表取締役 田中 和江氏

田中 私の場合は、10年前に祖母が倒れたことで、個人事業主だった父が会社をたたむと宣言したことがきっかけでした。6人兄弟の長男として、自分が母親の介護をやらないときっと後悔するから、と。でもわが家の収入がなくなるのと今度は父が倒れてしまうのではと私が大反対しました。そのときにまだ小学校3 年生だった妹が「お姉ちゃんもお父さんもケンカしないで。私が学校をやめて働くから」って言ったんですよ(笑)

福森 妹さん、すごい!

田中 それを聞いて、この球はもしかして私に投げられているんじゃないかなって思ったんです。もしも私が男だったら、父は私に継がせたかったのかな?
女性だから言えなかったの?って。だから「お父さん、私がやってみようか」って聞いてみたら「できるのか?」ってすぐ返ってきました。「つぶれても私のせいにしなきゃいいよ」っていうことで(笑)、妹が成人するまでという気持ちで引き受けました。

大和田 引き継いだときは赤字だったんですか?

田中 赤字じゃないけど、売上は下がっていたんです。デジタル化の流れが加速して、だんだん紙の需要が減っていて。昔は封筒や振込用紙だとか、あとはカラオケの歌本の型なんかを全部やっていました。でも今は、そんなものは見ないですよね。歌本は、デンモク(電子目次本)になって、封筒もメールに代わられ、振込もネットバンキングなので振込用紙の抜型の仕事もなくなって。

福森 媒体が変わる時期だと、お父さまも流れを読んでいらしたところもあったんですかね。

田中 「この会社はいずれつぶれるから、今のうちに辞めちゃえ」みたいなところがあったかもしれないですね。でも、私が引き継いだからには、その中で取引先の要望の変化に少しでも対応しなきゃいけないって思いました。厚紙とかPOP、ディスプレイ、そっちのほうへ変更していこうと舵を切って、諦めずにやってきたのがよかったと思います。

大和田 今はどうなんですか?

田中 引き継いだときには2人だった社員ですが、設計部と製造部のリーダーを採用してから、増えていき、今9名になりました。3年前に法人化をして、去年、念願の新社屋を購入して引越しをしたばかりなんですよ。

 

クライアントから「君が社長になれ」と
言われて“女気”で引き受けた

アイキャンディ株式会社 代表取締役福森 加苗氏

福森 それはおめでとうございます。わが社も10年前に自社ビルを建てたんですよ。私はその移転の半年前に、今の会長から事業を引き継いで社長になりました。きっかけは、当時の会社のメインクライアントから「君が社長になってくれよ」と言われたこと。それが何を意味するのかも私はよく分からなかったので、会社に戻ってそのままを社長に伝えました(笑)

田中 直接言ったんですか?なかなか大胆な。

福森 はい。何も分かってない証拠ですよね、子どもみたいなもんです。「そうしないと取引をやめるって言ってましたよ」って。そうしたら社長が「お前にその覚悟があるのか?」って聞くんです。「ないですよ。ただ言われたから言っただけです」っていう流れから生まれた承継だったんですけど。「まあ、お前はガッツがあるからやってみろ」ということで、事業を引き継ぎました。

大和田 その社長さんは男性の方?

福森 はい。当時52歳でした。パチンコ業界相手に広告制作をしていたので、クライアントも社長も激しく男気のある方たちばかり。中でも先代は、キャラが濃くて、社名もその方の名前。それで半年くらいたった時に「申し訳ないんですけど、社名も変更させてください」っていって「アイキャンディ」にしました。だって私の会社っていう感じがしないんですもん。会長からは「お前はひどいやつだ」って言われました。「俺の名前なのに。そういうのは、俺が死んでからやるもんだろ」って。(笑)

大和田 じゃあ、いながらにして社名を変えられちゃうっていう状態。すごいですね(笑)

福森 でも変えて良かったなーって。「目のおやつ」って言う意味の社名なんですけど。電話で言うときもかわいい名前がいいなと思って。引き継ぐ際に、「デザイン会社としてのわが社の特徴って何だろう」って考えて、女性だけの会社にしたいと思ったんです。

 

自分の次に渡すバトンには
人脈を繋いであげたい

田中 自分の次の社長への事業承継とか考えたりしますか?

福森 自分が引き継いだときは、本当にきれいにバトンを渡してくださったので、それはとても感謝しています。何か相談したときだけ答えてくれる。でも助けを求めると、「それは自分で考えろ」って突き放す。もしそうされてなかったら、今の成長はなかったかもしれません。それはありがたかったなと思います。

大和田 なかなかできないことですね。

福森 私には息子がいるんですが、一度社内で「社長は自分の息子に継がせたいらしい」という噂が出まして。そのときにみんなを集めて「そんなことは考えていないので、継ぎたい人は言ってほしい。そうしたら、教育の仕方も変わってくるから」と言ったんです。でも片腕の女性に「二番手の私は、社長と一緒に終わりたい」って(笑)言われてしまいました。他の女性たちも家庭がありますし、難しくて答えは全然見つからないですね。

大和田 私の場合は、引き継ぎを何もしてもらえなかったので、仕事内容だけでなく人の部分も含めてちゃんとつなげてあげてから辞めたいと思っています。やっぱり、地元のネットワークって重要なんですよね。継ぐのが自分の子どもか別の人か分からないけれども、人脈はきちんと引き継ぎたいという思いが強いですね。

福森 私も地元の八王子を知らなくて苦労しましたから、よくわかります。

大和田 それがないとやっぱり、商売って難しいなって。営業はある程度センスがあればできる。でも人的ネットワークがあれば、そこから将来の業態変化を起こせるかもしれない。実は今、父が扱っていた洗剤以外の商材やコンサルの仕事が増えているんです。これもどんな仕事も断らずに分からないことや知らないことを地元の先輩やロータリークラブで知り合った経営者に聞きまくって対応してきたからだと思っているんです。

田中 私は、自分が社長になってからの10年で基盤を作って繁栄させていきたいと思っています。その後10年が事業承継の準備なのかなと思っているので、どう継ぐかというのを探っていきたいですね。今は、借金を減らして、今いる中で経営に向いていると思っている20代の人に継がせたいなと考えています。覚悟が決められるとか、責任感があるとか、人をまとめられる、そういう人に育てていくっていうのも大事な仕事だと最近思います。人間力も含めてそれに見合う人なら、親族とかはまったく関係ないです。

福森 でも社長になると人生変わりますよね。人生が深くなるというか。大変なこともいっぱいあるし、24時間、頭の中はずっと会社のことばっかりなんですけど、楽しさもあります。家族みたいな仲間も増えるというのはやりがいだし、たくさん怖いこともあるけれども、失敗してもいいじゃん?くらいな感じでやればいいんですよね。

大和田 今思えば、女性だからってあんなに肩ひじを張らないでやればよかったと思います。最初はナメられちゃいけない、男には負けたくないっていう気持ちがあって、他の社長と話すときにも理論武装してたんです。でもたまたま男と女がいて、たまたま社長っていう役割が回ってきちゃったなって考えればいいんです。「重いものは持ってもらいましょう」って感じでしょうか。

田中 苦しいことなんかいっぱいあるじゃないですか。でもだからこそ、ほどほどに生きてきた人生とは違う喜びを味わえるんですよね。それをまた求めて、さらに挑戦して失敗して、また挑戦して成功して成長して、っていうのがね、すごく楽しいし、うれしい。普通の人では絶対味わえない喜びが経験できるので、引き継いだら、最初はしっかり苦しんでもらいたいと思いますね(笑)。

まだまだ話はつきませんが、第2回は一番大変で大事な「ヒト」の話です。

「女性たちの事業承継応援記」 第2回はこちら