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事業承継

下請けを脱却してブランドに!靴の町で生まれた大逆転ストーリー

株式会社リゲッタ 代表取締役 高本 泰朗 氏

  • 40-50代
  • 卸売小売業
  • 製造業
  • 近畿
  • 後継者
  • 新規ビジネス

この記事は9分で読めます

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伝統の履物・下駄をヒントに、現代のライフスタイルに寄り添ったコンフォートシューズとして誕生した「リゲッタ」。「楽しく歩く人をふやす」という理念のもと、製造・販売を手がけるのが株式会社リゲッタだ。靴作りの町として知られる大阪市生野区から日本全国、そして世界へ、職人たちの技巧で仕上げた一足を届ける。履物製造業を承継した2代目の高本泰朗氏が語るのは、培った技術を発揮できない下請けから脱却し、メーカーとして走り出す物語。そこには、創業者の父と静かに語った「承継のひととき」があった。

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株式会社リゲッタ 代表取締役 高本泰朗氏(たかもと・やすお)

1975年生まれ。大阪府大阪市出身。高校を卒業後、東京の専門学校で靴の製作を学び、靴の名産地として知られる神戸長田市で修業を積む。家業は1968年に父・高本成雄氏が設立した履物製造業のタカモトゴム工業所。1998年に入社し、2010年に事業を承継。現在は「リゲッタ」をはじめとするコンフォートシューズの4ブランドを展開し、商品の企画、製造から販売まで一貫して手がける。

靴作りの町・大阪生野の家業から
打ち込めるものを見つけるまで

記憶にあるのは、いつも忙しく立ち働く両親の姿だ。高本氏は、靴・サンダルづくりの町として知られる大阪・生野で育った。この町の靴は工場のラインから生まれない。裁断から縫製、底付けに検品・梱包まで、小さな町工場がそれぞれの工程を担当し、リレーのようにして一つの履物を仕上げていく。それが生野の靴づくりだ。

 

「父と母が検品をして出荷に励む脇で遊んで、時には仕上がった靴を積んだ軽トラックの助手席に乗って納品についていく。家業は僕にとって空気のようなものでしたね。カッコいいわけじゃないし、誇りでもない。だけど、ダサいと感じたこともない。ごく当たり前にあるものだったんです」

 

末っ子ということもあり、家業を承継したいという意識はなかった。しかし、兄と姉は継ぐこともなく家を離れる。そこで、「将来のビジョンもなくて、このまま適当に生きていくんかな」と思っていた高本氏に、父の成雄氏が「靴作りを勉強してみないか」と声をかけた。高本氏は東京の靴専門学校で学び、靴の名産地の古豪・神戸市長田区で修業を積むことになる。


「専門学校は適当に過ごしていましたし、修行先も最初はさぼり気味で先輩から叱咤激励されるほど。だけどある日、ふと残業して靴作りに取り組んでみたんです。そうしたら、これがめちゃめちゃ楽しくって! 気がついたら、あっという間に時間が過ぎていました。スイッチがパチっと切り替わった、あの興奮は今でも鮮やかに覚えています」


打ち込めるものが、ようやく見つかった。その後は「1秒たりとも無駄にしたくない」という思いで技術の習得に励む。修業が終わり帰郷する時には、「なんで帰るの!」と泣きながら餞別の品を渡してくれる社員もいた。初めて「人に認めてもらった、称賛してもらった」と感じた瞬間だった。

親元メーカーの契約が打ち切り!
『親父、メーカーをせぇへんか?』下請け脱却の決意

職人として意欲に燃え、大阪・生野に戻る。そこで高本氏は神戸・長田とのものづくりのギャップに愕然としたという。小さな工場が力を合わせて作るから小回りは効くし、スピード感もある。しかし、そこには企画力、独自のデザインがない。結果的に下請けが主となり、「イチキュッパ(1980円)」のサンダルづくりに終始してしまう。技術を生かす場は見当たらなかった。そして、悶々とする日々を過ごす中、タカモトゴム工業所に衝撃が走る。それは親元メーカーから届いた「契約打ち切り」の通知だった。

 

「メーカーに依存した自転車操業でしたから、手元資金はない。未来が見えない中で24歳の僕から出たのは『親父、メーカーをせぇへんか?』という一言でした。確かに、楽なのは下請けです。だけど、何かというと親元メーカーの悪口になる。そんな自分が嫌でした。誰かのせいにして生きるのはやめよう。すべて自分で責任を取り、自分の意思、行動をコントロールして生きていこう。その思いが、僕をメーカーの始動へと駆り立てたんです」

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下請けから脱却し、メーカーとして立つ。その決断は、自ら能動的に商品を企画し、販売まで一気通貫の工程を手がける現在へ、そしてオリジナリティの高い「リゲッタ」へとつながるものだ。しかし、当時立ちはだかった壁は高かった。磨いた技術を商品に落とし込む困難の前に、膝から崩れ落ちるほど絶望を感じたこともある。

 

「打つ手に困り、他メーカーの商品をコピーしたこともありました。そこで自己嫌悪にかられ、新しいコンセプトの商品づくりに挑みます。ところが、展示会に出展すると、すぐさまコピーされ、次のシーズンには競合から似たような商品が続々と出てしまう。情報を抑えて問屋に直接卸していても、結局はそこから流出してしまう。もう八方塞がりです」

 

他メーカーにクレームをつけたり、業界の商慣習を嘆いたりしたこともある。しかし、脳裏に浮かんだのは「誰かのせいにして生きるのはやめよう」という、あの時の誓いだ。「コピーされてもびくともせえへんブランドにせなあかん!」。熱い思いが、高本氏の中でふくらんでいく。

強い思いが強い製品を作る
唯一無二の「リゲッタ」が完成

10年経っても長く愛される履物は何か――ノートを開き、真っ白なページを前に、高本氏は思いを巡らせた。日本には古くから親しまれてきた下駄がある。それを現代にフィットさせたらどうか?そうだ、自分が好きだったビルケンシュトックはコンフォートシューズだったな。下駄をコンフォートにアレンジして。「下駄(Geta) をもう一度(Re:)」=リゲッタというネーミングはどうだろう?アイデアは次々につながり、製品のイメージが解像度を増していく。


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次に、目指すべきモデルの競合商品をリストアップし、それぞれの特徴を抽出した。高価かつ高機能な先行シューズはあるし、安価で低機能な「なんちゃって」コンフォートシューズもある。しかし、「そこそこ安価で高機能なコンフォートシューズ」というポジションは空き家だ。それなら、生野の職人たちの技術を結集して「コピーされてもびくともせえへん」製品ができるのではないか?高本氏の着想は、いつしか確信へと変わる。

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「リゲッタの開発を通して思ったのは、『自分が作りたい』と強く思うものでなければ作れない、売れないということです。自分が伝えたいものを明確にし、伝わりやすいようにする。それが結果として自然にデザインとなるのです。僕たちが作っている靴は、すべてが強い思いで作ったもの。『役割』で何となく作ったものは一つとしてありません

黒字倒産の危機に事業を承継
ガラス張りの経営哲学で進む

リゲッタを開発し、軌道に乗せるべく苦闘していた2010年、高本氏は父から会社を受け継いだ。売上げは上がっていたものの、会社の負債が3億、父が個人的に借り入れしていた事業借金が7500万円。入金サイクルに資金繰りが追いつかず、会社は黒字倒産の危機にあった。リゲッタの設計、デザイン、マーケティングに注力していた高本氏だが、苦境に陥っている会社の現状に奮起。数字を見る「経営」との対峙を決意する。

 

「『こんなんになってごめんな、会社を一回つぶそか』父はぼそっとつぶやきました。これって、父名義で運営していた会社を整理して借金を清算する。そして、僕の名前で新たに会社を立ち上げ、無借金でリスタートする、ということ。靴メーカー業界ではよくあるやり方です。しかし、父が後ろ指を指されるようなことはしたくなかった。数字をきちんと見るから、会社を継がせてくれないか。父に伝え、事業承継を決めたのです」

 

高本氏は財務会計を猛勉強し、銀行とも密な相談を重ね、経営者としての経験値を重ねていった。その渦中で学び、心に刻んだ2つの哲学がある。まず、ファミコン世代の高本氏らしい「残機がもたらす余裕」だ。

 

「家族でカードローンに行って、100万ずつ借りてこよか。そう思い詰めるぐらい、資金繰りには苦労しました。痛感したのが手元資金の余裕です。ある程度手元に資金がなければ焦りが念頭に立ち、落ち着いた経営判断はできません。ゲームもそうでしょう?残機ゼロで一回もミスできないステージでは、思い切ったプレーはできない。ボスキャラにたどり着く前にジリ貧になるばかりです」

 

社員に明示しているのは「すべて見せる、ガラス張りの経営」だ。

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「毎月の売り上げから在庫の状況、決算報告書に役員報酬、何なら夫婦喧嘩から毎日の食事まで(笑)、すべてオープンにするのが僕のスタンスです。だって、カッコつけたり、ウソをついたりする方がしんどいじゃないですか。困っていることをさらけ出したら、助けてくれる人はたくさん出てきてくれる。隠しごとを持たないっていうのは、すごく楽なことでもあるんです」

「継がせるからには一切口出ししない」
承継時の父の言葉を胸に刻み、未来を描く

2014年――高本氏の入社時に2億円だった売上げは20億円に迫る勢いに。業績が順調に推移する中、父・成雄氏の肝臓がんが発覚した。

 

「余命半年という宣告に言葉を失いました。だけど、末期の病室に通い詰めた半年は、男同士の友情というのかな…初めてじっくり話ができた時間でした。会社の成長がとにかく楽しみだ、と語る父に『会社を継がせた時はどんな気持ちだったの?』とたずねてみたんですよ。そうしたら、心配で仕方なかったけど、継がせるからには一切口出ししない。そう決めていた、って言うんです。カッコいいなあ、親父

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いつかは、自分も会社を承継者に渡す時がくる。父の腹のくくり方に感服しつつ、高本氏も未来に思いを馳せる。

 

「自分もかくありたい、と思います。だけど、僕が次代の経営者を任命はしない。任命されたからやらなきゃあかん、じゃなくて、絶対にこの会社を残したい、続けたい、そう思う人が手を挙げる会社でなければ。そう思われるだけの器に、みんなでさらに育てていかなければなりません。僕が承継についてアドバイスできるとしたら、魅力的で楽しい世界を作っていたら、自然と次代に受け継がれる、ということ。楽しくない会社、楽しくない仕事を継ごうと思わせるのは無理ですから」

 

株式会社リゲッタは商品のブランドラインも順調に拡充し、海外展開もスタート。人生100年時代を迎え、高本氏は長いビジョンで今後の進路を描く。

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45歳ですから、靴のデザイナーとしてもうひと勝負、ふた勝負はできるはず。海外の展示会、新しい素材にも興味があります。若いやつにはできないデザイン、機能性で世界に発信し、勝負していきますよ。また、生野区には統廃合で閉校した小学校があり、そのスペースの有効活用も提案しています。靴作りの楽しさを広く伝えるべく、いつか『靴の学校』を作れたら、と思います」



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