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事業承継

自動車からカクテルへ――ものづくりのDNAから新プロダクトが生まれた
横山興業株式会社 商品企画部 部長 横山 哲也 氏

  • 20-30代
  • 製造業
  • 中部
  • 後継者
  • 地方創生

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愛知県豊田市で沿革を重ね、自動車部品メーカーとして技術を培ってきた横山興業株式会社。だが、三代目社長である兄を支える横山哲也氏は、まったく畑違いのカクテルツールを生み出した。0.1ミクロンという超高精度で施された研磨に、これまでになかった球体の形。シェイクしたカクテルはまろやかで雑味が出ない。これが、世界のバーテンダーが熱い視線をおくる逸品だ。基盤にあるのは職人の技術と画期的な着眼、アイデアだ。自社ブランド『BIRDY.』ブランドマネージャーを務める横山氏が、ものづくりの原点に立ち返って生まれた「プロフェッショナル・ブランド」誕生のストーリーを語る。

若さ、勢いのあるタイで感じた危機感
ものづくりの再興を目指して自社ブランドを起動

戦後間もない1951年、横山興業は建築資材問屋として創業した。プレス機で金属加工を手がけるようになると、豊田市という土地柄もあって自動車部品を加工する仕事が舞い込むように。今ではプレスから溶接・塗装まで一気通貫で製造できるプレスメーカーとして知られている。

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創業者は「三河のエジソン」と名を馳せたアイデアマンだったが、ものづくり一家の3代目にあたる横山哲也氏は機械ではなくサブカルチャー、デザインに傾倒。大学は文系の学部に進学し、美術史を学んだ。しかし、その根底には「ものづくりの魂」があった。

 

「5歳上の兄が自動車部品メーカーに入社し跡を継ぐ流れになったこともあり、私は比較的自由に職業選びができたんです。大学では映画やショートフィルムの制作に夢中になり、卒業後もテレビの制作会社、Webデザインの会社へ進みました。製品ではなく作品として、何かを創るのが好きだったんです。ただ、Webの世界で働く中で、自分はトップクリエイターにはなれない…そんな思いが強くなっていたところ、2代目社長の父から頼まれていたこともあり、横山興業への入社を決めたのです」

 

当時、会社はタイ工場の設立を進めていた。旅好きということもあり、海外で働くことへの憧れもあったという横山氏。生産管理を実地で学びつつ、海外事業の立ち上げにも精力的に関わっていく。現地で感じたのは、日本のものづくりへの「危機感」。その思いが自社ブランド起動のきっかけにもなった。

 

「タイでは製造業は夢のある仕事です。若い人たちは熱意に満ちていて、技術の吸収も早い。では、日本ではどうか?人気を集めるのはサービス業で、製造業には安定を求めるという保守的な流れになっています。大手のメーカーが製造業以外の事業にも手を伸ばしたり、工場を持たないファブレスが進んだり、そんな動きも活発でした。日本のものづくりを今一度盛り上げたい――原点に立ち返るべく、BtoCの新規事業の立ち上げを会社に提案したのです」

スピード感のままに疾走した開発プロジェクトから
独自性を持つ自社ブランドが生まれた

一般消費者のニーズと自社の強みをかけ合わせて初試作したのは、何と防犯フェンス。不審者を寄せつけない機能面では先行製品に引けを取らなかった。しかし、この製品には完成品のオーラがない――横山氏の審美眼は「アウト」を告げる。自社の技術をそのまま落とし込んだだけではキラリと光る製品はできない。市場で目を引くため、商品づくりに長けた工場と手を組まなければ。

 

スタイリッシュなシェーカーに行き着くはるか手前で、横山氏はオール自前主義の限界を痛感する。

 

「自社ブランドの構築に着手するものづくり企業は少なくありませんが、往々にして頓挫するのは、すべてを自分たちでやろうとするから。私はWeb制作会社にいた経験がありますから、それぞれの技術に特化した制作会社、チームに部分を任せ、スピード感と完成度を担保するマネジメントを肌で覚えていました。その方法論を生かした開発を考え、浮上したのが、横山興業のコア技術は何か?という問題です」

 

協力工場の力を借りれば完成品としてのオーラをまとわせることはできるだろう。しかし、それはメインの工場にオンリーワンの技術があってこそだ。技術の棚卸しに取りかかり、工場をくまなく歩き回った。と、その一角で、黙々と作業に取り組む職人の姿が目に止まる。

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「LAP研磨という、車の部品用の金型をメンテナンスする研磨技術です。手作業で行う地味なものですが、求められる精度は実に50nm(ナノメートル:10億分の1メートル)とのこと。身近な単位に直せば0.05ミクロンというから驚きました。さらに、職人がその技術を語る時のじょうぜつさ。技術だけでなく、この緻密な研磨のストーリーが自社商品の基盤になるのでは、と考えたのです」

 

研磨によって付加価値を出せるものは何か?制約の下で開発を進めるが、思い当たる商品がない。無類の酒好きだった横山氏は、ふと思いついてステンレスを研磨した日本酒タンブラーを試作してみた。

 

「味わいは、何となく変わった気がする程度でしたが、何より日本酒にはステンレスの質感が合わないことが分かりました。じゃあ、洋酒はどうだろう? 水割りを作ったら、いい感じに整った、透き通った味になった。どうやら、ただ注ぐだけではなく、酒を器の中でくるくる回したことが影響を与えたようです。そこで市販のシェーカーを2日がかりで研磨して試してみると、驚くほど味わいが際立ったカクテルができました」

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ついに切り口が見つかった!タイ出張のかたわら、サンプルの製作とプロダクトデザイナー、協力工場探し、プロジェクトチームの提案書づくりに奔走した横山氏。それからわずか半年後、『BIRDY.』ブランドのカクテルシェーカーが世に出る。自動車部品、建築資材という主軸からかけ離れた、独自性の高い自社ブランドの誕生だ。

 

勢いのまま、開発チームは駆け抜けた。横山氏は、この半年を「目が覚めて5秒後には、シェーカーのことを考える日々。今思えば、完全にゾーンに入っていましたね(スポーツ選手が競技に没頭し、極度の集中状態に入ること)」と振り返る。

下請けだけ、自社ブランドだけと決めず
予期せぬ市場変化に柔軟に対応していく

伝統的なバーになじむ洗練されたデザインは、辣腕(らつわん)のプロダクトデザイナーが手がけた。あでやかな形に成形するのは新潟の協力工場だ。バーテンダーの意見を取り入れることでプロも納得の仕様が決まる。工場の職人たちは、雑味を生まない最適な滑らかさを生み出すため、超微細な凹凸をあえて残すナノ単位の磨き分けで精度を発揮。それぞれに特化した専門家が力を発揮し、これまでにないカクテルシェーカーが生まれた。

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CS350 カクテルシェーカー 350ml、CS500 カクテルシェーカー 500ml

横山氏は、ブランドマネージャーという自身の立場を「翻訳する仕事」と説明する。

 

「技術を前面に出したものづくりは、消費者の要求をいかに製品に落とし込むかが生命線だと考えています。たとえば、バーテンダーに質問して『メジャーカップはもう少し細い方がいい』という声を収集したとしましょう。その意見をそのまま職人に持っていったら、『これ以上細くするって?技術的に難しい…』といった反応しか返ってこないかもしれない。

 

そこで、両者の意向を整理し、橋渡しするのが『翻訳者』である私の役目です。バーテンダーに『細い』とはどういうことか聞くと『持ちやすい』というのが本音かもしれない。職人は、絵に描いて見せたら『そういうことね!』と理解してくれるかもしれません」

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CS350 カクテルシェーカー 350ml、CS500 カクテルシェーカー 500ml

カクテルシェーカーは数十年以上も形が変わっておらず、内面を研磨するという発想を持つ開発者もいなかった。『BIRDY.』は世界的なバーテンダー、エリック・ロリンツ氏に認められ、共同開発者として名を連ねたカクテルツールブランド「BIRDY. by Erik Lorincz」として結実している。

 

「もちろん、ずっと順風満帆だったわけではありません。販路や値付けの構想がなかったため、最初は苦労しました。ただ、プロが使う道具だけに、実際に触っていただけるセミナーやイベントが最大の販促接点になると考えました。ロリンツ氏とのパートナーシップや展示会への出展もあり、今ではバー文化のある世界各国で販売ができています」

 

『BIRDY.』もバーツールからデキャンタなどの食器類、キッチンタオルなどの雑貨に種類を拡大。さまざまなプロに向け、機能的でデザイン性の高い製品を次々に送り出している。

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2019年の売り上げは1億円に近づき、横山興業全体の1.3%を占める。コロナ禍で展示会やイベントが中止になり、売り上げ減少も想定しているが、巣ごもり需要に着目したSNS企画を展開するなど、迅速に打ち手を繰り出していきたいと横山氏は前を向く。今後は「売り上げ3億円、売り上げ構成比で4%台」という目標を掲げ、ブランド製品群を強化していく方針だ。

 

「自社ブランド『BIRDY.』で脱下請けを目指すのか?と聞かれることもありますが、私は下請けがよくないとは考えていません。横山興業も建築資材から始まって自動車部品加工、太陽光発電など、さまざまな事業を柱にしてきました。『BIRDY.』も、その柱の一つです。脱下請けを目指すあまり、自社ブランドの柱が一本になったら、それは本末転倒でしょう。

 

コロナショック、以前のリーマンショックでもお分かりの通り、社会や業界の予期できない変化に柔軟に対応していくためには、常にいくつもの柱を建て続けていく努力が欠かせない。私はそう考えています」




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