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事業承継

経営の苦労を一通り経た今だから言える
原点回帰し「この味を守りたい」
株式会社寺岡銈吉(けいきち)商店 代表取締役 寺岡 舞氏

  • 20-30代
  • 製造業
  • 中部
  • 女性経営者
  • 後継者

この記事は9分で読めます

静岡県焼津市で大正五年に創業し、焼津流つくだ煮の始祖と言われる株式会社寺岡銈吉商店を率いるのは、四代目の代表取締役寺岡舞氏だ。コメ離れや贈答需要の低下などで売り上げ減少が続く中、新商品開発や販路拡大などにより伝統の味と製法を守りながら、今の時代に合った「愛され続けるつくだ煮屋」を目指し奮闘している。

曾祖父たちが作り出した
焼津流つくだ煮をつなぎたい

つくだ煮の製造現場にて、左/初代・寺岡銈吉氏と二代目寺岡増太郎氏

110年の歴史をもつ寺岡銈吉商店は、寺岡舞社長の曾祖父である銈吉氏がリヤカーで魚の行商をしていたことから始まりました。

「もともと焼津漁港は、マグロやカツオの水揚げでは日本屈指の大きな港です。そのため古くから、鰹節や練り物などの水産物加工業が盛んでした」

銈吉氏は、冷蔵庫もなかった大正から昭和初期に余った鮮魚を日持ちする保存食にできないかと考え、仲間と苦心の末に焼津流のつくだ煮を作り上げました。

「まぐろをゆでて燻製(くんせい)にしたなまり節を醤油や砂糖で煮る手法です。煮崩れを防ぐための製法はほのかな燻製(くんせい)の香りとともに独特の風味を生み、たちまち評判になったそうです」

その後「焼津のつくだ煮」といえば、マグロやカツオを使ったつくだ煮を指し、独自の発展を遂げました。

「最盛期は昭和のころ。お中元やお歳暮などの贈り物として、つくだ煮はデパートの贈答売場の定番商品でした。県内の主要百貨店との取り引きは40年以上続いていて、今も地元には根強いお得意さまが大勢いらっしゃいます」

二代目の増太郎氏は、初代の厳しい指導に耐えて焼津の伝統食つくだ煮の製法を守り抜き、自身も96歳まで現場に顔を出し商品の品質を確認して歩いていました。

「小さいころから祖父に連れられ魚市場に行ったり、工場で遊んでいました。好奇心が旺盛で、物おじしない私はとてもかわいがられた記憶があります。だからでしょうか、中学に入るころには、この味と伝統を継ぐのは自分だと自然に思っていました」

家業を継ぐことを念頭に大学を選び、祖父に四代目になりたいと伝えました。

「最初は面食らっていて、冗談だと思ったみたいですが、母いわくとてもうれしそうにしていたそうです。まさか孫娘が継ぎたいと言い出すとは思ってもみなかったようです」

家業に入ると
古い慣習の壁に阻まれた

大学卒業後は、修行のため築地の水産卸売会社でバックヤードの仕事を4年にわたり担当しました。
「本当は市場に出て働きたかったのですが、今になるとその時に得た物流の経路や仕組みの知識が経営を助けてくれています」
2014年に会社の経理を担当する母から「そろそろ焼津に戻ってくれないか」という話がありました。
「売り上げが右肩下がりで、このままでは立ち行かなくなるのではないかという空気が社内にまん延していました。加えて祖父や製造を担当している人たちの高齢化も問題でした。帳簿を任されていた母は、限界を感じたようです」
店を継ぎたいという気持ちだけを抱えて前のめりで入社した舞氏は、会社の内情や決算数字なども把握しないまま、その渦中に飛び込んでいました。
「ずっと同じ作業方法と売り方を貫いてきたのですが、やはり時代とずれていました。柔軟に対応できればよかったのですが、長年の経験からすぐにやり方を変えることが難しい状況でした」
そうした葛藤の中で、次に考えたのが組織の刷新でした。
「新しい人材を採用することからと考えましたが、古参スタッフと対立してうまくいかないことが続きました」
会社の売り上げを把握する母に相談したり、愚痴をこぼしたりしながらも諦めずに仕事に取り組む日々が続きました。
「すべてを自分でやってきた祖父たちは、後継ぎを育てよう、任せてみようという考えなどなかったのです」

代替わりを機に新商品開発と
販路拡大に着手できた

売り上げも従業員も減る一方のなか、舞氏は2015年に代表取締役になりました。
「その後祖父が亡くなり、古参スタッフが引退したことでようやく世代交代を果たし、スタッフと直接、意思疎通ができるようになりました、そこで新商品開発と販路の拡大をコツコツやり、コロナの影響もありましたが2年前くらいから、ようやく好転し始めたところです」
ごたごた続きだった状況下で最後まで残ってくれたパートスタッフのひとりがリーダー役になってくれ、今も右腕となって働いています。
「彼女がスタッフたちに新たな経営方針を伝え、現場に落とし込める存在になると、とてもよい流れになりました」
次に取り組んだのは、若い人にも手に取ってもらえる新商品の開発でした。
「今の時代に合ったつくだ煮、これからも必要とされるつくだ煮ってどういうものだろうといろいろ考えて商品設計を始めました」
「やいづキャンプ飯ブランド」プロジェクトに参加して「ホットサンドのためのつくだ煮」をクラウドファンディングで作ったり、瓶詰のつくだ煮「やいづのびんづめ」を販売しました。
「製造現場は、先に入社していた弟が責任者として祖父亡き後しっかり味を守っています。彼は幼いころからモノづくりが好きで、経営には興味がなかったのですが、今ではもう一人の右腕として会社を回してくれています」
弟と一緒に開発した「まぐろ生角煮」(通称生つくだ煮)は、従来あった「まぐろの土佐煮」の出来たてを味わうことができる画期的な商品です。
「本来つくだ煮は日持ちする保存食ですが、やはり出来たてのつくだ煮は別格のおいしさなのです。私たちはそれを毎朝食べていましたが、このおいしさを食卓に届けられないかと考えました」

J300アワード応募のおかげで
事業計画がくっきり描けた

この商品が地元のJAやスーパー、関東の高質スーパーにもおいてもらえるようになり、前年比の売り上げが140%にまで伸びました。
「祖父たちは、うちのつくだ煮は地元老舗百貨店のご贈答品なのだというステイタスを大切にしていたので、スーパーなどでの小売りを認めてくれませんでした。でも、これからは地元の店でいつでも買える親しみやすさと、首都圏に進出してたくさんの人に知ってもらえるよう両方の販路を拡大し、焼津のつくだ煮をもっと食べてもらえるようにしたいと思っています」
現在「まぐろ生角煮」を出荷すると、翌日には東京のお客さまに届けられるようになり、扱ってくれる販売店を徐々に増やすことができています。
「築地の水産卸売会社に勤めていたときのご縁を頼りに、商品を豊洲市場に流し首都圏のスーパーなどに卸しています。今年は営業職の社員を採用して、地元の良いものを県外にもっと知っていただくための販路拡大に自社でも取り組んでいきます」
会社経営についての引き継ぎなど何もしてもらえなかった舞氏ですが、古巣の会社の先輩からの取引先紹介や地元漬物屋の製造部長さんの原価計算の考え方の教えなど、すべて外部の人に相談にのってもらいながら、窮地を突破してきました。
「なかでも『こんにゃくラボ』の岩崎真紗美さんは、焼津で四代目のこんにゃく屋を継いで事業を多角化している大先輩で、お世話になっています」
その岩崎さんが「2019年度J300アワード」の大賞を受賞したこともあり、主催者の方から応募しないかとの声がけがありました。
「J300アワードの予選に出るための資料を作るなかで、今まで取り組んだことを振り返り、これからしたいことをブラッシュアップする時間ができました。それが今後の事業計画書の姿になり、プレゼン練習もできたので、それだけで応募してよかったと思いました」
そして大会に出たのも忘れかけていたころ、「後継ぎウーマン賞」受賞の知らせが届きました。
「食のシーンをイメージできる新しいつくだ煮づくりとアップサイクルを意識した取り組み、地元の企業とコラボした商品開発の3点をアピールして、賞をいただくことができました」

現場の提言から生まれた
アップサイクル商品

アップサイクル(※)への取り組みは、パートスタッフさんからの提案から生まれたものです。
「マグロには肉と血合いの部分がありますが、血合いには臭いがあるのと見た目の黒さで嫌がられるので廃棄していました。でも鉄分の多いこの部位だって何とか商品になるのでは?もったいない!という声が上がったのです。さすが家庭を預かっている主婦目線ですよね」
そこで、この部位の味の特徴を利用してのんべえ専用の酒のアテ『大人のまぐろ煮』の商品化が実現したのです。この開発では、良い副産物がありました。
「これをきっかけに、製造現場に血合い以外の部分もなるべく無駄を出さないようにしようという意識が生まれました。自分たちで工程を見直して、工夫する風土が生まれたのです」
今いるスタッフはみな自分で考え、改善しようとするとても良い雰囲気の中で、生き生きと働いてくれています。
「そういうのを見るとホッとして、本当に継いでよかったと心からうれしくなります」
この12年間やってきて今さらだが気が付いたことがあるそう。
「私自身がうちの商品は古臭いとか、おしゃれじゃないから売れないと実は思い込んでいました。家業にも会社にも味にも自信が持てないでいたのです」
でも今では、「焼津つくだ煮」の価値はお客さまのほうがちゃんと見出してくれている、だからこそ100年も続いてきたのだということを改めて信じられるようになりました。
「会社のごたごたや商品が売れないことなどいろいろなことがありすぎて、たぶん自分に自信がなかったのですね。新商品開発を逃げ道にして救いを求めていました」
今は、原点回帰してもっとスタンダードなつくだ煮商品を売る努力をしたいと思っています。
「つくだ煮そのものの味とかうちの歴史やものづくりの価値をわかってくださる方がまだまだ大勢いるとわかりました。首都圏に販売した『焼津つくだ煮』が好評をいただいたことで、ようやくこのスタイルでいってみようと思えたところです。一巡してしまいましたが、ここからまたスタートですね」

※アップサイクルとは
捨てられるはずだった廃棄物や不要なものに、新たな価値を与えることを指します。

お客さまの声をお聞かせください。

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