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使い捨てられない幸せの「さちぶくろ」
新しい紙袋の価値と需要をこの手で作り出す
三幸紙創 代表 谷 正幸氏

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  • 新規ビジネス

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2018年に設立された三幸紙創は、谷 正幸氏が代表を務める有名ブランドの手提げ袋の製作を手掛ける会社だ。祖父が創業した紙袋製造の谷紙業株式会社は、父が引き継いだが、谷氏はその3代目として家業を引き継ぐことはなかった。自ら斜陽産業と呼ぶ紙業だが、売り先を変えることで新しい需要を掘り起こしたいと独立し、今、新規事業に取り組んでいる。その新しいオリジナル紙袋である「さちぶくろ」の生まれた背景とこれからの構想を聞いてみた。

学生時代から起業に憧れた
個人事業主として家業を手掛ける

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谷 正幸氏は谷紙業の名刺も持っている。

「祖父が創業した谷紙業は、もともとはYシャツなどを入れる箱を作る仕事をしていました」


この箱を組み立てて、トラックいっぱいにして運んでも、カサがはるので納品できる量は知れている。もっと生産性の高いパッケージの仕事はないかと探していた。

「当時は高度成長期で大型スーパーがどんどん建てられたころです。そこへ祖父と祖母が買い物に行き、大勢の人が紙袋を提げて帰る姿を見て、“買い物どころじゃないぞ!やるなら紙袋だ”と慌てて帰ってきたと聞いています」


そこから紙袋製造に切り替え、大手紙袋メーカーの下請けとなり事業を大きくしていった。

「最盛期はパートさんを大勢雇って朝から晩まで家族総出で仕事をしていたのを覚えています。でも機械化が進み、人手がいる組み立て作業は工賃が安い海外に流れていきました」


唯一、高級ブランドの手提げ袋の最終工程である、ひもをつけ、底に厚紙を敷き、成型する仕事を請け負うことで生き残ってきた。

「2代目の父から、後を継ぐようにと言われたことはありません」


谷氏は、大学在学中から自分で事業を起こしてみたいと考えていた。ただ世の中を知るうえで、一度大きな会社で働きたいと思っていた。

「車が好きだったので、大手の自動車部品会社に就職して、3年間宮城県で働きました」


生産技術の担当として製造ラインの設計などを手掛けていたが、独立への思いは止められなかった。

「自動車のコーティング技術を身に着けて起業したいと考え、名古屋にある家族経営の会社に転職しました」


しかし、ファミリー企業ならではの問題に直面する。

「家の事情が優先され、親族以外の人の扱い方があまりにも違うことなどを見るにつけ、ここにいてはいけないと思うようになっていきました」

ちょうど長女の出産というタイミングもあり、次の仕事を探そうとしていた時に父から声がかかった。


「取引先の製袋機が1台空いているから、それを使って自分で仕事をしたら?という提案でした」

そこで大阪に戻って1年間修業をし、実家の工場の片隅にその製袋機を置かせてもらい、個人事業主として念願の起業を果たした。

「会社に頭は2人いらん」
父の言葉が独立心を後押しした

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父からは、機械の操作を覚えるのも、機械を購入するのも、仕事を取ってくるのも自分の力でやるようにと言われた。

「一度だけ、俺は長男だけど谷紙業に入らなくていいの?と聞いたことがありました」


その時に言われた言葉を今でも強烈に覚えている。「会社に頭は2人いらん」。

「その頃は大学を出た弟が家業を手伝っていましたから、父は弟に継がせるということを伝えたかったのだと思います。確かに私がもし会社に入ったら、僕が理想とする会社にしたくなるし、そうなると今まで谷紙業を支えてきた弟とぶつかるかもしれないですからね」


父がそう危惧したのには理由があった。自分自身が弟と一緒に家業をやっていたことがあり、いつの間にか袂を分かつ結果になった。

「今は仕事の便宜上、谷紙業の名刺を使わせてもらっていますが、給料はもちろんいただいていません。あくまでも自分の会社である三幸紙創として仕事を請け負っています」


谷紙業の業績がよいときは、三幸紙創の仕事も増えるが、そうでないときは同じように悪くなる。谷紙業の仕事ありきで成り立っている今の業態を何とか変えていきたい。

「紙や袋を扱いながら、作るものや卸す相手先を変えるという発想で、何とか新規事業を生み出せないかと考えました」


紙業界全体の会社数や仕事が減っているのは事実だった。またエコバックの普及など社会情勢も紙袋業界への変化を求めていた。

「谷紙業や三幸紙創が扱うのは、人の手で作る紙袋です。仕事が減っているのに、人件費は最低賃金の上昇で上がっていく。今のままでは、事業が存続できないのは目に見えています」

家族愛から新商品が生まれた
社名にも込められた「幸」への思い

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新しい紙袋のアイデアが生まれたのは妻の誕生日がきっかけだった。

「長女が幼稚園で描いた絵を使って手提げ袋を作ってプレゼントしたら、妻がものすごく喜んでくれたんです。それを見た子どもたちも大喜びしました。その時のみんなの笑顔が忘れられなかったんです」


子どもが保育園や幼稚園から持ち帰ってくるお絵描きは、家にたまる一方だ。それを世界にひとつだけの紙袋に作ることができたら、記念にも残るしプレゼントとしても喜ばれる。

「幸せの幸と、三幸紙創の幸から、このオリジナル紙袋を『さちぶくろ』と名付けました。出来上がった紙袋を見たら、みんなが笑顔になるようにという思いを込めました」


この「さちぶくろ」を広く知ってほしいとSNSでモニターを募集した。

「そこで、絵画教室の先生をしているお母さんと出会って、そのお子さんの絵で何回か『さちぶくろ』を作らせていただきました」


その子には発達障害があるのだが、描く絵の色彩などが素晴らしく、ぜひ作らせてほしいとお願いした。

「その試行錯誤のなかでわかったことがありました。自分の子どもの絵を額に入れて飾りたいと思う親御さんは、『さちぶくろ』を作ることに意味を感じてくれるのです」

自分の子どもの絵に価値があると感じるかどうかが、依頼をしてもらうためのハードルだという。そこで、今は美術展に子どもの絵を出している人に向けてPRできないかと考えている。

紙袋には「神」が宿ると信じ
その可能性をもっと広げていきたい

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この「さちぶくろ」の新規事業アイデアをアトツギU34のオンラインサロンピッチに提案したところ、2021夏大会で優勝を果たした。

「SNSで偶然、アトツギU34を知り、新規事業の養成講座を無料で受けました。その後オンラインサロンで経営の知識などを学べるということに魅力を感じました」

 

入会してみて一番よかったのは、同じ目線でフラットに話ができる経営者仲間と出会えたことだという。

「自分一人で考えていても、SNSで発信していても、なかなか公の場で取り上げてもらえることってないと思うんです。でもオンラインサロンに入ってピッチで発表したりすると小さな一歩かもしれないけれど、少しずつ進んでいるのが実感できるのがいいですね」

 

ただし、ピッチでみんなから叩かれると正直凹むこともあるという。

「それだけ真剣に考えていただけている裏返しだと思っています。自分が本気で考えたプランを本気で叩いてくれるんで、それは本当にありがたいです。一番つらいのは、反応がないことですからね」

 

紙袋は最後捨てられてしまうものだという。でも、自分の子どもの絵だったり、会社のロゴをわざわざ入れて、相手に送るという幸せの行為は捨てられない。

「紙袋には、”神“が入ってるんだと、僕は思っているんです。神さまの袋に入れるふさわしいものは何なのか、もっと頭をひねれば、紙袋の可能性は広がるはずだと思っているんです」

 

この「さちぶくろ」作りのワークショップを地域のイベントで行っている。8歳の長女が講師役で、地元のテレビ局も取材に来た。

「この地域の活性化に『さちぶくろ』が使えないかと思っているんです。本当は僕が講師をやりたかったんですが、先を越されちゃいました」

 

商売の基本である三方よしを由来として、三幸紙創という社名をつけた。そこには、三人娘への愛も込められている。

「自分の名前の幸を取って、子どもの名前には必ず幸がついているんです。だから社名も三幸としたんですよ」

家族愛が生んで、育てている「さちぶくろ」事業。まだまだこれから多くの人の手を借りて広めていきたいという。



エヌエヌ生命は中小企業の若手後継者の新規事業開発を支援する一般社団法人ベンチャー型事業承継に協賛しています。同社団法人は「野心系アトツギが日本経済に地殻変動を起こすエコシステムを実現する」ことをビジョンとして掲げ、団体発足以来、主に 34 歳未満の中小企業の後継者・後継予定者に対する教育プログラムの提供やオンラインコミュニティの運営、またイベントやメディアを通じた啓蒙・啓発を行っています。


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