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事業承継

「バイオトイレを世界へ」
株式会社ミカサ2代目 三笠 大志 代表取締役

  • 40-50代
  • 製造業
  • 九州・沖縄
  • 後継者
  • SDGs

この記事は6分で読めます

世界には道端や草むらで用を足している人が約7億人もいると聞いたら驚くだろうか?


大昔の話ではない。今、現在の話なのだ。


ユニセフ(国連児童基金)とWHO(世界保健機関)によると、依然として世界の20億人が基本的な衛生施設(トイレ)を利用できず、その3分の1が後発開発途上国に住んでいるという。そして、今でも6億7,300万人が屋外排泄をしているという衝撃の事実を報告している。


そうした中、国連は2030年までに達成すべき「持続可能な開発目標=SDGs(エスディージーズ):Sustainable Development Goals」を採択している。全部で17ある目標のうち6番目は「安全な水とトイレを世界中に」だ。

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図)SDGs 17の目標

出典)国際連合広報センター

今回は、そんな世界の劣悪なトイレ事情を解決する日本の技術に取り組む企業を訪問した。

家業を継いだ経緯

大分県大分市にある株式会社ミカサの三笠大志社長は2代目。親元を離れ、大学を卒業してからソフトウェアの会社に入社した。3年ほど勤めたがあっさりと辞め、16年前の2005年に実家に戻ってきた。


「もともと保育園ぐらいのころから父親に、『お前は家を継ぐんだぞ』と言われてましたし、違和感はなかったですね。『俺は親父の会社を継ぐ、それが夢だ』。昔からそう思っていたので自然と戻ってきました」

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ミカサの前身は祖父が創業した石屋。その後、父親が建設会社を立ち上げたが倒産してしまった。1989年(平成元年)にゼロから、机や椅子を建設現場にレンタルする株式会社ミカサを設立した。当時からくみ取り式のトイレも扱っていた。


東京でのサラリーマン生活から家業に戻り、営業半分、作業場半分の生活がスタートした。トイレの仕事はやはりしんどかった。


「理屈で分かっていたものの、純粋にトイレ掃除とかもする、人のし尿を実際仕事にするとなるとやはり心が折れるというか・・・、このために大学行ったのかなとか思った時期はありました」


しかし、素晴らしい経験もした。「人生で1回行くか行かないかの場所にトイレを設置するのは喜びでしたね」


富士山の山頂にトイレを運んだときはそう感じて頑張れた。その時、父は既に微生物で排泄物を分解する、いわゆる「コンポスト型」のバイオトイレを開発済みだった。それまでの「燃焼型」はCO₂を排出するので、環境に優しくなかった。今後はこれで行く。方針は決まっていた。


バイオトイレは、し尿の水分を杉チップなどに吸着させ、ヒーターで温度管理しながら処理槽内を撹拌、酸素を取り込みながら微生物を活性化させ、固形物を水と二酸化炭素に分解するものだ。水分は蒸発処理する。


それから三笠氏は九州一円の自治体に営業をかけた。「バイオミカレット®」と名付けられた同社のバイオトイレの売りは、「2階層処理槽」。他社のものは処理槽が1つしかないが、ミカサは1段目の下に100リットルの容量の層を設けた。し尿で1段目が一杯になると、微生物が空気と触れあえなくなり、働きが止まってしまう。処理能力の高さが評価され、販売は順調に伸びていった。

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SDGsの追い風

バイオトイレは微生物活性化の為、モーターを使って処理槽内を撹拌させるが、そのモーターの為の電源が必要となる。その電源を太陽光発電にすればより環境にいい。その仕様も開発した。やがて追い風が吹く。SDGsという風だ。


「近隣の製鉄所ですが、これまで工場内のトイレは浄化槽で海に排水していました。しかし、環境の面から排水はいかんということになり、5台ぐらい当社のバイオトイレを買ってもらいました」


こうした一般企業の需要も増えてはいる。しかし、年間4,5台くらいの販売ではたいして収益は上がらない。そこでレンタルに目を付けた。実は株式会社ミカサには、姉が別会社でやっているレンタル事業がある。もともと経営の軸としてあったのだ。


「先代が仮設トイレなどのレンタル業を建設現場向けにやっていて、実は売れなくてもレンタルできていれば食っていけるというのは肌感覚でわかっていました。だから、レンタルに力を入れようというのは昔からの我社の経営戦略でした」


三笠氏が戻ってきてから15年、現在九州のあらゆる建設現場にレンタルしているバイオトイレは約130基。およそ13倍に増えた。3年前には関東にも代理店を作り、さらなる拡販を目指している。

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海外へ

三笠氏の眼は海外に向かう。


きっかけは2015年1月。途上国への環境改善と経済開発に必要な物資の供与を行う日本国の政府開発援助(ODA)事業の一貫で、ペルー共和国に「バイオミカレット®」を輸出することになったのだ。


きっかけは、COP20(第20回気候変動枠組条約締約国会議)。2014年の12月にペルーでの開催が決まっていた。ミカサのバイオトイレの実績が買われ、声がかかったのだ。


「実は僕、大学時代休学して海外に行ったことがあって、いつか海外でミカサの仕事がしたいと思っていたので、よし、これは絶対やってやろうと思いました」


16基の「バイオミカレット®」が海を渡り、ペルー全土に設置された。

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写真)ペルーに設置された「バイオミカレット®」

出典)株式会社ミカサ

次はアフリカだ。やはりODA案件だった。JICA(国際協力機構)の中小企業海外支援展開事業(当時の呼称)に応募し採択されたのだ。カメルーンの首都ヤウンデ市と国立ヤウンデ第一大学に計16台の「バイオミカレット®」を寄贈した。

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写真)カメルーンの大学内に設置された「バイオミカレット®」

撮影)株式会社ミカサ

こうした実績を踏まえ、三笠氏は次の海外展開をとして、より現実的な戦略を描いている。


「ODAで感じたのは、アフリカではまだB to Bのビジネスは難しいということです。お金や契約の問題、考え方の違いがありますし。一方、最近国際ホテルチェーンから、インド洋に浮かぶ島のリゾートにバイオトイレを設置出来ないかと問い合わせが来たのです」


世界各地のリゾートで水の便が悪いところはごまんとあるだろう。海を汚染から守るバイオトイレの市場はまさに、「ブルーオーシャン」だ。


三笠氏は期待に胸を膨らませる。

自身の承継

現在、株式会社ミカサの社員は、社長以下エンジニア3名。三笠氏に自身の事業承継についてどう考えているのか聞いてみた。


「息子に継いで欲しいという思いはあります。しかし、絶対継いで欲しいとまでは思っていません。彼には彼の人生がありますし。ただ、選択肢の1つとしては入れて欲しいですね。やる気があるなら是非来て欲しいとは言っています」

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三笠氏はまだ42才。確かに承継はまだぴんとこないのかもしれない。父親もまだ元気なので、今自分が倒れても会社は回る、と話す。一方で、今関心があるのは、BCP(事業継続計画)だという。


「この工場は、崖崩れ防止地域に近いんですよ。最近大雨も多く、実際去年、近くの川が増水して工場が泥まみれになったこともありました。万が一土砂崩れとかあったら、重機やトイレの在庫など大きな損害を受けますし。ですからBCPは考えなくてはいけないと感じています」


SDGsの追い風もあり、バイオトイレを待っている人は世界中にいる。日本の技術が海を越え、彼らを笑顔にする日が待ち遠しい。


「海外の仕事はものすごく充実感があるんです。難しさもありますが、是非またトライしたいですね」


三笠氏はそう眼を輝かせた。

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