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大阪にワイナリーがあるという。最初聞いたときにえっ?と思ったが、西日本で最も古いワイン醸造会社・カタシモワイナリーが柏原市にあると聞き、早速訪問。5代目に当たる高井麻記子さんに「ぶどうの里」への熱い思いを聞いた。
(聞き手: 安倍宏行 ジャーナリスト ”Japan In-depth”編集長)
大阪のベッドタウンの柏原市は実は昔からブドウ狩りで有名な場所だった。栽培は明治時代から始まっており、ワイン醸造は大正時代から行われているという。温暖な瀬戸内海式気候で、山に囲まれ雨が少ないのもブドウ栽培に適している。
ワイン醸造会社・カタシモワイナリー創業者の高井作次郎氏がワインの醸造に成功したのは大正3年のこと。高井麻記子さんは5代目にあたる。家業に入る前は何とシステムエンジニアだったという。全くの畑違いだ。
実は高井さん、最初は家業を継ぐ気は全く無く、むしろ逃げていたという。詳しく話を伺った。
「最初は本当に継ぐのが嫌で嫌で逃げ回って、できるだけ遠くに逃げようと、海外逃亡を図るために外資系に就職までしました。」
「子供を産んだ後に体調を崩して、このままでは死んでしまうかもしれないと思ったことがあったのです。その時、せっかく代々のご先祖が一生懸命積み上げてきた資産というか、宝物があるのに、嫌だと決めつけて逃げるというのは、自分がそのまま死んでしまったときに、ご先祖様に袋叩きに合うんじゃないだろうかと思いまして。それで戻ってきました。」
家業を継いだ人は必ずと言っていいほど、ご先祖様から脈々と繋がってきた歴史の重みを口にする。
「継がなかった場合、この山とか畑はどうなるだろう、ワイナリーはどうなるだろう、地元はどうなるだろう、と考えたんです。いっぱい考えて、やっぱり私が継ぐことが一番理にかなっていると思ったんです。で、嫌だったり、全然向いてないとか、才能がないとか、どうしてもできないとかなったら、その時は親戚中あきらめて!と思いましたね。」
そしてもうすぐ10年近く経つ。今ではすっかりワイナリーの顔となった。が、最初は本当に”始めの一歩”、だったらしい。
「最初は事務所に私の机も椅子もないし、仕事もない。朝おはようって言ったら父はおはようって言うだけで、何しろとも一切言わないし、従業員も私に話しかけていいのかもわからない状態だったので。」
こうして高井さんの奮闘が始まる。最初にやったのは、新商品開発だった。昔から製造していた「ひやしあめ」という関西中心に飲まれている甘味飲料から、「ひやしあめ飴」という飴を作ったのが最初だった。
写真)カタシモのひやしあめ
出典)カタシモワイナリー
「『ひやしあめって飴ちゃうのん?』ってみんなが思うのをヒントに、老舗の飴屋さんを回って、これの飴を作ってくださいって言って新製品を開発したりとか。いらんことばっかりしてました。」
写真)カタシモのひやしあめ飴
出典)カタシモワイナリー
「その次は、定型業務はきれいに拾われているのですが、それ以外の仕事って担当者がいないので落ちていくわけですね。依頼があっても断ったり、断ることすら忘れている。そのままなかったことになっている仕事があることに気づいたんですよ。それを片っ端から拾っていきました。」
まさに”落穂拾い”である。地道にお客さんの依頼や相談を聞いて、それを叶えるために社内の人にいちから教えてもらったという。そして色んな仕事を習得し、最後にワインと畑の仕事が残った。
「今ワインは私が作っているんですけど畑はまだ。上手にブドウは作れない。まだ落第のままです。」
高井さんに山間に広がるワイナリーを案内してもらった。我々の目にはわからないが、一つ一つ品種が違うらしい。よく見ると確かに粒の大きさや房の形が異なっている。畑は山の斜面にあるので、上っていくと結構きつい。畑仕事は体力勝負だ。そして、何が起きるかわからない。
「今年、もう知らない間に全滅してました。ネオマスカット。一枚を除いて全滅しちゃいましたね。『あ、病気来てる』と思った夕方にはもう全滅という・・・謎の病気。」
ワイン作りも最初は手探りなんてもんじゃなかった。なにしろ、父からいきなり突き放されたのだ。
「何年前かな、ある年ブドウが入荷して、父に『仕込みどうする?』と聞いたらですね、『え、知らん、俺知らん』って言って。これはやばい!と。」
もう必死だった。ワインを醸造する過程を付けた帳面を一生懸命読み解いて、とにかくトライした。しかし、結果は・・・
「手伝ったことはあったので、大体これはこういうことなんだな、と考えて、酵母菌の選定から全部やって。で、もちろん大事件が起きるわけですよ。酵母菌は温度管理が難しい。温度のことなんか帳面に書いてなかったし。酵母菌入れる量合ってたはずやけど、新しい酵母菌に挑戦したらすごい粘性が高くて、ぼこぼこぼこって生えて大爆発しちゃった。」
さぞかし大騒ぎになったことだろう。これはもしかして父・利洋さんが、わが子を”千尋の谷”に落としたのではないだろうか?親心だったのでは?そう、聞いてみた。
「さあ?あんまり考えてないんとちゃいますか。『おまえいつまで甘えてんねん』と思ってたのかもしれないし、教えてもわからんと。失敗せなわからんと。ていいながら、失敗するとむっちゃ怒る。」
父怒り、娘言い返す。想像すると大変な騒ぎだったろうなあ、と思う。
「若かったので。今だったら、うわーって言われてもふーん、っていう感じで聞き流しますけどね。(笑)」
父・利洋さんも4代目として家を継ぐとき大変な葛藤があったらしい。娘に継がせることに躊躇はなかったのだろうか。高井さんが実家に戻った時、利洋さんは何と言ったか聞いた。
「父は拒絶はしなかったですね。『自分で選んだんやから自分の責任や。あほやな』みたいな感じですかね。自分が継がせる価値のある商売をしている確信というのはそう簡単には持てないわけで。今までずっとワインが売れなくて、自分も祖先も苦労しかしてこなかった。それを、子供に継がせるのが本当に正しいのかって、おそらくぶどう農家さんはみんなそう思ってると思うんですけど、やっていくのは本当に難しいから、このぼんくら娘で本当に乗り越えていけるのか、精神的に壊れへんか、体壊さへんか、家庭めちゃくちゃにならへんか、という心配があったみたいです。」
親心が今ではわかる、と高井さんは笑った。
「最近思うのは、継ぐ家業があるというのも、個性の一つだと思うんですよ。私には、特殊な才能はないけども、5代目だったというものがあって、今家業があるということは、与えられたギフトを持っているということやと思うんですね。よく『好きなことを見つけなさい』って子供の頃言われるじゃないですか。でも、そんな簡単に見つからないですよね。好きなことって、やるべきことの中から見つかることの方が多いと思うんですよね。私の場合、まずチャレンジすべきことが与えられた、それが人から必要とされている家業だった。そこの中で、面白いことを見つけて好きなことをやっていくというのが、生きがいになるんじゃないかなと思っています。」
家業をギフトと捉え、その中で生きがいを見つけていく。今、高井さんはそう決心している。それは、5代目としての覚悟なのだろう。そして未来のカタシモワイナリーに思いをはせる。
「私、ブドウ作るのは得意じゃないんですね。ブドウは作れるようになりたいんですけど、やっぱり向いてないところもあるかもしれない。でもブドウ畑とか古いお宅とか残したいんです。それって、ずっと昔から代々受け継いできた文化だったり、この地域の人にとって大事なアイデンティティだと思うんです。それを引き継いでいくためには、別に上手にブドウ作れなくてもやる方法を探せばいいんじゃないかと最近やっとわかってきまして。今、ブドウ畑はお荷物だとか、古い家は管理費がかかって、もうつぶして新しい家にした方がいいって考えられているのを、なんとか、古い家は価値があって、ブドウ畑にも価値があって、資産として残すことが精神的だけでなくて、経済的にもメリットがあるような仕組みを作りたいと思っているんです。」
高井さんがぶどう畑の次に、町を案内してくれた。子供のころにかくれんぼした神社、ぶどうがモチーフのマンホール、石垣に囲まれた古民家。家と家の間の細くて曲がりくねった路地を下校する小学生とすれ違うと、よそから来た私たちをちらっと見てはにかんだ。
「もうすぐお祭りなんです。この小路にずらーっと灯篭が置かれるんですよ。そしたら子供たちがわーって走り回るんです。」
ああ、本当にこの人はこの町が好きなのだ。人って、生まれたその土地から離れられないんものだなぁ。そう思った。
「とりあえず古民家のレンタルスペースのようなものを作ってみようと思っていまして。もちろん、貸会議室みたいに会議に使ってもらってもいいですし、広いしお庭もあるし、お誕生会とかでシェフ呼んでケータリングみたいにしてもいいし、バーベキューもできるし。結婚式に使っていただいたり、畑だったらブドウがなってる下でマルシェをするとすごい楽しいんですね。保健所の許可が下りたキッチンを作ったので、レストランさんにイベントスペースとして来てもらってもいいなーなんて、思ってるところなんです。」
高井さんはカタシモを愛している。そしてもっと多くの人に知ってもらいたいと思っている。
「ほかの地域との違いは絶対にあった方が面白い。私の哲学は”地域密着”なんですけれども、ちょっとグローバルな視点で考えていきたいなと思っているんです。『私たちが考えているのはこういうものです』と発信できる、すごく凝り固まった、地域の小さい会社になりたいです。」
根底には「ワインだけに頼らない会社」がある。大切な畑とぶどうを活用する。その方法は何でもありだと高井さんは考えている。ワイナリー見学ツアーや、コラボイベントなどに力を入れているが、これからさらに楽しいイベントが生まれそうだ。
最後にこれから家業を継ぐ人へのアドバイスを聞いた。
「これから家業を継がれる方は、継ぐ前に一人ではできないことにぜひチャレンジしてほしいです。家業というのは、継ぐ人間に対して、すごくたくさんのスキルを求めてくるんです。製造だけでもいろんなスキルがいりますし、法律関係、税務関係、コミュニケーション能力、いろんなことが必要になるんです。最初は誰もがすべて自分一人でやろうと思うんですね。でもそんな時間もないし、キャパシティもないし、最初はいかに周りの人に助けてもらうかだと思うんです。そこがずっと頑張れるか、それとも途中でしんどくなってしまうかの分岐点なのかな、と思います。」
人に頼ったり甘えたり頭を下げたりすることが大事なのだと高井さんは言います。
「心から助けてほしいという気持ちを伝える練習を積んでおかれると、人生、生きやすいというのが今までの感想ですかね。」
そう微笑んだ。
「人ってどんな方でもすごいところがやっぱりあって、恥ずかしがらずに相談してみると、ものすごく世界が広がるんですよね。すごい助けてもらえたりする。人間関係もそこですごく深くなるし、悪いことは何もないと思います。」
お客さまの声をお聞かせください。
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