父が築き守ってきたプロテック 「人のために」の理念を貫きたい プロテック株式会社 代表取締役 小松 麻衣氏
- 40-50代
- 北海道・東北
- 女性経営者
- 後継者
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福井県福井市で女性のためのフィットネスクラブを運営する株式会社TSUKIWAと月和工業株式会社の代表取締役黒川照太氏は、この地域の商売人で篤志家(とくしか)である黒川家の四代目だ。しかし大学卒業後は東京で就職し、福井に戻り家業を継ぐ気持ちはさらさらなかった、そんな黒川氏が福井と向き合い、父である黒川照元会長から事業承継を受け、ドローンによる農薬散布事業を新たに立ち上げるに至った経緯を伺った。
そもそも株式会社TSUKIWAは、床材を製造する月和工業株式会社の一事業部門として、2006年にスタートした。
「曽祖父は織物製造で財を成し、私財をなげうって福祉施設を作ったり、GHQと掛け合って地域のために奔走するような大人物だったと聞いています」
そして祖父は不動産業や青果店、床材工場などいろいろな事業を創業した後、60歳よりだいぶ手前で黒川照太氏の父である照元氏に早々と事業承継をして、終生楽しく暮らしていたという。
「父の代になって塩化ビニール床材製造に特化し、取引先を増やし経営は順調でした。今や世界的に有名なファストファッション店やデパートなどの全国のフロアには、月和工業の床材が使われていました。子どものころデパートに行くと、家族全員で床ばかり見ていたのを覚えています」
月和工業は、地元でも有数の無借金経営を続ける優良企業に育っていった。
「2006年福井銀行から事業資金の借り入れを打診された父は、何か新規事業のアイデアがあるなら融資を受けてもいいと言ったそうです」
そして提案されたのがアメリカ発の女性専用フィットネスクラブ「カーブス」のフランチャイズ事業だった。当時日本に上陸したばかりで、誰もその名前を聞いたことがない新しいスポーツジムだ。
「それを父はいきなり5店舗運営したんです。フランチャイズ本部は複数運営するオーナーを優遇してはくれますが、かなり思い切ったかじ取りだったと思います。経営者になった今、自分に同じ決断ができるかどうかと聞かれたら、否でしょうね」
女性専用、普段着で運動できる、専用の運動プログラム、シャワー室がないなど全く新しいコンセプトの「カーブス」。オープン当初は地域の方になかなか受け入れられなかった。
「ものづくりの会社がいきなりサービス業に参入して、果たして大丈夫かなと思いました。苦労したようですが、その後順調に会員が増え、安定していったようです」
高校時代の照太氏は、「福井には何もない」「福井で働くつもりはない」と考えていた。
「大学卒業後は、東京で飲食業の本部や人材会社、NPO法人などで働きました。マネジメントや業務設計、システム構築、プロジェクトの立ち上げなどを経験させてもらい、それなりに充実した日々を送っていました」
あるとき父から電話で月和工業の工場を閉めることを聞かされた。
「カーブス開業後5年くらい経っていたと思います。床材事業はうまくいっているが、今後の業界の展望から工場を続けるには大規模な設備投資が必要になる。ここらが潮時だというのです」
思い切りの良さは、曾祖父や祖父ゆずり。誰かに譲ったり、M&Aすることなく、スパッと機械を売却し、工場を閉鎖した。
「働いていた人に退職金を払い、再就職先を探し、借りていた土地には次の利用者を紹介するなど、立つ鳥跡を濁さずとはこういうことだというくらいきれいに閉じました」
その時に父に言われた言葉が、自分を福井に振り返らせた。
「カーブスは新会社にする。だけど月和工業という法人は残しておくから、いつかお前が戻ってきて何か事業をやりたくなったら、この会社を使ってやってみればいいと言ってくれたんです」
父が家族全員の状況をいろいろと考えて言ってくれた言葉に深く感じ入った。
「自分は今まで家を振り返ることなく、自分のやりたいことだけをやってきました。それなのに父は帰るかどうかもわからない自分のことをこんなに考えてくれている。工場をきれいに閉めたのも、私が製造業を継ぐことはないと考えたからでしょう。会社のことと家族のことを総合的に判断したうえでの言動だと伝わってきました」
ちょうど自分の今後のキャリア像を考えあぐねていた時期だった。
「帰るのか、帰らないのかは別にして、大人になって10年以上離れていた福井が今の自分の目にどう映るのか、きちんと一度向き合ってみたいと思いました」
その頃の福井には、駅前ビルをリノベーションしてカフェを始めたり、移住してきてデザイン事務所を開いたり、現代美術のギャラリーを開いたりと、面白い活動をする人が増えてきていた。
「そういう方々に連絡して、帰省するたびに話を聞きに行きました。すると東京で起きていることよりずっとクリエイティブなことが福井で起きていると思えたんです。だから福井に帰ってチャレンジするほうが、自分にとって攻めになる気がしてきました」
そこで福井市などが主催した、地元の企業と共に新規プロダクトを提案するプロジェクトに応募した。
「見事選ばれたのはいいのですが、月に2回福井に通い、東京での仕事もありながら企画提案書をブラッシュアップするのは、正直きつかったです。でも意欲とスキルの高い受講生たちと一緒に福井での事業の可能性を模索できたことは、今でも自分の財産になっています」
福井の魅力に気づき、頼りになるネットワークもでき、事業の立ち上げ方のイロハも学べたが、それでもなかなか決心がつかない。そんな背中をどん!と押してくれたのが妻の小夜さんだった。
「東京生まれなのに、もう肝を据えて福井について行こうとしている妻から『どうせあなたは、もう帰るって決めてるんでしょ!』と言われ腹をくくれました」
妻から見ても、東京にこのままいても伸びしろがあるような気がしない。福井のほうが可能性があって、なんだか面白そうだと感じたという
両親に福井に帰って、事業をやりたいと伝えた時のことを今でもよく覚えている。
「鳩が豆鉄砲を食ったような顔というのはああいうのを言うんだなと思います。『え?いまなんて?』って二人とも目を丸くして驚いていました」
それは次第に喜びの表情に変わっていった。カーブス事業に対して自分に何ができるかイメージはできていなかったが、いざ帰ってみると会社としてやるべきことがたくさんあるのに気がついた。
「今、自分がやらないと後悔すると思ったんです。良くも悪くも家族経営でやってきてしまったので、そのひずみがでていました」
思い切って、父である照元氏に社長交代を申し出た。
「今思い返しても尊敬してしまうのですが、すんなりと引退してくれました。そして今日に至るまで、決して事業に口をはさんできたりしません。そんな柔軟な姿勢に驚きつつ、とてもありがたかったです」
そこから会社としての仕組みを作り、従業員と一緒に目標を話し合い、誰が見ても納得がいくように数値化して評価するなど改善を重ねた。男性が現場に入れない「カーブス」では、店長やスタッフの女性たちがとにかく頼りだ。
「店長やスタッフとの信頼関係をしっかりと築くことが、この事業ではいちばん大切なことだと考えています。おかげさまで意欲的なしっかりとした女性ばかりなので、私の仕事は彼女たちにいかに活躍してもらえるか考え、舞台を用意することです」
この女性たちとなら、別のフランチャイズ事業に挑戦してもうまくいくのではないかと夢を膨らませている。
「カーブスのコンテストでプロテイン部門全国1位を2連覇しました。今は3連覇を目標にしています。一緒に目標を考えて達成していくのがいちばんおもしろいし、スタッフの喜ぶ姿を見るのがうれしいですね」
その努力を給与や賞与にも反映し、みんなに喜んでもらえた。その時にかかってきたスタッフからのお礼の電話が忘れられない。
「福井で女性が活躍できるナンバーワン企業にしたいです」
東京から福井に戻る前に父から言われたことがある。
「うちの家系は時代の変化に応じて、代々自分独自の事業を起こしてきた。だから東京にいるうちに福井になさそうなものを探しておきなさい」
そんな黒川氏が取り組んでいるのが、ドローンによる農薬散布事業だ。
「代々、時代のちょっと先に行くものを取り入れた事業を手がけて軌道に乗せました。そういう意味ではドローンを使った農薬散布は理にかなっているのです」
農薬をまく季節は限定され、拘束時間は早朝から昼までなので、カーブスの経営に影響しないのもありがたい。
「ドローンスクールも経営していて、卒業したらすぐに仕事をしてもらえるようになっています」
スクールを出てもドローンの仕事がないという人が多い中、福井放送を通じてJA福井からの仕事を受託したりという地域のつながりからの仕事が増えている。
「役割分担で仕事をするOEMのような仕事の受け方は、月和工業のやりかたそのものなんです」
大手が営業して取ってきた仕事を、農地という現場を知る月和工業のドローンのプロが担当していく。
「昔、父が営業部隊とつながっていると製造に集中できるからすごくいいんだと言っていたのを、今思い返しています」
ドローン仕事の幅を広げようと肥料散布や種まき、融雪剤散布などにも活用できるように実験を進めていく予定だ。
「今年はそのために新卒採用もしました。昨年のスクール卒業生も半分以上残ってくれて仕事を受けてくれます。考えたら、カーブスでもドローン事業でもずっと人を口説いて何かをやるのが自分の仕事になっていますね」
人とコラボレーションして、一緒に何かをなしとげるのは東京で習得した自分のスキルだと思っている。
「それ以上に今の自分があるのは、父が会社を健全に経営し続けてくれて、資産を残して承継してくれたからです。その土台があるから、今思い切ってドローンを増やすチャレンジができるんです」
正直ドローン事業の黒字化はまだ果たせていない。しかし、仕事の量は初年度の8倍を超える勢いだ。
「父からは3年で黒字にすることを目指したらどうかと言われています」
父の思い切りの良さ、そして執着をしない度量の大きさ、健全経営を続ける姿勢、地域への貢献など、まだまだ全然かなわないと思いながら、今は毎日が充実している。
「70年以上の歴史ある会社を引き継ぐって、人が持てない切符を手に入れたようなものです。この素晴らしい機会をありがたく使って、福井に新しい働き方の拠点を作ってみたいです」
お客さまの声をお聞かせください。
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