制度を活用する企業が急増!企業版「ふるさと納税」のしくみとメリット
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沖縄で70年の歴史をもち総合建設業を営む福地組は、公共施設の受注からスタートし、病院を50棟以上施工。今では住宅などの建築も担っている。沖縄で暮らす人の生活を豊かにし、社会課題を解決したいと76人の社員が情熱を傾けている。三代目の福地一仁社長は、高度成長期ではない時代に規模拡大を追い求めるのではなく、働く人の成長意欲を高め、オンリーワンの存在になることで収益を高める経営に挑戦する日々だ。
1953年、沖縄の嘉手納町で創業した福地組は、公園、浄水場、伊良部大橋や病院など数多くの公共工事の施工を行ってきた。その後、総合建設業として、住宅や工場などを手がけるようになり、今では地域の街づくりにも携わっている。
「祖父の福地鴻得が立ち上げた会社を、父である裕吉会長が事業拡大させ、今があります」
会長は沖縄で、カリスマ経営者として知られている。
「今でも父のためならと言って助けてくださる方が数多くいます。周囲の誰をもファンにしてしまう器の大きさが魅力で、とにかく人がついてくるんです」
福地社長は、「人の縁に支えられてここまできた」と感謝の気持ちを素直に相手に伝える父親の姿をそばで見ながら、2021年に福地組を引き継いだ。
「広く濃厚な関係を築いてきた父の人間力には、いまだに勝てません」
福地社長は大学院修了後、三菱商事に入社し、子会社の経営や海外でのベンチャー企業立ち上げなどを経験した後、福地組に入社した。
「大学生の頃から、いつか起業したいと考えていたので、数多くの起業家を輩出している商社で働きたいと考えました」
タイでは現地の人を雇い、一緒に事業を立ち上げ、成長させることができ、大きなやりがいを感じることができた。
「目標を立て、それを達成することで仲間と成長していく。それがこんなにうれしいことなのかという経験をしました」
そんな充実した日々を過ごすなか、大会社の枠の中で経営を任されるのではなく、責任もリスクも自分で背負って経営してみたい、起業したいと思うようになっていた。
「それまで家業を継ごうと思ったことはありませんでしたし、父からもそんな話は一切出ませんでした」
ある日実家から福地組の創業60周年記念誌が送られてきた。
「それを見ながら、こんなに立派な会社が身近にあるじゃないかと初めて気付いたのです」
そんな話を父と子で交わすうち、「家業をやってみたら」「継ぐことも考えている」という話になっていった。
「父の口からせっかく入った大企業を辞めろとはなかなか言えなかったと思います。そしてやはり自分も安定した大企業から飛びだすには、怖い気持ちがありました」
そこで、福地組のありのままの財務状況を見せてほしいと願いでた。
「決算書などの書類を見て、内部留保がしっかりされている立派な会社だと改めて知りました」
政権交代で公共事業の政策が変わった2年間は赤字決算になっていたが、それ以外はずっと黒字を続け、事業を拡大させてきた経営手腕に舌を巻いた。
「父と同じような情熱や力で会社を引っ張ることはできないかもしれません。でも福地組には、自分が今まで経験してきたことを生かしながら新しい事業に挑戦する環境や人材が整っていると思え、継ぐことを決心しました」
地域の中小企業は、利益や事業拡大だけを追い求めてしまうと息切れしてしまうと考えている。
「働いている人は地域の人ですから、彼らを不幸な状態にしてしまう組織は、存続する意味がないと思うのです。やはり社員にやりがいや充実感がなければ、中小企業は続けられません」
働く人たちにやりがいを生み、それを育てる環境を作るのが、経営者の最も大切な仕事だと考えている。
「難しい仕事に挑戦する機会を作り、やり遂げるまで併走し、自ら達成感を味わい、成長を体感してほしいと思っています」
福地組の建設現場にも女性進出が目立つようになってきた。
「今、手がけている産婦人科病院の現場監督は、入社2年目の女性です。将来自分がこの産院で出産するかもしれないと話しながら、目を輝かせ、楽しそうに仕事をする様子を見て、やりがいを感じ仕事をしているという手ごたえが伝わってきました」
社員には、プライドを持って建設業に取り組んでほしいと考えている。そのためにも福地組で働けて本当によかった、幸せだと思ってもらえるようにしたい。
「自分が造った建物が誰かの役に立っていて、ずっと地図に残る仕事なんて、そうそう他にないでしょう?」
沖縄を出てしまった若者がもう一度戻ってきて、入社したくなるような会社にしていきたい。
「大事なポイントは三つあります。一つは報酬と待遇。沖縄は全国的にも平均所得が低いと言われる中、どれだけ上げられるかに取り組んでいます。二つ目は、仕事に挑戦でき、やりがいを感じられる事業環境づくり。三つ目は互いが切磋琢磨(せっさたくま)しながら成長できる職場をつくることです」
この三つにしっかり取り組み、やり遂げる覚悟だ。
今、力を注いでいるのが地域に残る建物の保存とリノベーションによる新しい価値創造だ。
「建設業はスクラップ&ビルドのイメージが強いかもしれませんが、これからは何でも壊して新しいものを造る時代ではないと思います」
たとえば那覇東町にある築32年の古いテナントビルがもつ古き良き時代の部分は残しつつ、コワーキングスペースやオフィス、カフェなどが入るビルにリノベーションし、人を呼び込む予定だ。
「『開発に文化を』をスローガンに、ハードだけでなく、その地域や建物のソフトも大事にしながら、そこに住む人、遊びに来る人にとって魅力的な街づくりをしていきたいと思っています」
長い時間をかけてそこで培われた味わいや活動してきた営みから醸成された文化を大切にしながら、次の世代に継承することも福地組の大事な仕事なのだという。
「結果として、建設業だけではない事業が生まれ、企画提案やコンサルティングをしながら、街の文化をつなぐ役割を担うことができます」
また人が成長する組織づくりをし、働く人を大切にしたいと考えるからこそ、やはりもっと稼ぐ力をつけ、生き残らなければならないと強く感じている。
「黙っていても市場拡大した時代とは違う現在、いかに建設業界のオンリーワンの存在になるかが存続の分かれ道だと思っています。事業を多角化することで業績を安定させることを目指します」
沖縄という地域に根差した会社だからこそ、地域課題を解決できる会社でありたい。
「『造る』と『遺す』のバランスを考えつつ、沖縄の個性的な街並みを保護しながら建設とリノベーションを通じて街を活性化し、そこに多くの人が訪れる。その一助に福地組がなれたらと願っています。新しい沖縄の魅力の発信源となる会社になれたら、こんなにうれしいことはないですね」
お客さまの声をお聞かせください。
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