制度を活用する企業が急増!企業版「ふるさと納税」のしくみとメリット
- 税制・財務
- 専門家に聞く
- 地方創生
佐賀県嬉野市で肥前有明豚の養豚事業を営む「くすのきファーム」は、2代目の小楠裕子氏が事業を引き継いで26年になる。この自然豊かな地で、資源循環型畜産のよりよい在り方を目指してきた。一頭一頭に愛情をこめてのびのび育てた豚は今、SDGsなブランド豚として精肉、加工品ともに注目を集めている。全国でも女性が養豚を自ら手掛けるのは珍しいという小楠社長にこれまでの道のりを聞いてみた。
小楠氏の父で、創業者の小楠辰己氏が50年前に養豚を始めたころは、周辺にも何軒かの同業者が稼働していた。
「父は、借り入れをしては豚舎を増やしていきました。でも近隣の養豚農家は、後継者がいないからと廃業が続き、とうとう嬉野市ではうちだけになってしまいました」
小楠氏とて、家の仕事はどちらかというと嫌いだった。
「やはり臭い、汚い、きついというイメージのある家業が、どうしても好きになれませんでした。でも実際、自分でやってみたら、そのイメージはまるで違っていたんですけどね」
両親がやっていた養豚業だったが、母親の怪我をきっかけに朝晩手伝うようになった。
「当時、若かったとはいえ昼間調理師として働きながらでは、やはりきつくて体がもたなかったのです」
そこで、小楠氏はいやいや手伝っている現状に終止符を打った。どうせやるなら、自ら選んだ畜産の道を自分流に切り開いていくと覚悟を決めたのだ。
「今、抱えている豚舎の借金は普通にしていては返せない。だったらとことん本気で養豚に取り組んで、一日も早く返そうと思いました」
先代である父は、「仕事は見て覚えろ」というタイプ。
「人に聞いたり、調べたり、毎日の豚の変化を観察したりして、自分なりに効率よく、豚にストレスなく育つような工夫を積み重ねました」
借金も返し終わった1997年のこと、60代後半にさしかかっていた父から事業を譲られることになった。
「同じ養豚でも父とは考え方もやり方も違います。でもどちらが母豚に上手く種付けをして、分娩させられるか、子豚がより大きく育っているかは数字が結果を示してくれます」
この2代目の経営方法に納得をしたのか、先代は事業からすっぱり手を引き、その後は一切口出しをしてこないという。
「似た者同士なんで、どうせ言っても聞かないとわかっているんじゃないでしょうか。でもやり方は違えど、本当に愛情をこめて豚を育てるとか、嬉野温泉と同じ源泉の地下水を飲ませたり、エコフィードを活用することなど、父から教えられいまだに守っていることはたくさんあります」
豚舎には、伐採された木を粉砕して作った雑木チップを敷きつめて、豚を飼っている。
「この天然の“バイオベッド”にしたら、豚の足腰が強くなり、元気が出てエサをたくさん食べてくれました。臭いも軽減するので相乗効果が高いのです」
畜産で出る糞便は、たい肥にして近隣農家に配り利用してもらったり、パンや弁当などの食品ロスを利用して飼料にするエコフィードを自社で製造したりする「資源循環型畜産」はずっと以前から取り組んでいたことだ。
「SDGsを皆が口にするはるか以前から、くすのきファームでは当たり前にやってきていることばかりなんです」
時代が、養豚業にやっと追いついてきたとでもいおうか。
「豚はとても繊細な動物です。ストレスができるだけ掛からないようにと、ワクチン注射を最小限にして、耳環などもせず、愛情を注ぎ、大切に育てています。人間が食べても安心なエサと温泉水で育て、安全なブランド豚肉としてお届けしたいのです」
7年前に豚の病気が発生した時には、周囲の誰もが豚舎の経営を諦めるように助言してくれた。
「でも中途半端で辞めるのが一番嫌なんです。だから全責任を私が取るから引き続きやらせてほしいと、大きな借金を抱えました」
農場から全部の豚を出して豚舎を改装し、掃除、除菌を施すために1年休業した。
「経営者仲間からは、信じられないと言われました。でも“諦めたらそこで終わり”ですからね」
その時に先代が昔「豚と土地を守る」と言っていた言葉が思い起こされた。
「昔、豪雨があって裏のため池が決壊しかかったことがあるのです。そのときに母と私だけを避難させて、『ここを守らないといけんけん』と父だけがここに残ったのです」
その父の気持ちが、今になって痛いほどわかったという。
「従業員も豚も自分が守らなくてはいけない責任があるんですよ。だからそうなりますよね」
今まですべて手探りで取り組んできたので失敗も多かった。しかし自分が決めたことを少しでもやり遂げる過程に意味があると思っている。失敗のおかげで今の自分があると胸を張って、常に前を向いている。
2021年の夏、嬉野市は記録的な大雨に襲われ、広い範囲で洪水や床上浸水の被害が相次いだ。
「たまたま知り合った方が、ライブコマースで商品を売る方法を教えてくれたので、復興プロジェクトとして取り組んでみようと地域の生産者たちに声をかけたのです」
そこで生まれたのが、嬉野銘茶と豚肉を組み合わせた「嬉野茶しゃぶ」や豆腐屋の温泉湯豆腐とコラボした「美肌豆乳鍋」のセットだ。
「もともと調理師の資格をもっていたのでレシピなどは自分で考えています。肉のスライスや加工は、独学で学びました」
生ウインナー、生ハンバーグなど、次々に商品化していったが、一番人気は、なんといっても餃子だという。
「ギフトを贈られた方からリピートがあったりして、人気が高まりおかげさまで生産が追いつかないほどです。食べてくださった方とのご縁を大切にしていきたいと考えています」
2022年度の女性社長アワードJ300(※)に応募したのも知り合いに勧められたのがきっかけだ。
「準大賞をいただいてから、もう一度、後継ぎウーマン賞でも私の名前が呼ばれたので、何かの間違いだとばかり思っていました」
本当に2つとも自分が受賞したとわかって、とても驚いたという。
「今は一日も仕事を休みたくないんです。子豚は毎日生まれてくるし、エサもバイオベッドも毎日やらなくちゃならない。もう少し借金が減って安定したら、休めるのかな」
従業員にはもちろん休日はあるが、自分にはあってないようなもの。だから、子どもには、寂しい思いをさせてしまい、申し訳なかったと思っている。
「今、22歳になりましたが、『おじいちゃんの意思を継ぎたいから俺も養豚をやる』と言っています。でも口だけなら、やめとけって言っているんですよ」
中途半端な気持ちでするなら事業承継などしないほうがいいので絶対に許さないつもりだが、祖父と祖母を親代わりに育ってきた息子らしい言い方だと嬉しそうに笑う。
「今は、なるべく自然な状態で育てた自慢の肥前有明豚をもっと全国に知られるブランド豚にしていくのが私の目標です。安心、安全、おいしいこの豚肉をもっともっと皆さんに食べていただきたいです」
※J300アワード https://j300award.wixsite.com/2022
女性社長.net https://joseishacho.net/
お客さまの声をお聞かせください。
この記事は・・・