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事業承継

「何も知らなかったから出来た」
株式会社センショー 堀内麻祐子社長

  • 女性経営者
  • 後継者

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大阪市で3つのめっき工場を経営する堀内麻祐子氏。先代社長の叔父と専務だった父から経営を引き継ぎ、新たに株式会社センショーを立ち上げた。未だに男社会のイメージが根強いめっき業界だが、センショーではなんと従業員の3分の1を女性が占め、様々なポジションで活躍している。工場に足を踏み入れることもなかった堀内氏がどのように会社の経営を成功させたのか、素朴な疑問を胸に大阪を訪ねた。

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会社に入ったわけ そして社長に・・・

もともとめっき工場とは無縁だった堀内氏が、会社と関わることになったのは、38歳の時。社長である叔父と専務を務める父親が相次いで病に倒れたことがきっかけだ。

 

「社長が脳梗塞で2回倒れ、半身不随で寝たきりになってしまったのです。それで私の父が専務のままずっと会社を切り盛りしていました。その後、父も末期の癌と診断されたのです」

 

会社の経理を担当していた専務が入院したことで、新たに会社のお金を管理できる人が必要になった。そこで、父が声を掛けたのが娘の堀内氏だった。

 

「父は私に仕事の話は一言もしたことがなかったのです。その父が、わたしに『手伝ってくれないか』と・・・。余命宣告もされていましたし、父が生きている間だけは手伝おうと、その時の仕事をすぐ辞めて会社に入りました。親孝行の気持ちでした」

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入ってみると、「お手伝い」どころではなかった。得意先や銀行関係とのやり取り、労働組合との交渉など、やることが目の前に山積した。それらをがむしゃらにこなしているうちに、いつしか堀内氏は会社に不可欠な存在になっていった。

 

堀内氏が会社を手伝い始めて2年経った頃、父親が息を引き取った。

 

「辞めるつもりだったのですが、メインバンクの支店長と取引先の方に、これからどうしていくか説明してほしい、と呼ばれました」

 

その時、メインバンクに言われたのが今後30年間の経営計画を作成して持ってくること。

 

正直、経営計画などないに等しい会社だった。もちろん堀内氏、社長業は素人同然だった。言われたからには、と一念発起して持って行ったのが、いわゆる経営計画とはかけ離れたもの。すなわち、会社の課題をいつまでに解決していくかを時系列的に記した、いわば「課題解決表」だった。

 

なんと、100個以上列挙した課題とそれをいつ解決するかを記したその表を説明し終えた時、「メインバンクの方に『あなたが(社長を)やりなさい』と言われました」

 

彼らは堀内氏の覚悟を見て取ったのだ。

新たなスタート

父親が亡くなってから3か月、めっき工場は堀内氏が社長を務める株式会社センショーとして新たなスタートを切ることとなった。

 

新しい会社では、それまでの従業員を全員受け入れた。旧会社で共に団交を行った古株たちだ。

 

「移籍してもらう時に今までの条件は変えないことを約束してほしいという要望書を(社員が)持ってきましたが、何も全く変えるつもりはなくて、ただ会社の名前が変わっただけだと思ってくださいという話をしました。結局皆さん定年までいらっしゃいました」

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のしかかる12億の負債

堀内氏がまず直面したのは、先代の社長が投資の末に抱えた12億の負債だった。これを返済しないことには、新しい借入先を見つけることもできない。

 

「同業者の先輩の社長の方たちが心配してくれて、『うちの会社、見においで』と声を掛けてくれました。工場の中というのは普通ライバル会社には見せないものですが、私がめっきの事を何も知らなかったからでしょうか。随分と見せてもらえましたね」

 

様々なめっき工場へ訪れ、必死に経営のヒントを探した。

 

「ほかの会社の工場の中はあんまりうちと変わらないなと思いました。でも何か違うんですよね。何が違うのかずっと考えていると、きちんとしたきれいな事務所があって、制服を着た女の子たちが事務作業をしているところが多いことに気づいたのです」

 

当時堀内氏の会社の従業員は年配の作業員がほとんど、事務職など一人もいなかった。

 

「ここがやっぱり会社のイメージを一番変えるとこなのかなと。まず事務机をきれいにしたり、白いキャビネットを買ったりして、とにかく見た目はちょっとでもきれいに見えるようにしました。それから、若い女の子を採用しようと思うようになりました」

初の女性社員採用

2014年、堀内氏はうまい具合に大阪府が行ったインターンシップ制度を見つけた。

 

学生が在学中に3か月間企業でインターンシップを行い、お互いが同意すればそのまま社員として正式に採用できる仕組みだ。人件費を含めた費用も大阪府が負担し、企業には一切コストがかからない。若手社員の採用を目指す堀内氏にとって願ってもないチャンスだった。

 

しかし、現場の従業員からは大反対された。

 

「当時は経理や総務などの部署が全くなかったので、『大卒の女性を入れてもすることがないじゃないか。だったら現場の子を増やしてくれ』と言われました。会社に一切負担がないことを説明して、無理やり来てもらいました」

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何とか周囲を説得し、男性2名と女性3名をインターンに受け入れた。狙い通り、会社の雰囲気はガラリと変わった。

 

「インターンがパソコンで会社のホームページやマニュアルを作ってくれるのを見て、すごいすごいと社員が喜んでくれました。理系の子はめっき液の成分分析もできて、新しい風を吹き込んでくれました」

 

結局その年は女性3名を含む計4名の新入社員の採用に成功した。

 

「1人は3年ぐらいで辞めちゃったんですけど、1人は総務、もともと総務をバリバリできるような、総務の怖いおばちゃんになりたいんですって(笑)もう1人の子は現場仕事をしたり、色んなことをしたりして、3年前から営業をしています。頼りがいがありますね」

 

この年をきっかけに、継続的に高卒や大卒社員の採用ができるようになった。若手社員が定着したことで、社員の平均年齢は32歳と一気に若返った。女性比率は3分の1まで上がったが、堀内氏はそれを更に5割にまで引き上げることを目指している。

 

「危ないとか汚いとか、だから男性中心の職場だったのですが、それもおかしいですよね。男性にとっても危ないし汚いし。女性が働ける現場は男性も働きやすい現場になるので、まだ全然出来てはいないのですが、そういう職場にしていきたいです」

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経営の多角化でコロナを乗り越える

センショーが手がけるめっき加工は、銅、ニッケル、すず、硬質クロム、ニッケルクロム、無電解ニッケル、と多岐に渡る。この規模の会社で、多彩なめっきを扱える点は、センショーの強みの一つ。

 

それが、コロナ禍で活きた。

 

以前は、取引先の9割近くが石油エネルギー業界に集中していた。石油や天然ガスの掘削で使用されるパイプのめっき加工などが中心だった。しかし近年、石油エネルギー系の受注シェアは全体の半分程度にまで低下。新たに重電、自動車、半導体業界などからの受注割合が増加し、石油エネルギー業界のシェアダウンを補った。

 

「石油関係は、掘削現場でクラスターが発生して開発が止まったりということがあって、一番ひどい時は(売上が)7割、8割減くらいでした。ただ、他(の受注先)からのオーダーが増えたので、売上は3割減で済みました」

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女性経営者へのアドバイス

堀内氏は会社経営の傍ら、製造業に携わる女性経営者を支援する「一般社団法人ものづくりなでしこ」の「なでしこ会員」として、後進の育成にも力を入れている。(参考記事:日本の製造業を変える原動力に「一般社団法人ものづくりなでしこ」渡邊弘子代表理事

 

「やはり一番聞かれるのが、『技術のことがまったく分からないのに、製造業をやっていけるのか』という質問ですね。そこを不安に思っている人が多いです」

 

堀内氏は、会社に入った時、自身がめっき加工の専門知識が全くなかったことを振り返りながら、これから製造業において経営者を目指す女性に向けてこう話している。

 

「30才だったら、多分現場に入って一緒にめっきをしていたと思います。でも会社に入ったのが、40才近く。今更現場のことを覚えるのに10年はかかって50才になってしまう。だから、最初からめっきの技術は覚えようとはしませんでした。その代わり、しっかりした技術の人を探して、育てて、組織をきちっと作っていくのが私の仕事だと思ってやってきました

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それを聞くと、彼女たちは「すごく安心する」という。「ものづくりなでしこ」の活動のすごいところは、こうした先人の経験をじかに聞くことができることだろう。

自身の承継

叔父、そして父の意思を引き継いで会社を成長させた堀内氏、自身の事業承継についてどのように考えているのか聞いた。

 

「私、子供がいないんです。兄弟もいなくて一人っ子なので、甥とか姪もいません。だから身内の承継はありません」

 

従業員の中から、承継者を見極めようと考えている。

 

「60~70人規模の工場を継ぐとなると、それはちょっと大変かな、と。今、うちには工場が3つありますので、それぞれ20人くらいの社員とともに、社内の子たちがひとつずつ継いでくれるのが理想ですね」

 

父親の病をきっかけに期間限定社員のつもりが、気が付いたら社長業10余年。終始、物静かな堀内氏だが、経営に対する思いはゆるぎない。工場でテキパキ仕事をこなす女性社員の笑顔に見送られ、大阪・南津守を後にした。

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