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事業承継

オンライン・事業承継セミナーレポート

「女性経営者が語る、承継の本音と本気」

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2021年3月16日(火)、オンライン事業承継セミナー『女性経営者が語る承継の本音と本気』(主催:福井県よろず支援拠点、共催:女性のための事業承継ステーション Supported by エヌエヌ生命保険株式会社、福井県事業承継ネットワーク)が開催されました。


 

ゲスト(語り手)としてご参加いただいた事業承継の経験がある女性経営者は、福井県内で300余年の歴史をもつ丹生酒造株式会社 代表取締役 高橋裕子さんと同社社員で妹の嶋田明美さん、三重県のお酢メーカー 株式会社MIKURA 代表取締役 伊藤志乃さん。


モデレーター(聞き手)は株式会社コラボラボ代表取締役でお茶の水女子大学客員准教授 横田響子さん。福井県よろず支援拠点 チーフコーディネーター 酒井恒了さんがファシリテーターを務め、それぞれが事業承継に至った経緯や、経営者として始めた新たな取り組みなどをうかがいました。

【ゲストプロフィール】

  • ●高橋裕子(たかはし ゆうこ)(写真 右)

丹生酒造株式会社 代表取締役

1716年創業の同社は、地元の神社に奉納するお神酒造りから始まったという。その後、そのお酒は蔵のそばにあった桜の大木にちなんで「飛鳥井」と名付けられ、今も地元の人々に愛され続けている。


事業継承の経緯:

先代社長で蔵元杜氏だった夫と二人三脚でお酒を作り続けてきたが、夫の突然の死去により、2016年代表取締役に就任。2017年から、日本酒のベースとなる酒母(しゅぼ)から手作りする「生酛(きもと)造り」による日本酒造りを開始。また2020年にはクラウドファンディングに挑戦。集まった資金をもとに、地元の自然農法のお米を使った女性目線での日本酒、純米大吟醸「さくら鞠子(まりこ)」の製造に取り組んでいる。



●嶋田明美(しまだ あけみ)(写真 左)

2016年丹生酒造入社。高橋さんの実妹で、営業および広報などを担当。

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  • ●伊藤志乃(いとう しの)

株式会社MIKURA 代表取締役

祖父が創業した水道土木業の会社で、経理事務を担当する母を見ながら育つ。「女の子は仕事をしなくてもいい」という家庭環境だったが、母の仕事を見習いながら、つねに自分にできる仕事はなにかと考えていた。


事業承継の経緯:

あるとき、経理コンサルティングをしている小中学時代の同級生に「お酢の会社を買わないか」ともちかけられたのがきっかけで、自己資金を注ぎ込んで、2016年同社の代表取締役に就任。まったくの異業種からの参入だったが、自ら営業をしながら酢の製造法を学んだ。自宅がある四日市市から和歌山県境に近い場所にある醸造所まで、片道180㌔を通っている。

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突然の事業承継!
決断したきっかけは?

酒井さん(以下、酒井) まずは事業内容も含めて自己紹介をお願いします。

 

高橋さん(以下、高橋) 丹生酒造の創業は1716年です。一時は多くの蔵人がいてにぎやかに酒造りをしていたそうですが、近年は夫と私たち家族で造っていました。ところが2015年12月に夫が突然他界。再建するか、廃業か。けれど300年にわたって先祖が守り続けてきたと思うと、続ける選択しかありませんでした。

 

伊藤さん(以下、伊藤) 私の場合は第三者承継です。創業は2008年で、もともとは隣町で当時の社長の実家である醸造蔵から仕入れて販売する会社でした。ところが仕入れ元の工場が台風で被災したため、社長が製造業に乗り出しました。でも工場を建設したところで資金回収できなくて会社を売却。その後、4人もの社長が入れ替わり立ち代わり再建を試みたのですが、いよいよ倒れそうだというところで私のところにバトンが回ってきました。たまたま会社の経理のコンサルタントをしていた友人に、なにかの拍子で「そうだ、酢の会社を買わない?」と言われ、つい引き受けてしまったのです。ですから高橋社長のように、突然ご主人を亡くされて究極の決断を迫られたのと違い、何も考えていなかった、何も知らなかったというのが正直なところです。そもそも創業から8年で4人も社長が代わっている時点で不思議に思うべきだったのですが。


社長になって最初にやったのは商号変更です。当時の社名は「中野御蔵」で、それだとたいてい「中野」と略されますよね。しかも代表が女性となると「会長がダンナなの?」とか「お酢屋さんが実家なの?」と言われて、いちいち説明するのが面倒で。とにかく「中野」という文字をはずしたのが、私の最初のプロジェクトです。

 

酒井 考えてみると、2社ともお米から醸造するという共通項がありますね。丹生酒造さんが酒造りを続けようと考えたきっかけはなんですか。

 

高橋 主人が倒れたのは12月の仕込みの真っ最中だったので、年明けの作業は休止せざるをえず、一時はやはり廃業を考えました。私は補助的な作業しかしていませんが、主人のそばで酒造りを見てきて、その大変さはよくわかっています。実際、主人に止めようといったこともあります。でも「俺が生きている限り、絶対に酒造りは止めない」と怒られて。その言葉が一番の理由です。

運よく新しい杜氏さんはすぐ見つかったのですが、最初の問題は、蔵の老朽化が激しくて、設備を新しくしなくてはならなかったことですね。幸い、地元の金融機関や商工会議所などのお力を借りて新しくすることができました。

 

横田さん(以下、横田) 伊藤さんは、コンサルタントの方に継がないかと言われてどれくらいで決断したんですか?

 

伊藤 もともとその友人から会社のことは聞いていたんです。でも自分のこととして聞いていたわけではないので。会社を買わないかと言われたときのことも本当にあまり覚えていなくて…。6月15日に出資したことだけは覚えていますが、おそらく話があってから1週間もたっていなかったと思います。それくらいするすると話が進んでしまった。今では「お酢に呼ばれた」と思っています。

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酒井 今思えば、会社の財務状況とかきちんと調べておけばよかった?

 

伊藤 今思えばそうですね。今でなくても、ふつうはそうだと思います。ただ、真剣に考えていたら絶対受けなかったと思うので、やはりご縁があったのだと思います。

 

酒井 決断というのはそういうところもありますね。理屈だけではない。でも事前にきちんと調べておくことは必要。これから事業承継という形で創業しようと思っている方にも重要なことですね。


女性ならではの発想で
新たな取り組みに挑戦中

横田 お二方に質問ですが、事業承継してから始めた新しい取り組みをぜひうかがいたいです。丹生酒造さんはクラウドファンディングにチャレンジしていますし、伊藤さんもたくさんの商品をラインナップされています。どうしてそういう取り組みを始めたのでしょうか。

 

嶋田さん(以下、嶋田) 私がこの会社に来て5年になりますが、最初に考えたのが「この蔵でしかできないことってなんだろう」ということでした。外から来たから余計にそう思ったのでしょうが、ほかの酒蔵ほどではないけれど、小さいながらもたくさんの種類のお酒を造っているなかで、何をメインに売っていったらいいかわからなかったのです。


そこで始めたのが「(きもと)造り」。簡単にいえば、この蔵に住んでいる乳酸菌を取り込んでお酒にする昔ながらの製法ですが、それこそがこの蔵でしか作れないお酒ということになります。生酛造りを始めて今年で4年目になります。


それと並行して2年前に始めたのが、純米大吟醸「さくら鞠子」です。姉と近所を歩いていて、ふと「ここに昔、桜の木があったね」という話になったんです。「飛鳥井桜」という名前の立派な桜で、ちょうど新酒ができる時期に満開になるので、みんなで集まって酒盛りをしたという話をよく聞いていました。「またそんな桜があるといいな」という話と、女性社長ならではの酒造りをしたいということから、女性にも飲みやすい優しいお酒ができたらいいねということになって。


クラウドファンディングは、私が営業であちこち歩いていていたことから、福井の人でも意外と飛鳥井という名前を知らないと感じていたので、知名度アップのためにも挑戦しようということになりました。



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伊藤 ブランドは私が変えました。そもそも別の会社で造っているお酢を仕入れて売るところからスタートした会社だったので、そちらの会社への遠慮もあり、三重県内より先に東京で売っていこうと東京の三重県のアンテナショップに行ったんです。そこで知ったのは、田舎と違って都会では大きな瓶では売れないということ。むしろ割高でも小さくて持ち運びしやすい方が喜ばれるということです。

そこでデザイナーさんにお願いしたのは「お酢とわからないようにして」ということ。ターゲットは「ギフト」だと思っていたので、化粧品のビンのような、透明感のある、高級感のあるデザインを目指しました。社長になったころは社員や同業者など周囲への遠慮がありましたが、「お金も出したんだから口も出そう」と思って遠慮するのをやめてから、会社が変わったように思います。

 

横田 お二人とも女性らしいなと思うのは、ストーリーが見えることですね。化粧品のようなお酢とか、桜の下で飲むお酒とか、お話からビジュアルが目に浮かんできます。

 

商品の知名度を上げるため
やるべきことをやるしかない

横田 最後の質問ですが、事業承継にあたって大事なことはなんでしょうか。

 

高橋 地元の方に愛されること。今まで先祖がこの土地でお酒を造ってきて、地元の方に支えられてきたこと。私も今、支えられていますが、これからも地元の方に愛されるお酒を造っていきたいと思います。

 

伊藤 難しいんですけど、思い切りやるしかないなと思っています。代表者になると会社の借金を返済しなくてはならないから、歴代の社長は会社の借金を返済する連帯保証人を拒絶して私にバトンが回ってきたわけですが、借金は何とかなると思っています。


私は営業が本当に苦手で、最初のころはお客さんに対しても「本当に買ってくれるんですか、うちのお酢でいいんですか?」という言い方をしていました。でもあるときから「私が感動したお酢の味を皆さんに紹介したい」と思うようになり、「買わなくていいからうちのお酢を知ってください」という言い方に変わりました。すると今度は、みなさんのほうから名前を広げてくれるようになったのです。今はまだ売上を上げるのに必死ですが、やることをやっていれば、お金のことは後からついてくると思っています。

 

 

酒井 本日は事業承継した二組の女性経営者のお話を聞いて、実際にビジネスを始めると、ビジネスのことから商品のことまで、伝えたいことがいっぱい出てきて、時間がいくらあっても足りないということがよくわかりました。全国的に見ても、女性の事業承継者への支援や、支援する団体が少ないというのが現状ですが、これからも関係団体同士で情報交換しながら、女性の事業継承者のための活動を盛り上げていきたいと思います。

 

横田 今日はチャットでもたくさんのご質問をいただきました。こんなに活発にご質問をいただけるのも、ゲストの方々の温かいコメントがあってこそと思います。改めてありがとうございました。




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