父が築き守ってきたプロテック 「人のために」の理念を貫きたい プロテック株式会社 代表取締役 小松 麻衣氏
- 40-50代
- 北海道・東北
- 女性経営者
- 後継者
経営者と後継者が事業承継について話し合う。それは、どこか照れもありなかなか難しいもの。
そこで、『ヒストリーブック』(※)を経営者に書いていただき、創業からの出来事や、経営に大切なことなどを残します。そこに書ききれなかったこと、さらに伝えたい大切な思いなどをインタビューしたうえで、『ヒストリーブック』とインタビューを後継者が読み、その後お二人で会社経営について語り合う時間を作ります。
この『ヒストリーブック』を媒介として、経営者と後継者がお互いの思いを伝えあうという企画。2回目の今回は、行列のできるせんべい店「せんべい味億本舗」を育て上げた玉川製菓株式会社の玉川昌一社長にご登場いただきました。娘の真奈美さんは、家業を手伝って5年になります。
(※)The History Book(ヒストリーブック):社長の『考え方』『生き方』『あり方』を言語化し、財産とともに後継者が受け継いでいけるようお役立ていただけるツール。具体的には、会社の理念、歴史、直近の経営・財務状況、事業承継計画、重要な取引先等の連絡先、家族へのメッセージ、加入している保険の情報などを記入できます。事業承継予定の有無にかかわらず、経営者には必ずもっていただきたい1冊。エヌエヌ生命が制作。
玉川製菓は玉川氏の父が1955年に新宿区下落合で創業した、菓子の小売り業だった。
「私が小学校高学年の時に板橋に引っ越して、小売りをやめて卸売りだけにしました」
卸した先が倒産したり、泥棒に入られたりして、資金繰りが大変だったことを子どもながらに覚えている。作業場を兼ねた家に親子8人で暮らしながら、家族を養うため父親が次々と新しい事業を手掛けるのに長男として巻き込まれていった。
「おやじは人から聞いた事業をすぐやりたがる。池袋にバンを置き、1日中ホットドッグを売ったり、釣り堀がはやると立川競輪場の入口あたりで鯉のいけすを作ってみたり。私も中学生くらいから手伝ったけど、そう売れるもんじゃないんです」
だからいまだに玉川氏は人がいいというものには、手を出さないのだという。全面的に経営を引き継ぐようになったのは30歳後半くらいの時。父親が脳梗塞で倒れたことがきっかけだった。
「おやじは割と口うるさかったから、しょっちゅう衝突していました。すごくガンコでね。『もうお前がやれ』と言われ、やってみたらもうけるのって大変だなって初めてわかりましたよ」
清瀬に引っ越したころから、菓子問屋の数が減り、代わってコンビニやスーパーとメーカーが直取引をするようになってきた。そこで、その昔やっていたせんべいの小売りへシフトすることにした。
「卸しの売り上げが目に見えて下がって、全盛期の1/10くらいになった。これじゃいけないと、1990年に直売店をはじめたんです」
けれどなかなかお客さんは来てくれない。
「あのころは2年も3年も赤字でした。卸しがあったからやっていけたけれど、正直いつやめようかと思っていましたね」
バブル最盛期で賃料も高かったので、個人ローンで店舗を取得してスタートした店だった。
「買っちゃったからやめるわけにいかなかった。借りて開いた店だったら、すぐやめたね(笑)」
どうにかお客さまに認知してもらおうと、年に4回、割引セールイベントをやってみた。それが評判を呼び、お客さまが広がった。
「お客さまは正直。おいしければ必ずまた来てくれます。そうやってリピーターになってもらいながら、小売りを広げていきました」
小売りは、卸しより経費がかからない分、原価率がよい。また売り上げが毎日現金で上がってくるのもありがたかった。
「出来合いのものを売ってもよかったんだけど、結局それでは利益が出ない。自分のところでアレンジすると利益額が違うんです。いくら売っても利益がでなかったら、従業員もかわいそうでしょう」
今でも荷だしから何から自ら行うので、365日スーツなど着たことがない。
「ずっと小さいころからせんべいを見て、食べているからだろうね。売れる商品かどうかがなんとなくわかる」
理想を言えば、一年中、毎日おいしくせんべいを食べ続けてほしい。
「おやじは経営者としては反面教師。うちは零細企業だから募集したってふさわしい人はなかなか来ない。私が中学生くらいの時に、雇用した人が朝起きて来なかったりとか、よく見てました。人を雇うって大変だなっておもいましたもん」
今でこそある程度の人数を雇用し安定してきたが、人を採用する難しさは続いている。
「その点は、娘にすごく助けられている。それまで新聞折り込みとかで募集してきたけど、ネットで求人するようになって、若い人が応募してくれるようになった」
若い人の仕事ののみ込みの早さや手の速さに驚く事もあるという。
「せんべいが1枚として同じのはないのと一緒で働く人の能力が一律なんてことはないでしょう。働いてる人にはそれぞれ個性があって、凸凹があって当然。手が遅い人は慎重だし、速い人は間違いが比較的多いんです。パパパってやる人って、こちらが見ていておっかない(笑) だからいろいろなタイプの人がいたほうが、バランスがいいんじゃないかな」
そんな玉川氏の会社は、今までやめた人がほとんどいない。
「経営する中で一番大事にしてるのは人。企業は人だから」
一応定年は決まっているが、70歳に近い人もいる。
「どうしてか知らないけど、みんな長く働いてくれるね。忙しいってことがね、いい部分もあると思うんです。今日は仕事ないからこれで終わりって仕事を切らすのが一番かわいそう」
その日、せんべいを詰める作業がなくても、シールを貼るとか、箱だけ組み立てるとか何らかの仕事があるように工夫する。
「パートタイマーの人が多いから年収103万とか130万とか超えちゃいかんていうのがあるけど、年末なんだかんだみんな用が多いから休むんだよね。うちも絶対出てこなきゃだめだなんて言わない。自分たちで工夫してシフトを作ってくれと。そういう点で自由度が高いから、割と働きやすいのかな」
夏は飲料水、アイスにお客さまを取られがちだが、幸い夏にはお中元という大イベントがある。おかげで年間を通して平均的な売り上げを保っている。
「だからせんべいって改めていい商材だなっておもうんですよ。年間を通して、贈答品にもなるし、生ものじゃないから、ある程度作りだめしておける。そう考えたらすごく扱いやすい商品」
事業を継ぐことに関しては、長女である真奈美さん自ら言い出して会社にきてくれた。
「長男もいるんだけど、娘が自ら家業を手伝うっていいだした」
真奈美さんは、新しいことに挑戦するのが大好きな女性なのだそうだ。
「最初は、もう5年くらいよそさまの会社で経験した方がよいと言ったんです。でも、結果として、来てもらってよかった。私も、もう71歳ですし」
真奈美さんが会社に入ってまだ5年。玉川氏から見て、まだまだわからないんだろうなと思うことがたくさんある。
「直接お店に立って、販売をしてるわけじゃないし、ほとんど事務所だからお互いに見えないんだろうね。スレ違いは毎日のようにある」
真奈美さんが新しいことを導入したり、面白い売り方をすることに対して、意見が対立することもある。
「だって同じ考えなんてなかなかない。でもそれはケンカではないから、翌日になれば別に何ごともなかったように仕事します」
2020年は春先からじわじわコロナの影響があり、夏のお中元はいつもの半分の売り上げだった。通常50人くらい店に並ぶ最盛期も半分以下と少なかった。
「店が混むのを嫌がっていたよね。そのぶんネットからのお客さまがすごく増えたの。お店の売り上げが落ちたのをすべて取り戻すのは難しいけど、助かるよね」
自社のネット販売の売り上げはまだそんなには大きくはない。
「ネットで売るって大変ですね、お客さんがそうそう来ない。でもこのコロナでしょ。やっておいてよかったなと思いましたよ。それでも私は体でね、商品運んだりする方があってるんで。なんせもう、デジタルは苦手!」
まして味に関してはAIに任せるなどもってのほかだと思っている。玉川氏が良いと思ったせんべいは、なぜか必ず売れ筋商品になるのだから。
「私にしたら、いつ継いでもらったってかまわない。ただ今は、中の作業場も私がほとんど指示してるから、作業場ごとにしっかりした方を責任者に決めればいいなと思っています」
事業承継するにあたって、娘への注文は、あれもこれもいっぱいあるような、ないような。
「ある程度経営的なことを任せても大丈夫かなと思ってる。無駄遣いはしないしね。それどころかこれ経費で落とすの?とかって言ってくる。うるせー!必要なもんだからしょうがねぇだろって、ほんとにしっかりしてる!(笑)」
そういう面では安心して、事務的なことは全部任せられるのだとうれしそうだ。
「娘は割と社交的で人に好かれるタイプ。それが良いところ。自分だったら考えられないようなことを平気でするところも面白い」
人とのつきあい方が上手いので、きっと自分と違う会社経営のやり方をしてくれるのではないかとひそかに将来を期待している。
次回は、承継される娘の真奈美さんが、『ヒストリーブック』とこのインタビューを読んだうえで、社長との対談に臨みます。引き継ぐ側の考えや疑問など、正直な気持ちをお聞きします。
後編:玉川真奈美さんへのへのインタビュー記事はこちら:「会社を支える、社長の勘や記憶という財産。それを誰もがわかるようデータ化したい」
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