インボイス制度導入でどうなる? 税務調査の方針と留意すべきポイント
- 税制・財務
- 専門家に聞く
福岡県は柳川市にある「柳川藩主立花邸 御花(おはな)」。1738年、柳川藩五代藩主立花貞俶氏が別邸を築いたことに始まり、終戦後旅館となってからも現在に至るまで、藩主の末裔が御花を受け継いでいる。1910年に迎賓館として建てられた西洋館と280本もの黒松を配した池庭・松濤園や大広間などの和洋を併せ持つ、他に類を見ぬ空間は、観光拠点としてだけでなく、文化施設としても親しまれている。
コロナ禍で2ヶ月休業を余儀なくされるも、それを契機に新たな挑戦に取組み始めた御花。300余年の歴史をこれからもずっと守り続ける。御花代表にして立花家18代、立花千月香氏に話を聞いた。
東京の大学に進み、そのまま東京で就職した立花氏。アメリカへの留学も経験したが、柳川に戻り家を継ぐ決意をした。
「元々全然戻ってくるつもりはなかったですね。(笑)小学校まで地元、中学から福岡市内。とにかく遠くへ遠くへ行きたかった。大学の時に東京に行って、東京で就職をしました」
たしかに柳川から東京は遠い。しかし、藩主の末裔としての血が彼女を突き動かしたのだろうか。
「驚いたことに東京で御花のことを知ってくださっている方がいたんです。自分のアイデンティティがそこにあることを思い出しました」
実家では、父がバリバリ働いていて、別に自分が帰らなくても・・・そうも思った。しかし、「いずれ誰かが継がないとここがなくなってしまう。そう考え、覚悟を決めました」
その時、まだ27才だった。
家業といっても旅館業で働くこと自体が初めての経験。慣れないことはさぞかし多かったろう。
「全部が大変でした。そもそも週休2日制でなかったことにひっくり返りましたね」
旅館だから当たり前といえば当たり前なのだがそんなことに驚き、そしてどんぶり勘定で人余り状態の家業を目の当たりにして将来に不安を覚えた。しかし、団体客が次々と旅行代理店から送り込まれる日々の繁忙にそうした思いはかき消されていった。実家に戻ったのが2000年。瞬く間に時間が過ぎ2005年には専務になった。
リーマンショック後の2010年頃。今まで順調だったブライダルの需要が消えた。専門業者が台頭してきたのだ。黙っていても客が来る時代の終焉。外部コンサルを入れ、自分がウェディングプランナーになってなんとかブライダルも復調してきた。そして2015年に社長になるのだが・・・
「コロナになる前の2017年、18年くらいから、これから柳川の観光をどうしていくのか、すごく不安だった」
なぜか。売り上げを確保するために数を追っていた時代が長く続いていたからだ。いずれそうした時代は終わる。そんな予感はあったものの、過去の商売のやり方を断ち切ることが出来ない悶々とする日々。
そして、コロナが来た。2ヶ月の休業を余儀なくされたが、心の底ではこう思った。
「これでやっと変われる」
実は立花氏はコロナ前までの御花の経営の問題点を把握していた。それは3つある。
1つ目は、「お客さまはたくさん押し寄せてくれるが、彼らの記憶に残っていない」こと。
御花の文化的価値の高い建造物はもちろん、舟での川下りや鰻など、柳川の魅力はたくさんあれど、お客さまに十分その魅力を伝えられていなかった。
2つ目は、「歴史がある場所とわかって来るお客さまや、御花が大好きなお客さまが、魅力を伝えきれていないことを『もったいない・・・』と言って帰っていくこと」。それを耳にするのはさぞかし辛かったろう。
3つ目は、「日々の業務にスタッフが疲弊してしまっていたこと」。数に追われ、「どうしたらお客さまをもっと喜ばせることができるのか」という基本中の基本をスタッフが考える余裕すらなかった。
背景には、「殿様の御屋敷」という敷居を下げ、とにかく多くの人に来てもらうことを目的としていた経営方針があった。個々のお客さまに向き合わず、旅行会社を営業先として、引きも切らず大型バスから降りてくる団体客をスタッフががむしゃらに捌く。
「(そのやり方は)観光バブルの時代には正しかった」
しかし、インターネットの普及と共にめまぐるしく変化する現代において、「オーバーツーリズムになって誰も幸せになっていない状況」だとはっきり悟った。
コロナが立花氏の背中を押した。
「もうゼロになったんだから、数は追わないで、本当に御花を好きだと思ってくださるお客さまに来てもらい、その方達にちゃんとアプローチしていこう」
職種や年代などではなく「同じ価値観を持つ人」をターゲットにする。目指すものが180度切り替わった瞬間だった。
まず、マーケティングとデザインの担当者をそれぞれ雇った。これが大きな変革を呼ぶ。
県外から移住してきた2人はお客さまがごった返していたころの御花を知らない。「見たことがないからこそ、怖いもの無し」だった。
マーケティング担当者が真っ先に行ったのは、社員のコミュニケーションを円滑にするため、ビジネスチャットツールの「Slack」を使うこと。これが、従業員の「やる気」に火を付けた。
スマホで操作できることから、情報共有が突如、活発化した。休館で暇を持て余した従業員から、Slackに様々なアイディアがポンポン書き込まれるようになった。
「どうやったらお客さまを喜ばせることができるのか」という、旅館業として至極当たり前のことをスタッフが考え始めたのだ。
柳川は「水の都」。市の中心部には、たった2km四方に60kmもの水路が張り巡らされ、市全域ではなんと930kmにおよぶ。「堀割(ほりわり)」と呼ばれるその水路を船でいく「川下り」は柳川の風物詩だ。今までは船会社に送客していただけだったが、いろんな企画が従業員から提案された。
「船の上で朝食を食べるプランを皮切りに、ピクニック、お花見、お月見、花火をするプランなど、アイディアがどんどん湧き出てきて、本当にいまみんないきいきと楽しんで仕事しています」
立花氏は相好を崩した。
そしてデザイナーだ。
作り物を彼が全部してくれることで、勝手に社内ブランディングができてきた。
社内のチラシやサインなど作り物を全て一新し、色やフォントにこだわり、イメージやデザインに落とし込んだことで、館内の雰囲気が統一された。
「御花が『こういう方向性を目指しているんだ』とわかりやすく可視化され、(従業員と)同じ絵をやっと見ることができるようになったなと感じています」
そして今年、御花飛躍の大きなチャンスが訪れた。
それが、「上質な観光サービスを求める旅行者の訪日等の促進に向けた文化資源の高付加価値化促進事業の募集」だ。一民間企業で文化財を持っているところはそうそうない。申請するにあたり、社内で徹底的に話し合った。御花の強みってなんだろう。
そして過去にある人から言われたキャッチコピーにたどり着く。
「藩主の末裔が営む御屋敷」
「今まで藩主末裔が営むということが、そんなに価値があるとは思っていませんでした。同族会社だし、家業だし、くらいにしか考えていませんでしたね」
家業として経営しているのは60年くらい。それよりも立花家が柳川に住んでいる300年の方がはるかに長い。その末裔が今も経営しているという、日本に1つか2つあるかないかの場所が御花なのだ。
そして6月末。ついにこの補助金申請が通った。
「すごく嬉しい」
素直に喜ぶ立花氏だが、この補助金はハード面には使えない。
「御花の文化的価値をどう高めていくか、これから御花を大きくしてくれるための資金だと思っています」
既に布石は打った。SNSの世界観を統一させることに着手し、宿の雰囲気やそこで得られる体験などをInstagramやTwitterを利用して発信し始めた。
「お客さまとのズレがなくなってきました。マッチングが正しく行われて、こういう宿が好きなんです、というお客さまが増え、結果、クレームが減りました」
また、ホームページを全面リニューアルし、より御花の魅力が伝わる構成にした。さらに宿泊料金も文化財の中で泊まれるという価値を考慮し、見直した。
改革は着々と進んでいる。
写真)西洋館
出典)御花HP
立花氏の娘さんはまだ9才。承継を考えるにはちょっと早い。
「子どもが大きくなる頃は時代が大きく変わっているでしょう。たくましく育ってくれればそれでいい。御花を継ぐことは大前提ではないけど、立花家がずっと柳川に住み続けるのは大事なことかな」
「経営の仕方も変わっているかもしれません。ただ、どの世代になっても御花が100年後もここにあり続けることはずっと変わらないと思います。その為に自分の人生をどう生きるかということではないでしょうか」
コアターゲットは明確だ。
「何世代にもわたって御花を愛してくれること」
例えば両親が御花で結婚したから、子どもや孫も結婚披露宴は御花でなど、何世代にも渡って関係性ができること。それは旅行で訪れる観光客にも言えることで、その繋がりが理想的なお客さまとの関係性だ。
「家族の節目節目に寄り添うために、御花が無くなってしまってはいけないのです」
「また家族で行きたい。そういう場所になりたいですね」
世代を超えて記憶に残る宿。御花が目指す姿はもう、見えている。
この記事は参考になりましたか?