中小企業経営者の資産運用① 余剰資金を資産運用に活用する理由
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世界幸福度ランキング1位にもなったことがある南国フィジー共和国で、語学学校(サウスパシフィックフリーバード株式会社)・高校・自動車学校を運営する教育コングロマリットを経営する谷口浩氏。設立17年目で従業員200人、売上10億円の会社に成長させた矢先に末期ガンを宣告される。しかし、自ら門外漢の医学論文を調べ、東京ではまだ誰も受けていない治療を医師に懇願、説得して行うことで病状は落ち着いた。末期ガン宣告の翌年、証券市場で上場、まだ抗ガン剤で髪の毛も生え揃わないなか、証券市場上場の鐘を打ち鳴らした。自動車学校の設立など、さらなる事業拡大をしながら、ようやく末期ガン宣告から丸4年が経過したところだ。闘病中に感じた会社や従業員への思いや行動を振り返り、語ってもらった。
中国留学、東南アジアでの就業など諸外国で暮らす経験が長い谷口氏が、偶然訪れたフィジーに魅了され、語学学校を立ち上げたのは2004年のこと。
「彼らの笑顔、やさしさ、明るく生きるシンプルな思考にすっかりハマりました。フィジーでは、悩みなんか吹き飛び、毎日笑って過ごせるんですよ」
公用語が英語であるフィジーも少子化で空き教室が目立つようになってきていた。そんな学校の一部を借り、仕事の少ないフィジーで政府が雇用できなくなった教員を先生に育成し、語学学校をスタートさせた。
「誰をも温かく迎え入れるフィジー人の家庭にホームステイを依頼したところ、そのホスピタリティーと物価の安さから実現できる手ごろな費用感が評判を呼び、2年後には2校目を開校。政府から国立高校の運営を頼まれるなど順調に事業を拡大させました」
リーマンショック時、企業が新入社員を内定取り消しにするのが社会問題化した。その機を逃さず、採用した新入社員を受け入れ後に語学研修に出すよう企業を説得し、多くの社員を学生として受け入れた。このコロナ禍では、チャーター便を飛ばすことで、コロナ発症者のいないフィジーに日本人留学生を受け入れる道を切り開いた。
「困難なことがあると、いよいよ自分の出番がきたなって思うんです。みんなが無理だと言うことに、挑戦するのが楽しい。諦めるという言葉は僕の辞書にはありません」
2015年の年末、JICAの依頼で南米を視察した帰りの機中で、腹部に異変を感じた。翌月病院へ行くと、ステージ4の末期がんを宣告されてしまった。
「ステージって10段階なのかなと考えてたぐらい無知でした。それがもう後がない末期だとわかって、最初は絶望しました」
しかし、ここでも諦めることができない性格が頭をもたげる。心身のセルフコントロールのために、ジム通いや健康に良い食生活や断食など、人に負けないくらい突き詰めて取り組んできたという自負があった。
「そんな自分がまさか末期がんになるなんて認めたくないと思いました。だからどうにかして克服してやると、逆に闘志が湧いてきましたね」
「日本語、英語、中国語のあらゆる論文に目を通しました。それで分子標的薬を使う治療法を知ったのです」
厚生省の許可は出ていたもののこの治療法を手掛けたことのある医師が東京にいない。
「病院を変えて、そこの先生に私のために治療チームを編成してくれるように頼みました」
「療養中は、自分で家事もできないのでサービス付きアパートメントを借りました。そこと病院を往復するだけの、ほぼ隔離状態の生活。免疫が下がり、舌にカビが生えて、口が閉じられなくなり、自分の唾液で窒息しかけた時は緊急入院も経験しました。予断を許さない状況は1年ほど続き、会社には全く出社できませんでしたね」
しかし、薬との相性が良かったのか、症状が収まり、今もって再発していないという。
発病した時に考えたのは、自分亡き後の会社のこと。
「会社はどうなってしまうんだろうと初めて真剣に考えました。まだまだ生きるつもりでいましたから」
自分が経営を託せると思える人を育ててはこなかった。
「その時、これは上場するしかないなとひらめいたんです。マイカンパニーからパブリックカンパニーに。従業員のためにも自分がいなくても、誰かが会社を回せるように公的なものにするしかないと」
そこから1年かけて、南太平洋証券取引所において株式上場を果たすことができた。
「1カ月に2回くらいなら働いてもよいと言われ、今では当たり前になったリモート会議で社員に指示を出しながら、上場準備をしました。ここでも自分が死ぬ前に必ず会社を独り立ちさせてやる、上場させるんだという強い意志しかなかったですよ」
フィジーで上場の鐘を鳴らしたとき、谷口氏の頭には、髪がなかった。薬の副作用の影響だ。
「上場してからは、仕事が楽になりました。会社経営をもっと長期的に見られるようになったから」
面白いことに谷口社長が療養中で会社にいなかったとき、社員は今まで以上に一致団結して本業に集中して取り組んでくれた。そのおかげで、売り上げは上がったそうだ。
「僕はワンマン経営者なので、後継者を育てることは苦手と思ってきましたが、みんながよく頑張ってくれたなと思っています」
保険の効かない薬を使用し、特別チームを編成して治療にあたった、その費用はどうしたのだろう。
「会社で加入していた保険があったため、入院費用として保険から80万円ほど受け取ることができました」
だが、治療全体にかかった費用は1000万円を優に超えていた。
「全額、自分の蓄えで賄いました。お金が手元にあったから、新薬治療を進んで受けることもできたんです」
チャレンジ精神は旺盛だが、経営はとても堅実で、基本的にはキャッシュフロー経営だという。
「向こう一年半くらいの資金を手元に置いておかないと安心できませんね。手元に現金がないと精神衛生上よくない。おかしな経営判断をしはじめますよ。入院をしてみて、ますますその意を強くしました」
自分の入院を顧みて、以前からの健康オタクぶりを社内にも広める活動を始めた。手始めに社員全員の健康診断に力を入れるようになった。
「健康診断ですべてA判定だったら毎月5000円、B判定ならその半額の健康手当を出す制度を作りました。フィジーでも診断証明書を持ってきたら全額検査費を支払う制度の準備を進めています」
そんな谷口氏の諦めない経営の挑戦は、まだまだ続きそうだ。
コロナ禍で留学できない学生のために、この4月にもチャーター便を飛ばし、学生が減ってしまったフィジーで、雇用を維持するため、全くの新規事業として讃岐うどんのレストランをオープンし、フィジーにうどん文化を根付かせようと奔走している。
「フィジーの国会議員選挙に立候補してフィジーを政治から変えようと思っています。そのために国籍も変えましたしね。とうとう日本国籍を失ってしまいました。それに2016年に国際特許を取った、タニグチ式望遠鏡の実用化も実現したいです」
今年の年末になれば、回復してから5年が経過し、完治したといってもよい日がくるという。
「今、1日4時間なら働いていいと言われています。まだまだ何も諦めたくないし、ブルドーザーのように前に前に突き進みますよ」
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