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「福島を再エネで復興させる」会津電力株式会社
 佐藤 彌右衛門氏、山田 純氏

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会津電力 雄国太陽光発電所

写真)会津電力 雄国太陽光発電所

出典)会津電力株式会社

福島県喜多方市、創業寛政二年の蔵元「大和川酒造」。過去、全国新酒鑑評会の金賞を毎年総なめにしてきた。その9代目当主佐藤彌右衛門氏が今最も力を注いでいるのは、太陽光発電だと聞いたら驚くだろうか?

 

今回はちょっと毛色の変わった、地域密着型の太陽光発電会社を取材した。

老舗の蔵元が太陽光発電事業へ

地域密着型の電力会社、会津電力株式会社。今回話を聞いたのは、取締役会長の佐藤彌右衛門氏、取締役社長の山田純氏。お二人とのお付き合いは、実は東日本大震災直後まで遡る(注:取材者 安部宏之)。福島の復興に向け、何か出来ないか模索していた時、知人に佐藤氏を紹介されたのだ。2013年のことだ。当時は足繁く喜多方市まで足を運んだ。まさに会津電力が産声を上げた直後だった。あれから8年、会津電力はその歩みをさらに進めていた。

佐藤彌右衛門氏

写真)佐藤彌右衛門氏

提供)会津電力

佐藤氏が、喜多方に230年の歴史を持つ名門蔵元「大和川酒造」の9代目を継いだのが2006年。電力会社を作ろうとした最大の動機を聞いてみた。

 

「大和川酒造は2011年でちょうど220年、私は9代目。歳は60になろうかという時で、そろそろ次の世代にバトンタッチという時だった」

 

ところが東日本大震災、そして福島第一原発事故。佐藤氏の意識が変わった。

 

「エネルギーについてはそれまで深く考えたことがなかった。電気は買えばいいし、スイッチを押せば何でも動く。だが、原発事故が起き、電力の問題を考えた時、使っている電力の向こうには外国産の石油があり、石炭があり、ウランがあり、原発がある。輸入に依存して作られた電気だったということを思い知らされた」

 

佐藤氏は続ける。

 

「化石燃料を輸入するコストは年間で約20兆円。国家予算のおよそ5分の1を占める。こうした現状を改めて考えて、これはおかしいと思った」

 

さらに、原発事故による影響が長期間に及ぶのを見て、

 

「ヨーロッパでは、チェルノブイリ原発事故をきっかけに再生可能エネルギーが大きく普及した。なぜ日本は違うのか。転換させないとだめだ」と思ったという。

 

現会津電力取締役社長である山田純氏との出会いもきっかけになった。山田氏と活動を共にする中で、会津においてのエネルギー事情を学んだ。

山田純氏

写真)山田純氏

提供)会津電力株式会社

会津には、水や太陽光、バイオマス、風力など、代替エネルギー資源が豊富にある。それにも関わらず、ヒト・モノ・カネ全ての資源を原子力発電に費やしている実態を知った佐藤氏は、「原子力発電を止めてしまえばいいのではないか。自分達の資源、エネルギーがこれだけあれば充分だ」と考えるに至った。

 

「その時は『原発のような危ないものをやって、国は何やってるんだ』という義憤に駆られた。その勢いで始めたのが会津電力だ」

会津電力、これまでの経緯

さまざまな個性を持った人たちが集まり動き出した会津電力。当初はFIT(全量買い取り制度)の追い風もあり、順風満帆だったと佐藤氏は語る。

 

しかし、良い時期はいつまでも続かない。これまでに最も苦労したことは何だったのか。

 

「最も苦労したのは電線に繋げないという根本的な問題があったことだ」

 

と山田氏は話す。

 

発電した電気を送るために、電力会社の送配電網に接続することを「系統連系」と言う。この系統連系が接続されないままになっている新興電力会社が全国的に増えている。それが、再生可能エネルギー普及の障害となっている現状があるのだ。

 

「我々も、高圧と呼ばれる一定電圧以上の送電線に繋げない状態が今も続いている。本来はもっと多くの接続ができるはずだ。系統連系ができなければ発電容量を増やすことはできない。」

 

無論、再生可能エネルギーの主力電源化は政府が掲げている政策でもあり、様々な対策が取られ、初めて系統線に空き容量が出てきてはいるが、根本的な事業の制約は今も続いているという。

 

もう一つの想定外は、会津電力の挑戦に呼応して増えると思っていた、電力事業に参入する企業が想定を下回ったことだ。

 

「太陽光パネルを立ててFIT制度に乗ることは難しくなかった。2021年以降FIT制度や買取価格は大きく変更されている。これから地域でエネルギー事業を立ち上げるのでは、採算を取るのは難しいだろう」

 

つまり、仲間は増えない、ということだ。

他の地域電力事業者との連携

では、どうするか。

 

佐藤氏は水資源に目を付けた。

 

「山が持つ水資源をエネルギーという形で使っていく。そこに農業、林業を含めた循環を作るのが本当の地域活性化ではないか」

 

そう考えた佐藤氏は、酒造りで以前から関係のあった飯館村で「飯館電力株式会社」の設立を支援した。

 

飯館村は原発事故後、全村避難の状態が続いている。飯館電力は地域の復興を目指し、太陽光発電事業、ソーラーシェアリング(営農型太陽光発電)などを行う。まさに会津電力と志を同じくする会社だ。

 

佐藤氏は、電力小売り事業に乗り出す計画を持っている。飯館電力と連携し、電力を融通し合うことで供給能力を安定させようという構想だ。まさに発想の転換。1社1社の規模は小さくても新しいビジネスに立ち向かう。

 

「電力小売事業を自分達で立ち上げることによって、地域の新電力と地域の電力小売会社が自分たちでお金を回していくことができる。お上任せの電力・エネルギー業界の中で、エネルギーの自由を我々の手に戻したい。」

飯館電力 飯館電力株式会社

写真)飯館電力 沼平261-1PV_2

出典)飯館電力株式会社

これからの挑戦

最後に、今後の事業展開について聞いた。山田氏が挙げたのは2つ。

 

1つは、再生可能エネルギーの中でも、「小水力発電」と「木質バイオマス」という2つの再生可能エネルギーを主軸におくという。

 

太陽光発電や風力発電はどこに行ったのか?

 

「太陽光と風力は国際的に大型化が進んでおり、その波は日本にも来ている。我々は、大規模な発電所をローコストで作るには企業体力も足りないうえ、会社の設立意義にもそぐわないので選択しない」ときっぱり。会津地方の豊かな水資源、森林資源という「足元」に着目したと言う。

 

「今となっては大きなダムを作ることはできないし、水資源、森林資源は小規模に開発する方がスムーズなこともある。小さな発電所を沢山作って、地元で頑張りたいという考えに最も適した環境がまだ残っている」

会津電力戸ノ口堰小水力発電所

写真)会津電力戸ノ口堰小水力発電所

出典)会津電力株式会社

もう一つは、「地域に密着した小規模分散」だという。

 

「木質バイオマスの発電基盤を整えることは非常に難しい。まず、林業との繋がりを作り、伐採した森林資源を有効に使うための環境を揃えなければならない」

 

しかし、それこそが会津電力の強みを発揮できる部分となると山田氏は言う。

 

 

「我々のような地域の発電事業者は、地元の人達と組んで数メガワット以下の小規模発電所を少しずつ作っていくのに向いている」

 

「10年前、我々のような会社が福島、全国にたくさん立ち上がってくれることを期待したが、あまり現れなかった。だが、ここで諦めずに小規模分散型の山間僻地での発電事業をこれから10年間はやり続けたい」

 

そうすることで電力会社や日本の電力の仕組みもじわじわと、地域分散型に移ってくると山田氏は期待している。

エコだけじゃない。食もアートも

佐藤氏、山田氏共に、電力以外の事業による会津の復興にも取り組んでいる。

 

山田氏は、会津電力の収益を地場産業の活性化に繋げていこうと考えている。関連会社のアイプロダクツ株式会社を立ち上げ、なんとワイナリーの免許を取得し、喜多方でぶどう畑の運営を始めて既に4年目になる。

ワイナリーで収穫の様子 アイプロダクツ株式会社

写真)ワイナリーで収穫の様子

出典)アイプロダクツ株式会社

一方の佐藤氏。喜多方を盛り上げていくために「芸術祭」を企画しているというではないか。

 

「ワインがあって喜多方ラーメンがあって、そして飯舘村は、原発の事故を忘れない村として広島長崎の原爆ドームのように、一つのシンボルとして勉強してもらう」

 

食とアートとエコ。そして、震災を風化させないための学びがツーリズムと一体となり、全てが繋がることを期待している。

 

「例え大きな産業にならずとも、遠くのものを持ってきて誰かの真似をするのではなく、地域・足元の力だけで、お金の循環に繋げていく。これが、これからのやり方だ。自立型の地域づくりが全国モデルになればいい」

 

佐藤氏のこの言葉が忘れられない。

 

「昔から、酒造りに必要なのは水と米と気候風土、そして人間が麹や酵母をコントロールする技術。エネルギーは木を切って炭にすればいい、と先人に言われてきた。『身土不二(しんどふじ)』という言葉は、足元の食料で自分の体ができる、一体なんだという意味。酒米を作り、地下水を汲み上げ、杜氏が酒を作る。そういう魂でずっとやってきた」

 

「エネルギー革命による地域の自立」という理念に向かって邁進する会津電力に、その魂が垣間見えた。会津の地で脈々と受け継がれてきた会津人の矜持は、今もしっかりと息づいている。




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