インボイス制度導入でどうなる? 税務調査の方針と留意すべきポイント
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「株式会社ふじ森の代表で、「ふじ森」、「ル トーキヨーフレンチベーカリー エスプリ by ふじ森」、「FUJIMORI R&D」の3店舗を都内に展開している藤森もも子氏。
厚労省が定める卓越した技能者「現代の名工」にしてフランス政府より「農事功労章シュヴァリエ」、「農事功労章オフィシエ」を受章。日本におけるフランス料理、パン、菓子界のトップ・アルティザン(職人)のひとり、藤森二郎氏の次女だ。
なぜ藤森氏は父親の会社を継がず、別ブランドでパン屋を始めたのか?
答えは意外とシンプルだった。姉夫婦が既に父の会社に入っていたのだ。ただ、姉は従業員として、姉の夫は店長としてだった。藤森氏は、そこに自分が割って入るわけにはいかないし、「船はひとつでも多い方がいい」、とも思ったという。
フランスに留学し、戻ってきてからPR会社に就職した藤森氏。仕事は楽しくやりがいのあるものだった。やがてPRエージェントとして独立。それなりの収入も得、生活は充実していた。PRは天職だとすら思っていた。でも・・・
「いつも粉まみれになってパンを作っている父親の姿がまぶたに浮かんで・・・何しているんだろう自分。家業というものがお前にはあるだろう。そんな天の声がいつもいつも聞こえていました。罪悪感にも似た気持ちがあったんですね」。
また、父が60歳をすぎ、身体が少し不自由になってきたこともあった。
「少し楽させてあげたいな、という思いがありました」。
藤森氏がパン屋「ふじ森」(東京都目黒区)を立ち上げたのは、2019年、30歳の時。コロナ禍が始まる直前のことだった。
コロナ禍は逆に「巣ごもり需要」を生み出した。パンの需要は落ちるどころか上向いた。藤森氏はフランス産の最高級発酵バターをふんだんに使用した、究極の最高級食パン“ふじ森”をひっさげ市場に参入。価格も1本(1斤半)3,000円と、これまでにない高価格をつけた。それが当たった。ふじ森は、「おもたせ需要」という新しいジャンルを切り開いたのだ。メディアも盛んに取り上げ、需要が爆発した。
「開店当初は、本店から目黒通りまで行列ができたくらいです」。
半年後には、世田谷区玉川田園調布に「ル トーキヨーフレンチベーカリーエスプリbyふじ森」をオープンした。父藤森二郎が1997年に2店舗目としてオープンした「エスプリ・ド・ビゴ」が、入居していた建物の再開発で閉店、まるでそのことを知っていたかのように地元の高級スーパーが店の出店要請をしてきたのだ。同店の職人を全員引き継ぐ形で新店舗としてスタートさせた。
さらに去年、今度は世田谷区用賀に3店舗目「FUJIMORI R&D」を開店。「地球とカラダにやさしいベーカリーのR&D(研究&開発)ブティック」をコンセプトとした。パン屋がR&Dと聞くと違和感があるかもしれないが、小麦アレルギーの人にも食べてもらえるようなパンの開発に取り組むなど、これからのパン屋は消費者のニーズにあった商品開発が必要だとの藤森氏の信念からだ。
藤森氏はブランディングに長けていると感じる。PR業界でつちかった経験が生きているのか。
「私は作り手じゃないので、ユーザー側に近いし、メディアの人たちと関わっていたので、何が生活者の心に刺さるかという感覚が人一倍あるんだと思います。だから、職人のやりたいことと、世の中が求めているものをどこで着地させたらブランドとしてうまくいくだろう、とかいつも考えています」。
ブランド主導で発信するにしても、そこにはちゃんと消費者に刺さるものがないといけない、とも。
その考えは、「ふじ森」を立ち上げた時からいかんなく発揮されている。
普通だったら、「フランスの最高級発酵バターをふんだんに使い、長時間低温発酵のこだわりの製法で作った食パン」などとPRするところを、そうはしなかった。
「それって自己満だったりするじゃないですか。一般消費者にそれを言っても『いや知らないし』となってしまう。どう言えば、こだわりの製法に興味を持ってもらえるかなと考えたら、『1本3000円の食パンです』といった方が刺さると思うんです。でも、それは本来ブランド側が発信しないようなことですけどね」。
今年初め、藤森氏は悩んでいた。3店舗にまで拡大した事業を今後どう進めていくか、方向性に迷っていたのだ。
そのタイミングで、たまたまだが、大量の注文が舞い込んだ。今までにない規模だったが引き受けたのは、経営者の直感か。それが将来の事業展開のおおいなるヒントとなる。
キーワードは「WMS」だ。Warehouse Management Systemの略で、「倉庫管理システム」と訳される。入出庫、在庫を一元管理し効率化を図るものだ。通常、町のパン屋の規模で、パンを冷凍倉庫で在庫を持つことは考えにくいが、今回発注数が多かったため、一時冷凍保管する必要があった。そこで、知人の倉庫業者にコンタクトをとり、ビジネスが始まった。
実はパンは冷凍と相性がいい。冷凍保存すると焼きたての味や食感が長期間保たれるのだ。
町のパン屋が冷凍倉庫から物流を使ってお客さまのもとに届けるというビジネスができることが分かった。
「これはビジネスチャンスだと思って、早速OEM(Original Equipment Manufacturing:相手先ブランド製造)工場と連携し、うち独自のレシピで、商品開発できないか相談しに行きました」。
答えは「イエス」。月間何千、何万のロットでも製造・保管するシステムを手に入れた。後は売り先をどう開拓するかだ。
これだからビジネスは面白い。流れが変わる瞬間がある。今、まさに「ふじ森」はその真っただ中にいる。
「海外からパン屋を一緒にやりたい、という話がきたんです。それなら、日本で作ったパンをそのまま向こうに輸出すればいい。おいしいパンがない国もお客さまとして浮上してくるなと思いました」。
どうやら思わぬ方向に進みそうな気配なのだ。
「今、新しいパートナーを探しているんです」。
いきなり驚かされた。パートナー?
事業も4年目に入り、これからどうしようかと悶々としていたタイミングだったことは前述した。「会社の成長を加速させたい」という思いがあった。
「自分ひとりではなくて、誰かの力を借りてそれを実現していくのは、これからの時代、大いにありだと思い、協業できるパートナーを探し始めたのです」。
その発想に切り替えた瞬間、色んな話が不思議と舞い込んできた。先の海外からの話もそのひとつだ。
「日本のパンのクオリティはフランス本国も認めるぐらい世界最高レベルなんです。この日本水準なら世界で勝ち目しかないと気づき、賛同してくれるパートナー企業が必要だと感じました」。
パン職人の給与水準は決して高くない。それを底上げすることが藤森氏の悲願だ。
「キレイごとだけど、うちに勤めていい人生を送ってほしい。幸せな人が作っているパンは美味しいと思うんです」。
そのためのビジョンは明確だ。
「パン屋も工夫して利益の出し方を考えないといけない。例えば、高価格帯の商品を他社の力を借りて大量生産をし、それを海外に売って利益を得るとか、ブランドライセンスで儲ける仕組みを作るとか」。
ある日藤森氏は、パートナーを迎えようとしていることについて、父親に報告しに行った。
「お父さん見てて。お父さんが気力あるうちに、自分の会社でロールモデルを作るから。うまくいったら、お父さんの会社に同じことやってあげるね」。
父親は静かにこう返した。
「よく見させてもらうよ」。
お客さまの声をお聞かせください。
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