中小企業経営者の資産運用② 実施時のポイントとリスク管理
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熊本県人吉市。焼酎好きなら誰でも耳にしたことがある、球磨焼酎発祥の地である。創業119年の繊月酒造は人吉城址を球磨川の支流胸川を挟んで目の前にある。私たちは4代目社長堤純子氏を訪ねた。
繊月酒造は明治36年(1903年)創業。球磨焼酎一筋の蔵元だ。この人吉球磨地方に流れる球磨川水系が育てた米を原材料とするものだけが球磨焼酎と名乗ることができる。
実は人吉には繊月酒造より古い蔵がある。堤社長に同社のブランドイメージを聞いた。
「うちの特徴はこの地域でかなり愛されているメーカーだということです。代表銘柄の繊月は人吉球磨焼酎の地域でとても愛飲されていて、圧倒的なシェアを持っています。地域に愛されたブランドだと自負しています」
繊月は、今は海外14カ国に輸出している。
堤社長は次女である。なぜ長男でも長女でもなく、純子氏が後を継ぐことになったのか。
堤家は、姉、兄、純子氏、妹の4人兄弟だ。3番目の純子氏は後継ぎ教育など全く受けたこともなく、神戸の女子大を卒業して、福岡の広告代理店に就職した。それがなぜ・・・?
「兄が継ぐのだろうとみんな思っていましたが、色々事情があって、他にやりたいことがあるということで後を継がないことになりました。その頃うちの会社も支店を出して、県外でももっと売っていこうということになり、福岡に拠点を持つことになりました。それで私も、広告とかコマーシャルとかで手伝いができるのではないかと思い、福岡の事務所に入ったのです」
ひょんなことから会社に入ることになった堤社長。しかし、球磨焼酎の歴史や会社の事を知れば知るほど、興味が湧いてきた。
「だんだんと会社を途絶えさせてはいけないぞと思うようになりました。父も元気ですし、無理して世代交代しなくてもよかったのかもしれないですが、早く社長になった方が色々経験を積めるだろうということでした」
部長として入社した堤氏、やがて常務になり、専務へと昇進。自然と社長に就いたのは、2016年のこと、会社に入ってから13年経っていた。
その時、会長である父正博氏はまだ70歳前半だったが、次女に会社を託した。
「父は無理強いしないといいますか、お前が次やってくれとかそういうことはほとんど言いませんでした。嫌ならいつでも断っていいとは言ってくれていましたね。本人の意思が大事だと考えてくれたのだと思います」
社長になって4カ月。堤氏は突然、自然災害の洗礼を受けた。そう、あの震度7の熊本地震だ。2016年4月のことだった。
直接的な被害は建物に亀裂が入り、物が倒れて破損したぐらいで済んだが、二次被害が大きかった。
「物流が止まってしまったり、取引先や飲食店が店をたたんでしまったりという二次的な被害がありました。しかし、他の地域ほどの大きな影響はありませんでしたので、半年から一年で元に戻った感じでした」
写真)豪雨水害直後の様子
©繊月酒造株式会社
幸い他の地域ほどの被害はなく、なんとか復旧したのもつかの間、2020年に入ると新型コロナ感染症の流行が始まった。そしてそれに追い打ちをかけるように熊本を襲ったのが令和2年7月豪雨だ。令和2年(2020年)7月3日から7月31日にかけて、熊本県を中心に九州や中部地方など日本各地で発生した集中豪雨である。
敷地内の浸水は深いところで2メートルに及んだ。泥かきには社員総出、休日返上であたった。
写真)近くの川が氾濫し敷地内は泥水で埋まった。
©繊月酒造株式会社
泥を敷地内や建物からすべてかき出し、消毒を終わらせるまで1カ月、周囲の中でも早い方だった。それというのも・・・
「熊本市内のある建設関係の会社が散水車と水7トンを運んできてくれて、そのおかげで全部きれいになりました」
そう、救世主が現れたのだ。その人は、水害が起きた前日、父正博氏とたまたま名刺交換をした人だった。
「ひとのつながりってわからないものですね」
堤氏はそうつぶやいた。
地震、コロナ、そして豪雨。社長に就いてから息つく暇もなく起きる様々なトラブル。コロナ禍は今でも続いている。しかし堤氏にへこんでいる暇はない。
「経験という意味では良かったのだと思いますね。豪雨災害は、地域としても会社としてもかなり大きなことでした」
さまざまな危機に対処していくうちに、得るものがあったと堤氏は言う。
「クライシス時は会長の色々な知見や人脈などのバックアップを活かしました。ひとりで決断するというのはとても不安でしたけれども色々相談しながら判断し、出来ているというのは本当にありがたいですね。そこで(父の)信頼が厚くなったようなところがあります」
長引くコロナ禍。堤氏はむしろ反転攻勢のチャンスととらえている。
「飲食店の時短営業とかお酒を提供しないとかそういう影響がありましたが、色々なマーケティングを考えるきっかけにもなったのかなと思っています。焼酎だけにこだわる必要はないんじゃないかとか、色々コラボレーションしてみようかとかですね」
繊月酒造は従来から観光施設、繊月城見蔵(せんげつしろみぐら)を運営していた。見学・試飲は無料、蔵限定販売が人気を呼び年間4、5万人の観光客が訪れていたが、コロナ禍で客足は途絶えた。堤氏は県外に目を向けている。
「関東方面とか、国内流通をもっと広げていかなければならないと思っています。そして、海外展開も始めました。アメリカで、MUJEN(ムジェン)という焼酎を去年の11月に発売開始しました」
写真 )左から Ai 23度、Original 35度、X 42度
©繊月酒造株式会社
2018年からロサンゼルス・ハリウッドの MUJEN SPIRITS社とともにアメリカ市場に訴求できる商品開発を行ってきたが、ようやく日の目を見た。MUJEN SPIRITS社は、女優で起業家のソンドラ・ベーカー氏と、アメリカの老舗ステーキハウス”The Palm”の創業者一族であるブルース・ボッツィ氏がロサンゼルスで創立し、007の主演俳優として有名なダニエル・クレイグ氏なども出資者として名を連ねる会社だ。そして早速すごいことが起きた。
写真)左からソンドラ・ベーカー氏、ブルース・ボッツィ氏。堤純子社長(右)
©繊月酒造株式会社
「昨年末ケーブルテレビ・衛星放送向けニュース専門チャンネルであるCNNのタイムズスクエアカウントダウン番組で、人気司会者アンディ・コーエンさんとアンダーソン・クーパーさん2人が、MUJENを飲みながら中継してくれたんですよ。すぐに通販サイトがパンクしてしまい大変でした」
昨年、3種類合わせて1万5千本送ったが、早くも一部品薄で、最近追加注文が来たという。今後もMUJENは、レストランやバーを厳選して売っていくという。楽しみな商品だ。
また堤氏は他の地域にも目を向ける。
「米焼酎が焼酎のスタートで、一番歴史が長いのです。海外でも、元々酒を蒸留したものだという歴史的な背景から説明するとすごくわかりやすいし、味わい的に米焼酎はとても受け入れやすい。海外では割とフラットに、先入観なく味の評価をしてもらえるし、もっと色々展開して行きたいです」
インバウンドが復活すればアジアの人にアピールできると話す堤氏、欧州も今後視野に入れていくと力強く語った。
球磨焼酎は米が原料であることは先に述べた。実は国内では米焼酎のシェアは麦、芋に比べ少ないという。しかし、堤氏はこれをチャンスととらえている。
「米焼酎は認知もシェアも低いですが、逆に言えば伸びしろがあるということで、販売エリアを広げていこうと考えています。米焼酎は日本酒と同じように米の香りがして食事にもすごく合います。しかも焼酎は糖質がないのでヘルシーですし、他のお酒からの切り替えも米焼酎だったらすんなり入っていけるのでないかと思っています」
「うちも30銘柄ありまして、一つ一つこだわりがある。全部を宣伝するわけにはいかないので、銘柄を絞ってのマーケティング戦略を考えています」
たとえば、「川辺」という焼酎は、球磨川最大の支流、川辺川の水を使っている。この水は国土交通省の一級河川水質ランキング調査で15年間1位に輝いている。材料の米もこの水で育つ。いい水、いい米だけを用いた高品質の焼酎であることをアピールしていきたいと堤氏はいう。
写真)日本一の清流 川辺川
©繊月酒造株式会社
そして、もう一つ堤氏が打ち出したいストーリーがある。それが、「自社杜氏(とうじ)の系譜」だ。
多くの焼酎蔵は、仕込みの時期だけ杜氏らを招聘しているが、繊月酒造では初代から100年もの間、自社杜氏で通している。専属の杜氏が、弟子を育て、弟子の中から指名した者が次の杜氏になるという稀有な歴史を持ち、独自の技術を伝承してきた。これはかなり珍しい。現在は6代目となっている。その理由は「初代が生みだし、諸先輩方が育ててきた蔵の味を、代々守り磨きを掛けるため」だという。こうした伝統と品質へのこだわりこそ、人々の心を打つのではないだろうか。
「これからは量の時代ではなく、利益を取りながら、きちっとした商品を長く販売できるかどうかが重要です。他とは違う特徴や、会社の姿勢などを打ち出して行かないといけないと思います」
写真)3代目杜氏、3代目淋豊嘉(そそぎとよか)繊月大手蔵にて。革新的なアイデアを持ち、長年にわたり焼酎業界へ功績を果たしたことが認められ、昭和53年、焼酎業界で初の「現代の名工」(卓越技能者賞)の栄誉を拝受した。
©繊月酒造株式会社
商品も、リキュールやスピリッツの免許もとった。クラフトジンも開発した。
「うちの場合、元々のベースが米焼酎なのです。最初の原料が手の込んだいいものからスタートしていて、そこにボタニカルな香りを9種入れて再蒸留するのです」
焼酎ベースのジンというのは、口当たりはまろやかで今までのものとは違う。これからも面白い商品がどんどん出てきそうだ。
最後に自身の承継について聞いてみた。
「私は4代目ですけれども、次につなげることを考えていかなければいけないなとは思っています。でも、次の代の話は具体的にはしていません。この会社のことをよくわかっていて、愛情を持って継いでくれる後継者がいればなあとは思っていますが、まだその程度の段階ですね」
そう苦笑した。
「目の前のことをクリアして行くのに精一杯ですが、だんだん落ち着いてきたら、そういう先のこともやっていかなければなあと思っています」
脂が乗った40代。気負いを一切感じさせない堤氏の柔らかな物腰と温和な語り口からは想像もつかない芯の強さを感じた数時間だった。
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