父が築き守ってきたプロテック 「人のために」の理念を貫きたい プロテック株式会社 代表取締役 小松 麻衣氏
- 40-50代
- 北海道・東北
- 女性経営者
- 後継者
家業に入ったら先代社長が築いた負債9億円が目の前に。だが、6年の間に売り上げを3倍にし7億円を返済した。横引シャッター2代目、市川慎次郎氏。どんな豪腕かと思いきや、意外にも社員をトコトン大切にする「人情社長」だった。その経営術とは?
市川氏は父親である先代社長・市川文胤(ふみたね)氏が現役の時に既に家業に入っていた。その時会社にとんでもない借金があることを知る。その額、9億円。
9億円もの借金、普通だったら逃げ出したくなる。しゃにむに返済に奔走していた頃を「暗黒時代からの復活」と称する市川氏。まだ父は現役だった。
「最初はそりゃ大変でしたよ。『親父どうしよう、これ整理できるの?』と。でも一個ずつやるしかないな、と2人で意を決しました。後はやっていくとだんだんエンジンがかかってきて、(返済の)回転が速くなって来ました。仕事をしている中で1番楽しかったのは、この暗黒時代からの復活ですね」
借金返済が楽しい、と表現するところに、市川氏の尋常ならざる経営者の資質を垣間見るのだが、実は氏が社長を継ぐ前に、家族間で一悶着あった。2011年に父親が急逝した時、社長を継いだのは長兄だったのだ。兄は、計画倒産して会社を一旦潰して別会社を作り、再建への道筋をつけようと画策した。それに弟の慎次郎氏は真っ向から反対した。
「親父が作った会社なんだから残さなきゃいけない、と主張してぶつかりました。一旦僕が会社を追い出されたんですが、臨時株主総会を開いて代表の兄を降ろして、戻ってきたら会社の中は大変な状態になっていました」
こうして社長の座についた市川氏。自分はトップよりナンバー2が向いていると自認する氏がなぜ、社長職にこだわったのか。それが父親への尊敬の念からだと聞いて、胸を打たれた。実務面では、後付け施工ができ、軽い力で「横引き」できるシャッターに対する顧客からの高評価を獲得し、人事面では新卒採用を開始したのに合わせ、既存の社員を強制的にリーダーにさせることなどで組織全体を活性化させた。こうした新機軸の取り組みを重ねた結果、売り上げは3倍になり借金の大半を返済することができた。
「うちの会社の目標の1つに『先代社長の証明』というのがあります。先代に教えてもらって一人前になった自分たちの行動で、周りの人が評価してくれる。だから、先代の教えは間違ってなかったんだ、と証明したいんです」
市川氏は、高校生の頃から「パパッ子」だったという。大きな体躯でそんな可愛らしいことを言う氏だが、父親への尊敬の念がひしひしと感じられる。
しかし、自分は社長には向いてないと思っていた。社長になってから、「毎日のように嫌だ嫌だ、と言ってました。俺は好きで社長やってるんじゃないと」
でもある時ふと気づいた。
「社員は社長を信じてついていくしかないのに、俺は『好きで社長やってるんじゃない』なんて平気で言ってた。ひどい社長だ」
それから社員が自慢できるような社長になろうと心を入れ替えた。
創業者の教えは「従業員の首を切らない」だった。だから定年もない。最高齢の社員はなんと91歳だ。工場でシャッターの金具を作っていた平久守さんは矍鑠(かくしゃく)としていた。
「仕事?楽しいよ。身体が動くうちは続けたいね。毎日自転車で30分かけて通勤しているよ。赤信号で停まらなきゃもっと早いんだけどね(笑)」
塗装ブースにいたのは、市原よしえさん。転職組だ。
「まだ入社4カ月目です。前の会社で塗装の経験はあったので、ハローワークで探してここに来ました。ここはひとつのモノに時間をかけることができるのがいいですね」
「社長ともっと話したいんですけど、忙しくていつもいないんですよね」と話した。
写真)市原よしえさん
職場の雰囲気や、社員の表情などから、社長が慕われているのがよくわかる。それもこれも市川氏の社員への温かいまなざしあってのこと。「人情社長」と呼べば、きっと「止めてくれ」というに決まっているが敢えてそう呼ばせてもらいたい。
社員にはがんの患者もいる。がんにたまたまなっただけで、その社員は負い目を感じてしまう。市川氏はこう話す。
「ご家族とは必ず面談して、(従業員である)お父さんが仕事に出たいと言うなら出してあげてください、と言います。働く場所はいつでもとっておきます。ただ休みたいと言ったら休ませてあげてください、とも言います」
会社にとってかけがえのない人を辞めさせたくない。そんな強い思いからだ。でもお給料はどうするのだろう?
「もしかしたらその社員は1年間まるまる出てこないかもしれない。それでも会社が給与を払い続けることができるかどうかを社内で検討し、払える金額を保証します」
その社員のがんはレベル4まで進行していたが、亡くなる2か月前まで働いていたという。
「社員たちは、この社長は絶対首を切らないなって見てますよね。万が一自分が病気になっても大丈夫だと。だって、家族だったらお互い多少の負担は受け入れますよね?僕、社員は家族だと思っていますから」
外国人労働者にも市川氏はあったかい。現在、中国籍が4人、ベトナム国籍が2人、中国から帰化した人が2人いる。市川氏は彼らにこうはっぱをかける。
「彼らには、『ジャパンドリームをつかめ』と言ってます。一生懸命やれば昇給するから、と言うと、ガツガツ働きますね。ある年なんて、5回くらい昇給した人もいましたよ。3年間で下手な日本人より給料高くとって帰国しました」
女性社員にはどうだろう?市川氏は「お互い様精神」が大事と言う。
「ワーキングマザーから朝、子供が熱を出したので午前中お休みさせてくださいとLINEが来るんですよ。僕は『いいよ!』とスタンプ押すんです。事務所の人たちのLINEグループでは、みんなが『お大事に!』とか『穴埋めはみんながするね!』とか流すんです。みんなお互い様でやってるのでやっかむ人はいないですね」
市川氏は「ルールではなくモラル」を重視する。ルールを決めると破ったものに対してペナルティーを課さねばならなくなる。ルールよりも高い位置にモラルがあるからこそ、「これはやっちゃいけない」というルールが自然発生的に出来るのだという。
どれも、言うは易く行うは難し。人情社長の「幸せ経営」、徹底している。
これからの10年、やりたいことは?と市川氏に質問した。
「まずは、海外展開ですね。先代のころは何でもかんでも自社開発だったのですが、僕の代ではいろんな会社と一社ずつタイアップを組んでいます」
その狙いはずばり、「開発費の削減」だ。選択と集中で、本当に開発したい製品に絞る。そしてオールメイドインジャパンに徹底的にこだわり、まだ横引シャッターを知らない市場に打って出るという壮大な夢を描く。それは自社製品の商品力に対する自信の裏返しだ。戦略は着々と進んでいる。
ご自身の承継については、今は「親父の背中」を子どもに見せている最中だと市川氏は笑った。
「息子は中学校1年生ですが、小学校2年生の時に私が夜帰ってきた時、『パパさー、仕事ってそんな楽しいの?僕たちより朝早く会社行って僕たちよりも遅く帰ってきてさー』って聞かれたんですよ。『それはお前、楽しいに決まってるじゃん』って答えたんですが、親父の背中をちゃんと見せられているんだなと思いました」
自分が子供のころ尊敬した父親の大きな背中。今は自分が子供に背中を見せている。3代目に継ぐのはまだしばらく先だが、それまでは「幸せ経営」を貫き続けるに違いない。
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