父が築き守ってきたプロテック 「人のために」の理念を貫きたい プロテック株式会社 代表取締役 小松 麻衣氏
- 40-50代
- 北海道・東北
- 女性経営者
- 後継者
1949年、世界で初めて開発された植物栽培特化型容器「プランター」は、高度経済成長期に沸く日本において、徐々に失われていく街中の緑を補い、小さな潤いを与えるものとして爆発的に広がった。それから70年の時を経て、開発者の孫である芹澤孝悦さんは祖父が作り出したプランターをツールとして、新たなカルチャーを生み出そうとしている。
「物心ついたときから、こんなダサい業界では働きたくないと思っていたので、家業を継ぐ気はさらさらなかった」
冒頭から過激な言葉が飛び出してきた。それもそのはず、芹澤さんは大学を卒業後、IT関連企業に就職し、携帯の着メロを手掛けるなどさまざまなコンテンツを生み出す名プロデューサーとして活躍していた。
そんなある日、『セロン工業』の代表を務める父が倒れたのだ。「その時は容態も悪く、もうだめかもしれないと思いました。そんな父に寄り添う母の姿も見ていられなかったですね。急に両親が小さくなったように感じました。よくある話かもしれませんが、僕は長男ですし、僕しかいないなと思って家業を継ぐことを決めました」
それが2008年、28歳の時だ。6年半勤めた、それこそキラキラとした華やかなIT業界から、文字通り土臭い園芸用品業界への転身である。
「まず会社に入ってびっくりしたのは、いまだに手書きの文化が残っていたこと。歴史ある会社なのにコーポレートサイトもなく、会社のブランディングもコーポレートアイデンティティーもない。カタログに掲載された製品ラインナップからはメーカーとしてのモノづくりのストーリーも哲学も感じられなかった。僕は一営業マンからスタートしたのですが、まず取り掛かったのはそういったバラバラなものを一つひとつ整理していくことでした」
もともとおじいちゃん子だったこともあって、祖父である次郎さんが開発したプランターについてはよく知っていた芹澤さんは、『セロン工業』で働くうちに「家庭菜園こそ究極のエンターテイメントではないか」と思うようになっていく。そして、2012年、仕事で訪れた施設園芸の先進国・オランダで日本の良さを再認識したそうだ。
「日本の良さってテクノロジーであったり、エンターテイメントであったり、そういったコンテンツだと思ったんです。それはまさに僕がこれまでIT業界で培ってきた世界に通用することで、それと農業、アグリカルチャーを掛け合わせたら大きなインパクトになると思いました。でも、そこで僕が最初に考えたのが、アプリを使って育てたデータをパラメーターにして、スマホでゲームをすることでした(笑)」
その考えを一喝する人物がいた。
それが、2015年に芹澤さんが立ち上げた『プランティオ』の共同創業者である孫泰蔵さんだ。現取締役である藤元健太郎さんの紹介で孫さんにあった芹澤さんは、ご自身が考えた構想を伝えたところ、大いにお叱りを受けたという。
「それは手段であって、根本論、本質論ではないと叱られました。そもそも祖父が作った発明の本質は“すごいプランターを作ったこと”ではなくて、“アグリカルチャーに触れる機会を作ったこと”だと。それを言われた僕は3か月ほど茫然として、何もできなかったですね。少しずつ腹に落ちてきたときには、プロダクトに固執せず、その周りの環境を整えていくことに考え方をシフトしていきました」
芹澤さんはこの運命ともいえる出会いによって、当初から思い描いていた『プランティオ』の事業コンセプトはそのままに、ハード面、アプローチの方向性を変えていったという。そして、家業である『セロン工業』もいずれは『プランティオ』と連携することで、メーカーとしての本来の機能を充実させ、園芸用品メーカーとして再び躍進を狙う。
「最初から『プランティオ』は『セロン工業』とは別組織にしようと思っていました。なぜかというと、2代目の父がいる限り、『セロン工業』の中央集権的なパラダイムは抜本的に崩れないですし、僕がそのパラダイムを変えるために費やす時間も労力ももったいないと思ったからです。それならゼロから作り上げたほうが断然早いと判断しました。現在のメンバーは僕の想いやマインドについてきてくれる、平等な関係です」
みんなで楽しく育てるカルチャーを作り出すために
『プランティオ』が掲げるミッションは、“みんなで楽しく育てるカルチャーを創る”だ。芹澤さんは祖父が開発したプランターにIoTやAIというテクノロジーを加え、栽培する人が増えれば増えるほど、自身で学習・進化するプランターを作り出そうとしている。具体的にいうと、野菜を育てるための必要となる指標を取るセンサーを3つ取り付け、土の中の水分量と温度、外気温をはかる。その3つを測定した結果を人工知能・AIが学習し、種をまく時期や収穫時期などについてその地域に最適な育成環境をアドバイスし、初心者でも美味しい野菜を収穫することができるのだ。
「今、レンタル菜園や市民農園が人気であることや、ビルやマンションの緑化対策も緊急課題となっていますので、コネクテットプランターの技術を畑に転用しようと考えています。屋上に都市型の小型農園を作り、そこにコネクテッドプランターと同等のデジタル技術を取り入れるんです。自分たちで作った野菜をみんなで食べることはできますし、その野菜を飲食店に持ち寄ってイベントを開催することもできる。そこから新しいコミュニティも生まれます。そして、最終的にはその人たちが家庭用コネクテットプランターを活用するようになれば、人類が生きていく上で基本となる食の生産性を一人一人がアップしていけるのです」
この取り組みに大手デベロッパーが興味を示し、年内には4、5か所、年明けには7か所ほどのIoTファームが都内で稼働予定だという。すでにロンドンやニューヨークでは浸透している「自分たちの野菜を自分たちで作る」活動が、今後、日本でもさらに高まってくるのである。
「僕は2020年の来るべき空き室問題にもIoTファームは役立つと思うんです。ビルや団地などの空き室をコミュニティファームにしたら、SDGsの観点でもとてもいいことだと思うんですよ。都市に生産機能を実装していって、でも入口はエンターテイメントだという世界を実現していきたい」
IoTファームの原点は、先々代が大切にしてきた「命のゆりかご」への想い
昨年3月、芹澤さんは『セロン工業』の代表取締役を辞し、今は『プランティオ』の事業に集中しているが、この取り組みが世間から注目を集めれば集めるほど、プランターを日本で最初に開発した『セロン工業』の認知度も広がり、実際の売り上げも伸びてきているという。『プランティオ』にとっても、『セロン工業』があることでレガシーな園芸業界とも強固なコネクションで繋がることができて、お互いにとってWINWINな関係が築かれつつあるのだ。
芹澤さんにこれから家業を継ぐ2代目、3代目に伝えたいことを尋ねてみた。
「僕が家業を諦めなかったのは、祖父の手書きの手記を読んだからです。その手記の中で祖父はプランターのことを“命のゆりかご”と呼んでいたんですが、戦後間もないころに、とてもピュアな思いで“命のゆりかご”を作った祖父の情熱が伝わってきて、僕は涙が止まらなかった。これから僕がしていくべきことは祖父のこの熱い想いをもっと多くの人に伝えていくこと、そして、プランターをツールにその先の世界をクリエイトしていくことだと思ったんです。
これから家業を継ごうか迷っている方がいるとしたら、家業が長く続いている理由を考え、本質を見極めることだと思います。僕の場合は、プランターが発明されていたからこれだ!と思っていたわけですが、実はそうではなくて、もっとその奥にはアグリカルチャーに触れる機会を創出していくことが本質だった。既存の固定概念や価値観に縛られないで、たとえば、創業エピソードなどを掘り起こしてみて、創業者の当時の想いを見つけてみるといいと思います。それを今の時代に合わせてアップデートしていけば、絶対に活路はあるはずです。
きみはラッキーなだけだとよく言われますが、そんなことはない。その前に言葉にならないほどの苦労をたくさんして、もがき苦しんだ時期が僕にもありますから(笑)」
芹澤さんは「家業があることは“縛り”ではなくて、自分の天命にたどり着くためのチャンスが明確にあるということ」であり、それは「とても恵まれていることだ」という。祖父が立ち上げた事業を息子へと引き継いだ父親は、今は息子の取り組みを静かに応援してくれているそうだ。
茶畑に囲まれた環境で育った祖父が、都会でも野菜が作れる環境を提供したいと開発したプランターは、1964年の東京オリンピックで世界中から脚光を浴びた。2020年の東京オリンピックでは、その孫である芹澤さんが開発したコネクテットプランターがまた世界中の人々から注目を浴びるはずだ。祖父の野菜を作るために開発したプランターは、DNAを受け継いだ孫の手によって「野菜を中心に循環する世界の仕組み」を作り出そうとしている。
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