父が築き守ってきたプロテック 「人のために」の理念を貫きたい プロテック株式会社 代表取締役 小松 麻衣氏
- 40-50代
- 北海道・東北
- 女性経営者
- 後継者
かつて万年筆に使われていた素材エボナイト。いつしかプラスチックに取って代わられ、めったに市場でその姿を見ることはなくなった。しかし、今でもエボナイトにこだわり続けている会社がある。そのわけとは?株式会社日興エボナイト製造所の3代目、遠藤智久社長に話を聞いた。
エボナイトと聞いてすぐに万年筆を思い出した人は、ある程度の年齢以上の方かかなりの筆記具マニアなのではないだろうか。今回、専業の「日興エボナイト製造所」には昔ながらの素材を取り扱う中で様々な気付きがあった。
家を継ぐつもりはなかったという遠藤氏。大学を卒業後、1994年、段ボール会社に入社した。創業者である祖父、遠藤勝造氏が1952年に創業、1995年、88歳まで社長を勤めた。1998年、遠藤氏の父親が社長を継ぐことになり、呼ばれて家業に入った。社会人5年目だった。そして、2010年2月、38歳の時、社長を継いだ。現在10年目となる。
エボナイトの原料は天然ゴムだ。用途は、万年筆や木管楽器、タバコのパイプの吸い口、キャスターのゴム車輪など様々。昭和40年代までは都内でも何件かエボナイト屋があったが、専業メーカーは日興エボナイト製造所だけになった。
エボナイトがプラスチックに駆逐され始めたのは、昭和30~40年代のいわゆる戦後の高度成長の時代。プラスチックが普及し、エボナイトの用途がなくなって、万年筆や楽器までプラスチックに置き換わってしまった。しかし、祖父の勝造氏はこう言っていたという。「お客さまが1人でもいる限り止めない」と。さぞかし頑固一徹だったのでは、と想像していたら、遠藤氏はそれは違うと話してくれた。
「祖父は、エボナイトにこだわらず、いろんなことをやっていこうというタイプでした。皆で知恵出して行こう、と。今はやりのシェアリングじゃないですが、当時、工場の賃貸しをやろう、という話もしていましたからね」
それだけではない。遠藤氏が家業に呼び寄せられた時、勝造氏が言った。
「お前の最初の仕事はホームページを作ることだ」
なんと勝造氏は齢90歳にして、インターネット時代の到来を予見していたのだ。
こうした祖父勝造氏の進取の気性は実は生来のものだったらしい。エボナイトを軸にした商品を次々と開発していったことからもそれがうかがえる。耐油性、耐薬品性に優れた工業用フロート材や、ゴム車輪キャスターの部品などがそうだ。しかし、それらの製品も時代と共にプラスチック製品に変わっていった。
写真)工業用フロート材
出典) 日興エボナイト製造所
バブルがはじけ、景気の底だと思っていたら、2008年になりリーマンショックに見舞われる。すっかり景気が冷え込み、受注が激減する中、遠藤氏は父親と色々な展示会や相談会に足しげく通い、ビジネスの方向性を模索する日々を過ごしていた。
そんな時、荒川区が荒川区長の旗振りでものづくり企業の産学連携を支援し始めた。それが「MACCM(まっく)プロジェクト」だ。Monozukuri Arakawa City Clusterの頭文字を取った。「産・学・金・公」のあらゆる資源を横断的・領域的にカバーし、経営・技術両面からのサポート体制の構築を目指すものだ。
図)MACCプロジェクト
出典)荒川区
その中の分科会の一部として、後継者育成を図る為、「あすめし会」が発足した。ずばり、「明日の飯の種をつくる会」だ。若手経営者後継者が一堂に会し、行政の支援を受けながら、経営の勉強を重ねた。
また、荒川区による経営革新計画を作るための経営塾「あらかわ経営塾」にも参加し、経営革新計画認証取得をした。テーマは「脱下請け。BtoBからBtoC」
直接消費者に届く商品を開発・製造販売することによって高い付加価値をとっていく。そう遠藤氏は誓った。その時、万年筆のアイデアが浮かんだという。
「当時いろいろ考えた中に、ギターのピックや万年筆がありました。万年筆がエボナイトを使っていたのは昔から知っていたので、マーブル模様の素材を開発して万年筆の職人さんに話を持っていったのです。この材料を削ってやってくれませんか、と。それが最初ですね」
2008年にスタートを切った万年筆事業。実はマーブル模様を完成させるのは容易なことではなかった。
「エボナイトはもともと黒色で、顔料を混ぜすぎると単色になってしまうし、あまり混ぜないと大柄になってしまう。製品化してからも試行錯誤を繰り返して、やっとこの1、 2年で安定した模様ができるようになりました」
2009年に発売した時は1個6万円という値付けをし、2日で5本売れた。30万円の売り上げになって、よし、これはいけると思った遠藤氏。マニアを中心にSNSで噂が広まり、次第にデパートや専門店の販売イベントに呼ばれるようになった。
現在、販売は、ウェブサイトでの直販と、路面店「笑暮屋(えぼや)」店頭での販売のみだ。敢えて文房具屋などに卸してはいない。エボナイトは日焼けする特徴があるので、品質を保証するために流通網には乗せないとのこだわりからだ。今や、万年筆の売り上げは会社全体の2割を占めるまでになっているというから、まさにヒット商品と言えよう。
出典)笑暮屋HP
1本3万円以上する万年筆が飛ぶように売れるとは驚きだが、カラーマーブルエボナイトの手触りと光沢は他の素材とは段違いだ。実際、手に取ってみるとわかる。一本一本、手作りのカスタムオーダー方式がまたユーザーの購買意欲をくすぐるのだろう。薄利多売の下請けビジネスから見事に脱却した好例といえよう。
一方、高付加価値商品販売の対極にある、エボナイト素材の販売はというと、こちらも販売ルートの革命が起きている。それが、アリババドットコム(Alibaba.com)との出会いだ。
「たまたまアリババの営業マンと会ったのがきっかけで、エボナイトの素材を載せ始めたのが2011年です。そこから息を吹き返したんですね」
アリババドットコムは市場が中国だけではなく、世界中のバイヤーとつなげるBtoBマッチングポータルだ。海外から問い合わせを受けて見積もりを介して注文が入る。PayPal(ペイパル)で入金確認後、EMSで出荷するスタイルだ。やはりインターネットに明るい3代目ならではの経営戦略ではないか。そう問いかけると意外な答えが返ってきた。
「祖父がいなかったらそういうマインドにはなっていなかったかもしれません。祖父は、『とにかく世界中に需要があるはずだ。世界に行くにはどうしたらいいか』といつも言っていましたから」
創業者勝造氏のDNAは脈々と孫に引き継がれて実を結んでいる。家業の凄さを垣間見た瞬間だった。
現在の売り上げは約9千万円。どん底だった2008年当時から3倍になっている。今は人手不足だとうれしい悲鳴だ。
そして、今後の事業展開。遠藤氏は、海外販売比率の拡大を考えている。素材販売はアリババドットコム経由で攻勢をかける。
一方、万年筆は海外、国内どちらも販売促進の布石も着々と打っている。海外のペンの見本市である、”ペンショー”には積極的に参加している。毎回、何千人もの来場者があるそうで、インタビューの最中にも海外からの問い合わせの電話が引きも切らない。
国内でも『手書き文化のすばらしさを伝え・広め・残す』をテーマに、”東京インターナショナルペンショー”を主催している。
「地方の専門店が”ご当地インク”を企画販売したり、紙メーカーが万年筆の書き味にとことんこだわった紙を作ったりしているのですが、そういう商品が一堂に会する場所を作り、市場のすそ野を広げようと思っています」
また、遠藤氏は中小企業のネットワーキングにも積極的だ。その一つが「下町サミット」だ。中小企業の交流会で、23区をキャラバンしている。とにかく手弁当で各地を回る。ここで繋がった人同士は業種問わず、行政だろうが金融機関だろうが、SNS上の「東京24区」というページで情報交換している。実際に、中小企業同士、協業の具体的な話などが飛び交って実績が上がっているという。
出典)facebook 下町サミット
最後にご自身の後継について聞いてみた。遠藤氏にはご子息が二人いる。長男は大学1年生、次男は中学2年生だ。
「ゆくゆくは息子の世代にとは思っています。特に下のほうはビジネス目線でいつも話をふっかけてきて、こっちがたじたじになってしまうんです。宣伝するのにYouTubeチャンネル作ったほうがいいよ、とか言ってますね」
そう目を細める遠藤氏だが、子どもたちにはまだ承継については話していないという。
「まだ継げという言葉をいう段階ではないかなと思っています。私が大学の時点でお前は継がなくていいと言われていたので」そう親心をのぞかせた。
まずは「行動あるのみ」の遠藤氏。そのバイタリティーには圧倒されるばかりだったが、氏の事業戦略は緻密なマーケティングと豊富な人脈から得られる”生きた情報”に基づいている。
古くて新しい「エボナイト」という素材を核に、遠藤氏はこれからも新基軸を打ち出していくに違いない。
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