父が築き守ってきたプロテック 「人のために」の理念を貫きたい プロテック株式会社 代表取締役 小松 麻衣氏
- 40-50代
- 北海道・東北
- 女性経営者
- 後継者
昭和2年創業、大阪堺市で90年以上続く老舗のこんにゃく・ところてん製造企業である「中尾食品工業株式会社」。有機栽培こんにゃく芋100%を使用し、昔ながらの木の灰で固めてつくられた、本物のこんにゃく「菊松こんにゃく」で国内に多くのファンを持つ企業だ。
平成25年、25歳という若さで4代目社長に就任した中尾友彦氏は、こんにゃく文化を世界に発信するため、市場にない全く新しい商品の開発や、販路の拡大に挑戦している真っ最中だ。こんにゃく業界に新しい風を吹かせようとする現社長のチャレンジと、それを支える先代社長の康司氏(現会長)が託した思いとは。お二人にお話をお伺いした。
こんにゃく製造の家業を見つめ続け、高校生のころから家業を継ぐことを意識し始めたという友彦氏。大学では経営工学を学び、中小企業診断士や簿記資格を取得するなど、自分が社長になったときに役立つ資格や知識を蓄えることに専念した。大学を卒業するタイミングで、まずは経営のノウハウを学ぶため経営コンサルタント会社への就職活動をすることにしたという。
「卒業してすぐに家に戻るという選択肢もありましたが、昔から従業員に『若社長』なんて冷やかされていたこともあり、このまま入社しても周りが認めてくれないと感じていました。それは気に入らないな、ということもあり、まずは社長業を学ぼうと思ったんです。」
第一志望である経営コンサルタント会社への就職は叶わなかったが、「営業は社長業に近い仕事である」ということを知り、証券会社の営業職からキャリアをスタートさせることになった。しかし就職してから1年半後、転機が訪れる。
「二代目社長が脳梗塞で倒れたんです。中尾食品で働いてくれている従業員さん達が、もしかしたら路頭に迷うことになるかもしれない。会社を支えるべく、家に戻る決意をしたんです。」
こうして中尾食品工業株式会社に入社した友彦氏だが、働きはじめてから社内環境の悪さが目につくようになったという。
「こんにゃくの製造について『何がいいのか何が悪いのか』が社内で確立されていなかったんです。会長が今まで蓄積した考えひとつでやっているという印象で、そこに問題を感じていました。」
友彦氏が問題意識を持ち始めた矢先、衛生環境の不備から大事な商品にカビを生やしてしまい、クレームが発生してしまった。結果、得意先の企業に多大な迷惑を掛けてしまい、販路を失ってしまうかもしれない危機にさらされることになった。
「このままではいけない、変えていかないとやばいぞ」と、早急に社内改革の必要性を感じ始めた友彦氏だった。
社内改革の必要性を感じていた友彦氏だが、その時は入社してたった半年ということもあり、「自分が継いで会社を立て直す」という覚悟がなかなか持てなかった。しかし、姉のひと押しもあり、会社を継ぐ決意を固めたという。
「『変わるのはこのタイミングだよ。うまくいかないことがあったら、フォローしてあげる。』と姉が言ってくれたんです。気持ちが少し楽になったような気がします。」
「代表を変わってくれ」― そう社長に直談判をした友彦氏。それに対し、康司氏(先代社長)はあっさりと代表権を譲ってくれたという。25歳という若さ、こんにゃく業界に入って半年という友彦氏に会社を継がせることに、康司氏は躊躇(ちゅうちょ)しなかったのだろうか?
「遅かれ早かれ息子が継いでやっていく事業になると思っていましたし、いっぺん頑張って『やってみいや』という気持ちで任せました。経験はいっぱい積んだ方がいい」と現会長の康司氏は語る。
こうして業界では最年少のこんにゃく製造会社の社長となり、友彦氏は社内の改革を進めていくことになる。「息子とはいえ、何も知らない僕に対して代表を譲るという決断をしてくれた父に、感謝しても感謝しきれません。」(友彦氏)
衛生環境を改善するために、自社の製造工程に衛生管理手法の「HACCP(ハサップ)」を導入した友彦氏。食べ物の安全性を確保する、国際的に認められた食品の衛生管理手法だ。現在、業界ではマストとなりつつある「HACCP」だが、当時としてはこんにゃく製造会社に導入するのは珍しかった。
製造工程に手を加えるということは、いままでのやり方を変えるということ。制服も変更しなければならず、社員からは「なんでそんな服着ないといかんのや。今までいけとったやんか!」と反発もあったという。
やり方を変え、社員から反発があるたびに「なぜ変えなければいけないのか」「なぜ必要なのか」を友彦氏は一つ一つ丁寧に説明をしたという。
「昔から貢献してくれている社員は、継いだばかりの若社長にあれこれ言われるのは気に食わないと思います。立場が逆だったら、自分も嫌だな、と当然考えます。だから、きちんと向き合って話をして、納得してもらう。泥臭いですけど、そういうやり方で社員に対応してきました。」
「HACCP(ハサップ)」をはじめ、人件費をおさえるために働き方改革をおこなうなど、次々に社内の変革をしていった友彦氏。
その動きを見て会長の康司氏は、「資格の取得などお金はたくさんかかるが、事故が起きてからでは遅いですからね。長い目で見た時に、きちんと投資ができるのが現社長の良いところだと思っています」と評価する。
代替わりをするにあたり、大きな財産はほとんど現社長に相続したという康司氏。「土地なども全部息子に譲りました。無駄遣いはしてほしくはないけど、資金には不自由してほしくないので。銀行が融資してくれるよう財産を持たせましたね」と語る。こうした先代社長の資金面のバックアップも、円滑な事業承継には必要な要素だった。
友彦氏の改革・改善が実を結び、全国区のコンビニエンスストアから受注を受けるなど、販路は一気に広がった。「良いものをつくっているという自信はあったので、それが評価してもらえたのはうれしかったですね。このときが、本当の意味で『社長になれたな』と自分で実感できた瞬間です。」
現在、日本はもちろん世界にも向けて、こんにゃくをスムージーとして売り出したり、高品質なこんにゃくの乾燥麺の開発を目指すなど、市場にないものを積極的に生み出そうとしている。
「世界にこんにゃく文化を知ってもらうことによって、みんなに健康になってもらう。そうやって世の中に貢献していきたいなと思っています。若いからこそ歩みを止めずに、こんにゃくの可能性を追求していきたいです」と友彦氏は語る。
多くのチャレンジを続ける友彦氏だが、全てがうまくいっているわけではない、中には「別会社や企画を立ち上げ、撤退したという苦い経験もある」という。
しかし、会長の康司は「失敗を恐れずやれば良い、失敗に気付いたら早い段階で振り出しに戻って、どこが悪かったのか、自己分析をして次にいけば良い」と考える。
康司氏も社長時代に、先代になかなか理解してもらえず、チャレンジを認めてもらえなかったという経験をしたからだ。「市場にないものをつくりたい」―友彦社長だけではなく、康司会長も同じ思いを持っているという。
現状に固執せず柔軟な考えで経営を一任した会長と、今ある技術を生かしてチャレンジを続ける社長のタッグで、事業承継を成功させた「中尾食品工業株式会社」。その見事な連携は、まるで同社がつくるしなやかで力強いこんにゃく製品を体現しているかのようだ。
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