父が築き守ってきたプロテック 「人のために」の理念を貫きたい プロテック株式会社 代表取締役 小松 麻衣氏
- 40-50代
- 北海道・東北
- 女性経営者
- 後継者
1975年に長崎で創業以来、公共施設や分譲マンションなどの給排水設備工事を請け負ってきたカワシマ設備工業は、時代の流れと共にその事業内容を徐々にシフトさせ、現在はマンション管理と終活支援の2つを主軸に勝負をしている。
先代である父の急病により、昨年、急きょ社長となった川島了氏と、保険を通して、あらゆる相談に乗り、川島氏をサポートする鈴木淳一朗氏に話を聞いた。
有限会社カワシマ設備工業NCS
代表取締役 川島 了氏
長崎県出身。不動産会社勤務を経て、2003年にカワシマ設備工業に入社。
2018年、父の跡を継ぎ、代表取締役社長に就任。
一般社団法人終活協議会の終活ガイド検定講師、よりよい終活のための情報発信を行う非営利団体リヴテックス佐世保中央代表も務めている。
株式会社エフピー保険事務所、FPリライアンス代表
鈴木 淳一朗氏
銀行、保険会社勤務の経験を生かし、独立。保険募集人、ファイナンシャルプランナーとして活動する傍ら、一般社団法人終活協議会の終活ガイド検定講師、日本アンガーマネージメント協会アンガーマネージメントファシリテーターとして講演も行う。
また、エヌエヌ生命が運営する「かうじそクラブ(※)」の会員となり中小企業が事業継続するためのサポートや提案を推進している。
(※ 正式名称「事業継続保障倶楽部」。中小企業の経営の安心を次世代までお届けするために事業継続保障を提案していく募集人の会)
10代で家を出て、家族と距離をおいていた川島氏が呼び戻され、家業を手伝うことになったのは26歳のとき。会計を担当していた母が体調を崩したのがきっかけだった。
一度は家を飛び出した川島氏の背中を押したものは何だったのだろうか。
「育ててくれた両親への感謝の気持ち、ということになるのでしょうか。あまり家庭を顧みなかった父に対して、子どもの頃は反発したこともあったのですが、大人になってみて仕事が優先になってしまう気持ちが分かるようになったんですよね。結局、親父と私は似とるんやなって。そこで『継ごうかな』と、気持ちがふっきれました」(川島氏、以下同)
一緒に仕事をしていく中で、父と意見が対立することもあった。
「父が若かった頃とは違い、設備工事は大手がスケールメリットで仕事をしていくという時代です。だから、今からこの会社でこの仕事を覚えても生き残っていくのは難しいかもしれない、と思ったんです」
そこでかつて不動産会社で働いていた川島氏はその経験を生かし、分譲マンションの委託管理会社との業務提携を進め、社内にマンション管理部門を立ち上げた。
「当初はこじんまりと長崎市内だけでやっていたのですが、佐世保にも営業所を出すことになり、それが軌道に乗るまでは跡を継ぐのを待ってほしい、と伝えていました。それがようやく結果を出せるようになってきて、『そろそろ継ぎます』という話をした直後に、父が倒れたんです」
それが昨年のこと。この数年間は事業承継を視野に入れ、父からいろいろなことを学ぶための準備期間と考えていた川島氏。「これから具体的な話をして、満を持して跡を継ごう」と決意をかためた矢先に起こったまさかの出来事だった。
「突然のことでしたので、自社株の保有割合など、経営者として当然知っていなくてはいけないことも把握できていませんでした。父は、『お前は知らなくていい』というスタンスだったので。事務所の机の奥から『聞いてないよ!』というような資料が出てきてびっくりしたこともありました。事業を継ぐつもりで働いてきていたとはいえ、肝心なことはなにも引き継がれていなかったんですよね。大事なことはきちんと整理しておいてほしかったですね」
現在、川島氏が本業の他に積極的に取り組んでいるのが、終活支援事業だ。「分譲マンションの管理をしていく中で、高齢者に関する問題を目の当たりにする機会が増えました。終活セミナー、エンディングノートの書き方セミナーをはじめ、業務提携先と連動し、相続等の法務相談や施設・病院等へ身元保証代行、生前整理・遺品整理など、さまざまな終活支援事業を行っています」
社団法人終活協議会にも所属し、終活ガイド認定講師としても活動をしている。そして、これが鈴木氏との出会いのきっかけとなった。
「出会いは『終活ガイド検定』の講習会。私は受講生で、講師としてやってきたのが川島さん。それで講習会が終わった後、ちょっと飲みに行きましょうよという話になり、そこで意気投合してしまったんですね」と鈴木氏。以来、二人の親しい付き合いが始まった。
川島氏にとって鈴木氏は契約者と募集人という関係を越えた、頼れる兄のような存在なのだという。
「私を経営者としてではなく、そこから一歩踏み込んで人間として見てくれている。ビジネスライクではなく、寄り添って腹を割って話してくれるので、言葉がすんなり入ってくるんですよね」
必要な時に適切な距離感で相談に乗ってくれて、そっと後押しをしてくれる。ヒストリーブックを教えてくれたのも鈴木氏だった。
「『会社の大事なことを残しておけるノートがありますよ』と、持ってきてくれたんです。地方の多くが抱える問題なのでしょうが、長崎も人口減が激しくて、若い人はどんどん福岡なんかへ出て行ってしまう。だから、後継ぎがいないまま、何となくフェードアウトしちゃうという中小企業は多いんです。人間には終活が必要ですが、企業にも、後継者に伝えたい経営に対する思いや大切な情報を体系的に整理しておくことが必要だろうと思っていたので、これはいいね!となりました」
終活事業に関わっている川島氏にとっては、ヒストリーブックのコンセプトはすんなりと入ってくるものだった。個人の終活で作成するエンディングノートが自身の人生を振り返り家族への思いや夢を整理するのに役立つのと同じように、企業にとっても、現役の経営者が経営に対する思い、これまでの功績や夢など後継者に伝えたい大切な情報があるのは同じ。それを整理し残しておけるというヒストリーブックのコンセプトに共感を持ったのだ。
「私は今42歳ですが、エンディングノートは書いていますし、ヒストリーブックも書き始めています。父のこともありますし、私自身、若い頃に病気で片目の視力をほぼ失っています。身近に20代で亡くなった人もいます。誰もいつ何が起こるかなんて分からないんです。何も準備をしないまま倒れてしまったり、死んでしまったりしたら後悔しかない。だから早過ぎるということはなくて、今始めることが大切だと思っています」
川島氏によると、エンディングノートはパラパラと見て気になる部分から書くのが鉄則だという。それはヒストリーブックも同じ。
「パラパラめくってみて自分の会社の価値って?とか、いつのタイミングで何をしていけばいいんだろう?とか、自分はどうありたいのか?とか、自分では気付けなかった『考えなくてはいけないこと』を明確にしてくれるきっかけになったと思います」
形式上は社長になったとはいえ、「本当の意味での事業承継はこれから」と川島氏は言う。
「売上や負債などの数字ももちろん大切ですが、事業に込めた使命感とか理念とかそういう“思い”の部分が一番大切な部分。家族内の承継というのは甘えがあり、どうしてもうやむやになってしまいがちなので、ヒストリーブックを書く意義は大きいと思います。私が先代から本音や大切なことを聞かないまま引き継ぐことになってしまった分、自分はそういうことがないようにヒストリーブックを書いて残していきたいですね」
川島氏は新規事業にも精力的に着手し、ビジネスの成功をと新たなヒストリーの構築を目指す。
「守るべきものを守るためには、健康であることが大切。でもいつまでも健康でいられるわけではない。いつ何が起こるか分からないから、生命保険があるのだと思うんです」
そんな川島さんに寄り添い、サポートするのが鈴木氏の役割だ。
「鈴木さんには家族の問題も含めて、何でも相談できる」と川島氏。彼らの二人三脚はこれからも続く。
(※)現役の経営者が経営に対する思いやこれまでに築かれた功績など後継者に伝えたい大切な情報を包括的・体系的に整理し残しておくツール「The History Book(ヒストリーブック)~笑顔の継続と承継への道~」。エヌエヌ生命が制作、2019年1月より提供開始。
「ヒストリーブック」をご希望の方は、 こちらのフォームよりお申し込みください。
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