父が築き守ってきたプロテック 「人のために」の理念を貫きたい プロテック株式会社 代表取締役 小松 麻衣氏
- 40-50代
- 北海道・東北
- 女性経営者
- 後継者
システム開発事業を展開する株式会社クリエイトエンジニアリング(東京都品川区、従業員数35名*)。先代の急逝により突然に事業を承継し、現在も同社の代表取締役を務める宅野 宏氏に、承継までの道のり、社長着任直後に体験した困難、次の承継に向けた備えについて話を聞いた。
(*2018年5月取材当時)
(聞き手:エヌエヌ生命 経営企画部CXチーム)
「社長就任後も、営業はまだ自分でやっています。先代の社長から引き継いだ時には、飛び込み営業をやっていましたよ、顔面蒼白で。多大な借金を引き継ぎましたからね。」
元々営業の仕事をしていた宅野氏。社長に就任した直後も、会社の存続のためにその経験を活かし、自ら飛び回った。
「当社の売り上げの8~9割を占める取引先がありまして、その会社を僕が担当していました。8~9割が一つの取引先って比率が高すぎますよね。ソフト関係のIT企業は、大きくわけると、プログラムを作る開発業務と、作った後に運用する業務、あとは環境周りを構築するインフラネットワーク系の業務があります。当社は運用業務に非常に偏っています。取引先が偏っている上に、業務の内容も一つに偏っているので、それではいくらなんでもリスクが大きすぎるだろう、と。リスク分散の意味で、本格的に営業をしないといけないな、と思っていました。だから、手あたり次第、色々な会社に話を聞いてもらいました。マイナスからの出発点でしたからね。」
1983年に設立された株式会社クリエイトエンジニアリング。先代社長との出会いは前職にさかのぼる。
「私はもともと別の会社で働いていたのですが、そこで先代の社長が当時はプログラマーとして勤務していたのです。その後、先代が独立して立ち上げたこの会社に私も転職しました。約20年前の話です。管理職として入社後、大手システム会社との取引を増やしていって、子どもがちょうど生まれた38歳の時に役員になりました。といっても形だけで、実際にやっていることはそれまでと変わらなかったですね。でもその頃は社長になるなんて話は全くなかったです。私自身もそんな事を思ってもみませんでした。先代社長も、ずっと自分でやるつもりだったようです。最後は誰かに任せたいとは思っていたのでしょうけど…。」
そんな中、先代社長を急な病が襲う。宅野氏は急遽、会社を継がざるをえない立場に立たされた。
「会社を引き継いだのは、社長が病気になったからです。ガンでした。余命宣告をされて、半年から一年、と。実はその当時、一緒にやっていた取締役も独立してしまっていました。誰もいないからやばいなって、『社長になるの、俺じゃないだろうな』って思っていましたよ。」
「社長になるのは無理かもしれないって、そのころから伝えてはいましたが、1年くらいかけて、『君しかいないから、やるしかないよね』みたいなことを言われて。それでも半信半疑でしたよ。やりたいという気持ちと、そうはいっても…という気持ちと。従業員たちを束ねるということもできるのかな、とか。決算書を見て数字の意味を考えられるような状況でもなかったですし。でもとりあえず、わかりました、半年から1年の間でいろいろ教えてくださいよという話を年末にしていました。そうしたら、正月の3日に容態が急変して、先代社長が亡くなってしまったのです。嫌とも言えない状況になってしまいました。」
予期せぬタイミングでの事業承継。それでも会社の経営は続けていかなくてはならない。
「取引先にだけはきちんと早く意思表示をしないと、挨拶をしないと、と思いました。各取引先にきちんと挨拶をしたあと次はどうすればいいんだ、と思いながら、あらためて決算書を見ました。本当に悩みましたよ。借入金の数字だけが目について。自分には借金がないのに、社長をやれば、連帯保証人になるわけですよ。そうすると借入金分の負債が発生するわけですよ。なんで今まで順調に来ていたのに、ここにきてそんな心配をしないといけなくなるのだと思うと、一ヶ月くらいは食欲もなくなりました。」
初めて直面する事業承継の現実。承継に必要な資金の準備も決して充分とはいえない状況で、宅野氏は経営者として自身にできることに懸命に取り組んだ。
「先代の社長は生命保険には入っていました。ただ、亡くなった時に借り入れの弁済に使える団信(団体信用生命保険)には入っていなかったのです。団信に入ってくれていたら、全然違ったんですけど。あと、生命保険の保険金が会社に入ってきても、ほとんどは死亡退職金として先代の奥さまに渡さなくてはなりません。株も全部買い取りました。最初は買い取らないでいたほうがいいのかなとも思ったのですが、経営にタッチしてない人にお伺いを立てるのも時間がかかるので、だったら引き継いでしまえと。」
「一番悩んだのは会社の経費削減ですね。社長が変わったところで、新しいことをやっても売り上げに繋がるのって時間がかかるじゃないですか。売上があまり変わらないのだったら、経費削減をして、会社を安定させようと思いました。」
「社長になって、つらいことって意外となかったですね。前の社長の時は、『うちの会社は苦しいんだよ』『儲かってないから、報酬も上げてあげられないなぁ』と口ぐせのように言っていました。でも自分が社長になって、無駄を省こう、これも省こうってやったら、思った以上に利益があがるようになりました。」
「苦労したことはなかったですけど、従業員がついてきてくれるのかな、というのが一番心配でしたよ。やはり上司が変わるとついていけなくなったり、方針が変わると辞めたりすることが、よくあるじゃないですか。現場の社員とは常に顔を合わせて話しをしていましたので、社長という立場は変わったけど、気軽に話が出来るので良かったのかもしれませんね。空気が違うことが読みとれるように、会社には毎日来て常に様子を見たいと思っています。最近の若い人たちは飲まないから、一緒にランチに行きます。コミュニケーションをとっているのか、ご馳走になれるから来ているのかはわからないですけどね(笑)。でも社員と近い所にいたいと思っています。」
決して円滑とはいえない承継を体験した宅野氏。自身の承継に備え、取り組んでいることはあるのだろうか。
「継承したばかりなので、次に継承することは考えていないですね。実際のところ、そんな事を考える余裕もなく、ここまできました。今できるのは借入金をなくすこと。社長同士が集まる社長会の中でも、みんな借りないで、せっかく利益が上がっているのだったら、借りない体質造りに努めよう、と話をしていますよ。」
「事業承継をするにあたってネックなのが、借金があるかどうか。仕事は自分の技量によるのでそこから小さな規模になろうが、大きくなろうがその人次第ですが、マイナスからのスタートじゃかわいそうだなと思います。今No.2の取締役には好きなことをやらせてあげたいな、という思いがあります。今、彼が営業では力を発揮できていても、経営者になっても今までどおりに力を発揮できるかはわかりません。経営者になれば、仕事はもちろんの事、資金面や仕事以外の精神面での苦労が多くなるので、本来の自分の仕事ができなくなります。そう考えると、会社を押しつけることはできないと思います。優秀な社員だから継がせても、うまくいくとは限らないと思うのです。」
「自分がもし死んだ場合に備えて、個人用と会社用の資産をノートに書いています。死亡保険の金額、保険会社名、今時点の負債のこと、死亡退職金のこと、従業員の退職金用の貯蓄のこと。自分に何かあった時のために備えています。」
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