父が築き守ってきたプロテック 「人のために」の理念を貫きたい プロテック株式会社 代表取締役 小松 麻衣氏
- 40-50代
- 北海道・東北
- 女性経営者
- 後継者
北海道は室蘭市に本社工場を構える株式会社キメラ。
精密金属加工、各種金型部品加工、モールド金型・プレス金型の設計製作など「金型」製造で海外進出を果たし、現在はアメリカやマレーシアに子会社を立ち上げるまでに成長を続けてきた。2011年に第三者承継で代表取締役に就任した藤井徹也氏に話を聞いた。
(聞き手: 安倍宏行 ジャーナリスト ”Japan In-depth”編集長)
今回訪問したのは精密金型部品製造の株式会社キメラ(室蘭市香川町)。社長の藤井徹也氏は第三者承継という形で事業を継いだ。話を伺うと、社長になるまでの経緯はかなり波乱万丈だ。
実は藤井氏、若いときはゴルフ練習場の鉄塔などをメンテナンスする会社の営業マンだった。その会社で取締役にまでなっていたが、家庭の事情で故郷の室蘭に戻り、たまたま義理の弟の友人が工場長をやっているキメラに飛び込んだ。1998年の事だ。その時すでに35歳。従業員の平均年齢20代の会社にいきなり中年の中途社員が入るのは当時珍しいことだったという。
営業しかしてこなかった藤井氏、そもそも金型のことすらわかってなかった。
「『金型ってなんですか?』という状態でしたね。面接で、当時の工場長に『じゃ来週の月曜から来て』って言われて。給料について聞いたら『来たら教えるよ』という感じでしたね。(笑)」
現場経験ゼロで、とにもかくにもキメラでの仕事がスタートした。最初に藤井氏が就いたのがマシニングという金属加工の仕事。入社1年後には新設部署の課長になった。社会人経験も豊富だったし、今までのキメラにいない人材だったこともあったのだろう。次は自分から希望して営業課長になった。新規顧客開拓にまい進し、実績を上げた。
その次は金型製作だ。当時キメラは金型部品だけを製造していた。ところが社長が金型の設計からやる、と言い出した。そこでまた藤井氏に白羽の矢が立った。でもちょっと待った、藤井氏は事務系のはず・・・
「金型の設計者は一人しかいなかったので、一人じゃ金型事業は無理ですよと社長に言ったら、『じゃあお前がやれ』という話になったんですよ。その時40歳くらいだったんですが、『俺ですか?』って言ったら『何、お前できないの?』って言われて、『じゃあやります』と。(笑)」
なんとも破天荒な会社ではある。CAD(コンピューター支援設計)を一から勉強した。
「僕たまたま向いてたんですよ。あっという間に覚えちゃって。」
会社に泊まり込み、休みはほとんど無し。しゃにむに金型設計にのめりこんだらあっという間に3年半過ぎた。今度は金型を作る第2工場を任された。2006年には金型の営業部長。2011年に入って約10年で取締役工場長。異例ともいえるスピード出世。こうなると他に人材がいないからではない。やはり藤井氏の実力と頑張りがものをいったのだろう。先代の社長は早くから藤井氏に後を継がせようと思っていたフシがある。
そして2011年。その社長はこう言った。
「俺今年いっぱいで社長やめて会長になる。息子がマレーシア子会社の社長になって俺もついて行くから、お前が社長になれ。」
藤井氏は思わず、「僕でいいんですか?」と言ったそうだ。
しかし、先代の社長はもうみんなに藤井氏が次だと言っていた。外堀は既に埋められていた。その年3月、東日本大震災が起きた。1年を待たずして、2011年7月に社長になった。
更に驚きなのが先代社長のこの発言
「2年で会長職やめるからな。お前俺の株買え。俺もう十分儲けさせてもらったし年金もあるから、なんなら0円でも構わないからな。」
そして藤井氏はいきなりオーナー社長になった。
キメラは現在アメリカとマレーシアに拠点がある。金型ビジネスはこれからどうなるのだろう。今後の経営戦略について聞いた。
「金型は設備なので、量産で考えたらもう増えない。でも日本の自動車メーカーが日本で新車を全く作らなくなることは考えられないし、精密な金型部品を短納期で大量に作れるのは、ほぼうちだけなので、仕事が全くなくなるとは思っていません。」
一方で、藤井氏は米中貿易摩擦を注視しているという。米中貿易摩擦のあおりで日本の自動車部品メーカーも日本で作るのか、アメリカの現地生産を拡充しなければならないのか迷って金型の発注をちょっと待とう、と様子見になっているというのだ。また、世界的なEV(電気自動車)シフトが加速する中、自動車に依存している売り上げ構成を変えるべく、藤井氏は受注先の多角化を進めている。
「航空機関連の仕事は宇宙も含めて少しずつやっています。ただ現状は大きな事業の柱になるとは思っていないですけど要求される技術も高いので、会社の要素技術レベルが上がるのは良いことですね。」
また、宇宙関連にも参入を考えている。3年前からHⅡロケットの部品を作っている他、ホリエモンこと堀江貴文氏が出資していることで知られるインターステラテクノロジズ株式会社にもパートナー協定を申し入れている。また、医療分野も視野に入れている。
「10年先はわからないですね。世の中は否応無しに変化するので、変化に敏感に躊躇せずにチャレンジしていくというのが残された道だと思いますね。」
キメラでは女性社員が生き生きと仕事をしているのが印象的だった。今年入社した8人の新卒社員の内、5人は女性だ。
「女性を選んでいるわけではないんですよ。うちの会社は女性か男性かは関係ないんですよ。この地域は割と保守的なところで、女性が結婚したら辞めることが多いんですが、うちでは出産後の復職は100%叶えますし、保育所への送り迎えが必要で時短が必要な場合はそうするようにしています。あとは今管理職30人の内2割くらいは女性です。経営企画室を任せているのも29歳の女性なんですよ。」
社長はまだ50代と若いが、ご自身の事業承継はどのように考えているのか、聞いてみた。
「正直そこまではまだ考えていませんね。親からもらった会社でもないので、身内にどうとかいうのは全く考えていないです。今キメラで頑張っている次世代の人に残すのが筋だろうと思っています。ただそれには会社の状況が良くないともらってもらうこともできないでしょうし、事業承継を考えるときは会社を良くすることを考えているだけですね。」
意中の人は2人ぐらいいるというが、まだ本人たちには言っていないと藤井氏は笑った。
第三者承継という形で若くして会社を継いだ藤井氏。いずれ後進に道を譲る時が来る。キメラを取り巻くグローバルなビジネス環境は急速に変化している。経営のかじ取りを進めながら、後継者を見出して育てる難しさを、今藤井氏は実感している。
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