父が築き守ってきたプロテック 「人のために」の理念を貫きたい プロテック株式会社 代表取締役 小松 麻衣氏
- 40-50代
- 北海道・東北
- 女性経営者
- 後継者
1957年創業の「のさか」。かつて老夫婦が経営していた下駄屋を現社長の山口百恵氏の祖父が受け継ぎ、「のさか靴店」としてスタートした。
このルーツが今の「のさか」の靴を生んだ。
「どんな靴が人の役に立ち、喜ばれるのか」という発想から、2001年には、オリジナルシューズ「ストレッチウォーカー」を発表。大ヒット商品となった。
下駄屋を受け継いで生み出された靴とはどのようなものなのか。早速石川県に飛んだ。
社長の山口百恵氏は3代目であるが、実は5年前から代表取締役だった。父、野坂哲也氏から社長を引き継いだのが今年3月、いままさに関係各所に挨拶回りをしている。取締役副社長である母、知恵美氏と二人三脚で、のさかイズムを継承し、かつ発展させている。
山口氏に社長になったことの重圧のようなものは全く感じられない。
「(プレッシャーは)あまりないですね。家族みんなで苦労して作ってきた会社だし、社長になる前に既に経営に入っていましたし。ただ、父がカリスマ的な人だったので社員がついてきてくれるどうか心配でした」
実際は杞憂だったようだが。
「逃げ場がなくなったなという感じはちょっとしている」と笑う山口氏。あくまで自然体だ。母、知恵美さんがいつも側にいる、という安心感からなのかもしれない。
写真)野坂哲也氏
さて、肝心の「のさか」の靴である。靴はあまた見てきたが、「のさか」の靴は、見た目からしてインパクトがある。
とにかくソール(底)が分厚いのだ。なぜこの形になったのか。それを知るためには「のさか」の歴史をみなければならない。
現社長・山口百恵氏の祖父が前身の下駄屋を継ぐ形で「のさか靴店」を開業。祖母は当時珍しかったシューフィッター(注1)の資格を北陸で初めて取った。一人ひとりの足に合った健康に良い靴、いわゆるコンフォートシューズと呼ばれる靴を扱うようになっていった。先代の野坂氏も全国で十数人しかいない「マスター・シューフィッター」である。
「リウマチとか、足が変形したお客さまが来られた時、合う靴がなかったので、父がストレッチ素材を使い、伸びる靴を作りました。そこから色々開発を始めたのです」
40代で糖尿病を患った野坂氏はウォーキングを医者に勧められたが歩くのはもともと好きではなかった。なんとか楽しく歩ける靴を作れないか、と日夜考えぬいた末に生まれたのが「ストレッチウォーカー」だ。
靴底のつま先とかかと部分には低反発クッション材が、土踏まずの部分には硬い素材が使われている。発想は「一本歯下駄」だ。山伏ら修験者が山を上り下りするときに履いていたものだというこの下駄にヒントを得て作られた。
履いたときは、中心から少し後ろ(かかとから47%の位置)を意識して立つ構造になっているので、自然と背筋が伸びる。また、体重移動がしやすいソールなので、ひとたび歩き出すと、筋肉をバランスよく鍛えることができ、かつ、衝撃がすくないから関節にも優しい。履き心地は砂浜を素足で歩いているようで、ウォーキングを楽しく続けられる靴だと山口氏が説明してくれた。
履いてみるとなるほど不思議な感覚だ。たしかに自然と背筋が伸びる気がする。歩いてみると、体幹を意識しているのが自覚できる。
この「ストレッチウォーカー」は、2006年からオランダの整形靴メーカー「NIMCO(現XSENSIBLE)社」と共同開発が始まり、現在はポルトガル工場で製造している。
今までもコンフォートシューズを扱う靴屋ではドイツ式の足を支えるインソールを備えた靴が主流だ。しかし、「のさか」が開発した「ストレッチウォーカー」は違った。
「うちの作ったストレッチウォーカーは、自分の持っているからだ本来の力を使って健康に導くというか、支えて安定させる靴とは真逆の発想です」
実際、杖ついてこられたお客さんがストレッチウォーカーを履いて杖無しで帰っていったとか、ひどい腰痛が治ったとか、不思議な話が沢山あるという。
「ですから、最初から爆発的に受けた訳じゃなくて、県内で口コミによりじわじわ売れていきました。父が全国に販路を作りに行ったのですが、最初は全然相手にされませんでしたね」
その「ストレッチウォーカー」。今や累計100万足、「のさか」の販売の6割を占めるまでに成長した。市場が「のさか」の靴を受け入れたのだ。
父、野坂氏の悲願は自社開発だった。既存の流通システムの中では、小売店や靴工場は不利な取引条件を飲まざるをえなかったからだ。
山口氏の母、野坂副社長はこう述懐する。
「その時、自分のところで靴が作れたらいいなというのが、夫の一番の夢でした。でも、ウォーキングシューズは簡単には作れない。それを作るところを探すのが大変でした」
それが2001年、ちょうど20年前の話だ。まずは日本の靴メーカーに靴のコンセプトを持っていき、一緒に開発したのが始まりだった。そこから実際に自社工場を立ち上げ自社の靴を作れるようになったのが6年前。そこにたどり着くまで実に10数年かかったわけだ。
父親のそんな不屈のチャレンジ精神は娘の山口氏にも脈々と受け継がれている。
今、山口氏はマーケティングに注力している。「ストレッチウォーカー」の機能性をもっと多くの人に知ってもらうためだ。
「姿勢を正すことで人間ってこんなに快適になるんだというのがこの靴を作って分かったので、人の足を矯正するだけではなくて、姿勢も良くなるようにたくさんの人に広めていきたいです」
考えてみたら日本の靴の歴史はまだ150年程度。今「のさか」は日本という風土にあった靴を本格的に普及させようとしている。
だとしたら、次は靴の売り方だ。今は生鮮食料品までネット通販で買う時代だ。コロナ禍がそれに拍車をかけている。
靴もウェブ専売業者が出てきた。
しかし、「のさか」はお客さま一人ひとりの足に合った靴を提供することを目指している。そこにジレンマがあると山口氏は言う。
「コロナでオンラインショップを本格的に立ち上げましたが、ネット通販はわたしたちメーカーにとって信頼を失う行為でもあります」
そこで山口氏は、販売店から協力を得られるような通販の仕組みを作ろうと考えた。
お客さまが自分で足のサイズなどを測る事が出来る「セルフ・フットメジャー」という簡易足計測ツールを開発したのだ。パーツを無料でお客さんに送って組み立ててもらい、足の長さと幅を測れるようにした。加えて簡単なオンラインアンケートに答えてもらい、足に合った靴を提案するというものだ。
セルフ・フットメジャーに付いているQRコードを読み取り、計測後の数値と足の画像を専用の入力フォームで送信すると、靴の相談をコンシェルジェとチャットで行うことができる。入力した情報はデータベースに登録されるというきめ細かさだ。遠いところに住んでいる顧客はこれでサイズを測ってもらい、近くのお店で購入してもらうようにしているという。
ただ単にウェブで商品を売り切るのではなく、お客さまとの絆をしっかり結ぶ仕組みを作ろうという努力が伺える。
写真)「セルフ・フットメジャー」
それだけではない。コロナ禍で生まれたアイデアは他にもある。
「コロナになってから移動販売車やアプリも開発中です。私たちはピンチに強い会社。店舗に来られない方には移動販売車で行こうと思っています」
次から次へとアイデアが湧いてくるのだろうか?
「実は今やっていることは父と一緒に考えていたことで、その通りやっていけば間違いないだろうと言う安心感があります。ファミリービジネスの強みですね。コロナで収入は3割減くらいになり、1か月お店を閉めた時はすごく不安でしたが、その時、うちの強みが活かせるような仕組みを作ろうと思い立ち、オンラインショップを始めたのです」
そう言って、山口氏は母と顔を見合わせた。
今後は、海外にも目を向ける山口氏。
「まずはオランダ。アジアだったら台湾とかシンガポールでしょうか」
欧州で生まれたコンフォートシューズのコンセプトが日本でさらに開花し、逆上陸する日も近い。
山口氏はまだ30代、自身の承継について考えるのにはまだ早いかもしれない。しかし、話を聞いてみると既に将来のビジョンは明快だ。
「自分自身、小学生の頃からお店を手伝っていましたし、大学も、お店のチラシとか、靴のデザインができたらいいなと思って美大に進みました。2人の息子には時々お店を手伝ってもらったりして、働くのが楽しいなと思ってもらえるようにしたいですね」
祖母が店を切り盛りして、父が今の「のさか」の原型を作った。そして今、娘の山口氏がそれをさらに発展させようとしている。
「なんか、女、男、女、男って、かわりばんこに社長になるの、良いような気がするんですよね」
山口氏はそうつぶやいた。
そう、次は山口氏の息子の番なのだ。
お客さまの声をお聞かせください。
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