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事業承継

「温泉美人トマトを生んだ老舗旅館若女将のあくなき挑戦」
ピオニエス株式会社 代表 望月 美佐氏

  • 40-50代
  • 卸売小売業
  • 中部
  • 女性経営者
  • 後継者
  • 新規ビジネス

この記事は10分で読めます

温泉水でトマトを育てる。そんな突拍子もないアイデアを思いついた日本旅館の若女将がいるという。静岡県は焼津市にある創業75年の日本旅館・蓬来荘の4代目、望月美佐さんがその人だ。どんな方なのか、興味津々で現地に向かった。


焼津市は静岡県中部に位置し、漁港が有名だ。焼津港(小川港含む)の2020年水揚げ額は全国の主要漁港の中で5年連続トップを誇る。蓬来荘も海の近くにある。

ピオニエス株式会社の望月美佐氏

家業に入ったわけ

望月氏が実家の旅館に戻ったのは大学卒業後すぐだった。一人娘だったのでいずれは家業を継ぐと思っていた望月氏だが、大学3年の時に母と祖母の2人が同時期に入院してしまった。急遽大学を休学し、父親の手伝いのために家に戻った。その後、母が手術をし、祖母が急逝するという事態に見舞われたことで、望月氏は大学を卒業後すぐに家業に戻ることになった。1998年のことだ。

 

ご多分に漏れず、父との関係で悩むことになる。

 

「何が大変かって、父との関係が大変でした。社長であり経営者である父と従業員の私が仕事の話をしていくと、いつの間にか父と娘の話に移り変わってしまって衝突することが多かったです」

 

「事業を良くしたい」。お互い思いが強い分、衝突も激しくなった。

 

「家族で遠慮がないので、言い方もきつくなり、だんだんエスカレートしてしまって違うところに飛び火したり・・・でも、年を重ねるごとにだんだん父が折れることが多くなったような気がします」

 

最初は布団の上げ下ろし、そして皿洗いに配膳、と一従業員としてなんでもやった。数年たって若女将を名乗るようになったころ、インターネットの黎明期にさしかかっていた。そこで望月氏はさっそくホームページの作成に取り掛かり、ネット予約も始めると、20代、30代といった若い世代のお客様が少しずつ増えていった。

 

望月氏はさらに独自色を出したいと意気込んだ。目をつけたのが「お酒」だ。

 

「日本酒学講師や日本酒利き酒師とか焼酎アドバイザーの資格を取って、日本酒と料理のマリアージュを楽しめるようにしました。日本酒好きの方が結構来てくださるようになって、リピーターも増えました」

蔵元見学ツアーや、日本酒の会を開催したりした。地元の人と県外のお客さまの交流の場になった。また季節の料理に合わせた日本酒をプレゼンテーションしたりもした。若女将のアイデアと持ち前の行動力を発揮しているのを父親は頼もしく見ていたことだろう。

 

しかし、望月氏の真骨頂はこれからだった。

「温泉美人トマト」誕生

望月氏は現在、ピオニエス株式会社という別会社でトマト栽培をしている。一体、なぜトマト栽培なのか?


話を聞くと、農業をやろうと考えたきっかけはあの3.11。東日本大震災だったという。


相次ぐキャンセルの嵐。目の前が真っ暗になった。


「サービス業だけで今後事業として成り立つのか」。不安にかられた望月氏。「何か地域資源を生かすことで突破口が開けるのではないか」。ひたすらネット検索をし続けた。


そしてたどり着いたのが、「海水の農業利用」だった。とある専門書にその記述があるのを見つけたのだ。


「海水が使えるなら、ひょっとしたら塩分が含まれているうちの温泉も農業に使えるかも知れない」


海水と聞くと「塩害」を思い浮かべてしまう。塩分は植物にはよくないと普通だったら思うのではないだろうか。しかし、そこで思考停止にならないのが望月氏だ。「エビデンスを取ろう」。農協に、そして県の農業試験場へと、あちこち聞いて回った。


「温泉を使って野菜を作りたいんです。海水を使ってみかんが甘くなったとかナスが美味しくなったという文献があるんです、そう話しても、前例がない、と誰も取り合ってくれませんでした」


まさに門前払い。

望月美佐氏

だが望月氏は諦めるどころか、前例がないなら作ってしまえ、とばかり逆に発奮した。するとどうだろう。一緒にやってみよう、という人が現れたではないか。それが、静岡大学農学部の糠谷明名誉教授、その人だ。


「散々あちこちで断られたからきっとダメだろうなと思ったら、『できるよ』とおっしゃってくださって。本当に暗闇に光が差したようでした」


静岡大学のフィールドセンターにある研究棟でトマトの試作が始まった。非常用の20リットルポリタンクに温泉水を詰めて車で何往復もした望月氏。2012年のことだ。試作栽培を続けること1年。すると・・・


「すっごく美味しいトマトができたんです。びっくりしてしまいました」


そう、温泉水を吸わせることで、糖度が高く、うまみが凝縮したトマトに育ったのだ。しかも身がしっかりと締まっていた。


そのトマトは、GABAやグルタミン酸、グルコースの数値が高かった。


一体なぜ?


糠谷教授によると、肥料になる以外のものを含む温泉水にトマトがストレスを感じ、それを排除しようとトマトは体内でいろんなものを作る。そのうちの1つがグルタミン酸だという。グルタミン酸はおいしさのもとなので、おいしいトマトができる。つまり、温泉水を与えることで旨みや甘味が増すことがわかったのだ。


その後、温泉水を使った栽培に適した品種を探し当てるのに時間がかかったが、望月氏はさらに動く。地元のスーパーに売り込みに行ったのだ。すると、大玉より中玉やミニの方がニーズがあるという。そこで「フルティカ」という品種を栽培することにした。この品種は温泉水の効果が出やすく、栽培しやすいという利点もあった。


温泉美人トマト」の誕生だ。

温泉美人トマト

この時望月氏はすでにこのトマトのブランディングを考えていた。農協を通すと、オリジナルの商品名を使えず、トマトとしか名乗れない事が分かった。そればかりではない。


「市場や農協に出すと価格は市場価格になってしまいます。季節により市場に集まるトマトの量が異なり、価格も乱高下するので、売上が安定しない。価格を自分達で決められないので採算性が取りにくいし、計画が立てにくいという問題がありました」


結局、農協は通さないことにし、地元の大手スーパー「田子重」に通年固定で値段を変えずに卸すことになった。


生産者に優しいスーパーだったことも幸いした。望月氏の周りにはなぜかいつも協力者が現れる。単なる幸運だとは思えない。そのひたむきさが人を引き寄せるのではないか。

ここまで読んで皆さんは随分順調にトマト栽培に成功したように感じるかもしれない。しかし、試作を始めたのが2012年、実際にトマトが店頭に並び始めたのは2016年ごろだから軽く4年はかかっているのだ。


最初は農家にトマトを委託生産してもらおうと思っていた。でもそこでも壁にぶち当たる。だれも温泉水を使ったトマト栽培などやったことがないから、リスクは負えない、と断るのだ。しかたない、自分でやるか・・・


糠谷先生に相談するとまたしても「大丈夫、大丈夫」と言う。しかし、ちっとも大丈夫ではなかった。立ちはだかったのは「ないないの壁」だ。


「私、農業やるのに農業資格というものが必要だと知らなかったんです。農業資格がない、農家でもない、農業経験もない、農業技術もない、農地もない、全部ないんですよ。何もないところを『あるある』にしていかなければいけない。ど素人にとって、ものすごく大変でした」


それでも諦めなかったのは、リスク分散で旅館業以外の事業の柱を育てるんだ、というある意味、執念にも似たものがあったのではないか。父も気が気ではなかったろう。

望月美佐氏

「父は、まあお前がそこまで言って、大学とも共同研究をしてエビデンスも取れたのであればやってみればいいだろう、と背中を押してくれました。ただ、自分でやると決めた事なら、俺は手も口も金も出さないぞ、とも言っていました。本当に最後まで父はこの言葉通り、一貫していましたね。そう言いながらも心配で母にはあいつどうなっているんだ、と私の様子を聞いていたみたいですけど(笑)」


「トマトが赤くなるのは当たり前なんですけど、最初のトマトが赤く実った時のあの嬉しさは格別でした。トマトが赤くなってる!と、大興奮して小躍りしちゃいました」


こうして店頭に並んだ「温泉美人トマト」。


「すごく嬉しかったです。何度も店に見に行っちゃいました」


その姿が目に浮かぶようだ。苦節数年。現在は年間15トンの出荷を誇る。

新たな挑戦

トマト栽培にとどまらないのが望月氏。次に取り組んだのが「コラボ商品」だ。


まずはトマトの加工品、「ジャム」。ここでもセレンディピティ(思いもよらない偶然)が起きる。地元にジャムづくりの名人がいることを新聞で知ったのだ。英国の有名なマーマレ―ドアワードで5年連続金賞を取っている「やまゆスイーツ」さんだ。

温泉美人トマトジャム

「その方は食品添加物を使わず、食べものに対する思いもすごく似通っていました。シンプルにトマトとレモンと甜菜糖を使って甘すぎず、お料理にも使えるようなものがいいと話をし、試作を重ねてやっと作っていただきました」


実際に食してみるとジャムというよりは、フルーツソースのような食感で、ヨーグルトにかけて食べると最高に合う。


そして、この夏に新たに発売を開始したのが、「テルマリズムアクア」。皮膚疾患に悩む犬の健康維持に役立つポータブル温泉ミストだ。


この商品開発にも望月氏の汗と涙が詰まっている。きっかけは、たまたま蓬来荘に泊まった獣医師の方がこの温泉、ペットにもいいと思うんだよね、と話していたことだった。


日本中の獣医学部をあいうえお順に電話をかけようと思い立ち、最初にかけたのが神奈川県にある麻布大学。大学の学術支援課の方が話をつないでくださり、教授が温泉に興味を持ってくれて、蓬来荘にまで来てくれた。ここでも人に恵まれた望月氏。静岡県の産業振興財団の補助事業で、同大学と共同研究を長い時間をかけてエビデンスを取りようやく販売にこぎつけた。蓬来荘の温泉のミネラル成分が犬の皮膚にいいらしい。


商品化に至るまでには、静岡県中の温泉の水を採取に行ったり、飲料水レベルの滅菌充填をしてくれる企業を探し回ったり、人知れぬ努力があった。しかし、一番大きかったのは蓬来荘の源泉の成分がこの商品にマッチしたことだ。

テルマリズムアクア

今後の戦略

今後はSNSによる発信を強化していきたいと話す望月氏。Twitterだけでなく、InstagramやClubhouse(音声配信SNS)なども活用していくという。またnote(投稿ウェブサイト)で望月氏自身のことを知ってもらうと同時に、商品開発のストーリーなども広めていきたいと話す。


もはや老舗旅館の若女将と話しているというよりは、ベンチャー企業の女性社長をインタビューしているような気になってくる。


「私の望みは、お客様にファンになっていただきたいということ。そのためには商品の機能的な価値と情緒的な価値、2つが必要です。それにはSNSとリアルの連動だと思っているので、コロナが落ち着いたら直接お客様とコミュニケーションを取れるような場を作っていきたいですね」


最近では、女性経営者同士でアイデアを出し合い、マルシェを出したりしているという。東京から地元に戻ってきた人たちと、焼津を豊かにしていきたい、と語る望月氏。また新たな出会いが生まれそうだ。

自身の承継について

よき理解者であった父は2019年の夏に他界した。その3ヶ月後に台風19号が静岡県を襲い、蓬来荘は床上浸水してしまった。1階にあった什器、備品、家具、家電ほぼ全て廃棄処分になった。その翌年、2020年になってようやく修繕工事に入ったら今度コロナ禍。正直、自身の承継にまで頭が回らないという。


「もしかしたら、会社に関しては第3者への譲渡もあるかもしれません。そのためにはまず会社の価値を上げていかなくてはいけないので、とにかく在り続けること、会社の価値を高めていくことが重要だと思っています」


先日は、女性社長.netが個性あふれるスパイシーな女性社長を表彰するJ300アワード第8回(2021年度)準大賞と「後継ぎウーマン賞」をダブル受賞した。その原動力は一体どこから湧き出てくるのだろう。


ひたむきに。一歩一歩着実に。決してあきらめず。


これからの日本旅館はどうあるべきか。そのヒントをもらった気がした。

温泉美人トマトと望月美佐氏



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