父が築き守ってきたプロテック 「人のために」の理念を貫きたい プロテック株式会社 代表取締役 小松 麻衣氏
- 40-50代
- 北海道・東北
- 女性経営者
- 後継者
1951年に衛生三品(脱脂綿、ガーゼ、包帯)の製造・販売を開始し、生理用品分野に進出。その後お産分野の商品や病院向け商品など医療現場の声を聞きながら、販路を広げていった大衛株式会社。2021年6月に4代目社長に就任した加藤優氏は、各部門の風通しを良くする役割を担いながら、次の事業の柱を作ろうと社員が自信をもって病院に提案できる商品の模索を続けている。
大衛の創業期に大ヒットした商品は、紙綿を脱脂綿の中にいれ吸水性を高めた生理用品だった。しかし大手メーカーが進出してきたことで、路線変更を余儀なくされた。
「実質の創業者は、2代目の祖父・加藤 勉です。お産分野の商品を病院とタイアップして開発し、新しい販路として産院を開拓していったのです」
全国の産院と良い関係を築きながら、新しい商品を開発しては売り込むために全国に支社を設立し、ついにトップシェアを達成した。
「とても厳しく、ワンマンだったという印象しかないのですが、自分が社長になってから地方の仕入先さんにごあいさつに伺ったときに『息子さんにしては若いな』と言われたことがありました。祖父が仕事を離れてからすごく時間がたっているのに、いまだに現場の方々は、祖父がまだ働いていると思っていたのです」
そこまで深い付き合いでもなかった全国の仕入先にも足を運んでいたこと、そして今でも仕入れ先の人たちに影響力があり名前が響いていることに驚いた。
「親分肌なので、内外への目配り、気配りを相当していたのだなと思いました。厳しいことを言う分、誰からも頼りにされる存在だったのではないでしょうか」
そんな祖父から、大学を卒業したら家業を手伝うものだと職業の選択肢を与えられなかったのが、3代目の父・加藤光司会長だ。
「ワンマンな祖父に逆らえなかった当時の自分と同じような目にあわせたくないと思ったのでしょう。4代目を継げと一度も言われたことがありませんし、そういう話をしたこともありませんでした」
4代目の加藤 優社長は、大学では薬学の研究をし、製薬会社に就職することを考えていた。しかし創薬の世界ではなく、日本のよさを世界に発信したいという思いから大手商社に就職した。
その気持ちが変化したのは、祖父の葬儀の時だった。祖父と一緒に苦労をして会社を盛り立ててきた高齢の元社員たちが全国から通夜の席に駆けつけた。
「そこに鹿児島から来たがんこなおじいちゃんがいて、しきりに『商社にはいくらでも代わりの人がいるが、大衛の仕事を継いでいけるのは君しかいない。早く戻って会社を継いでくれ』というのです」
「今の仕事にやりがいを感じています」といっても聞く耳を持ってくれない。最後は強引に握手までさせられてしまった。
「それが、自分の中で事業承継を考える大きなきっかけになりました」
ワンマンだとばかり思っていた祖父が、資金繰りが苦しくて、一人夜中になるとすごく悲しそうな顔をして帳簿をみていたこと。しかし昼間はそんなことはおくびにも出さずに社員に接していたこと。仕事で事故を起こし脚に障害を負った社員の面倒をよく見たことなど、今まで聞いたことのなかった話をOBのご老人たちに次々と聞かされた。
「祖父の経営者としての覚悟は、見ていてすごかったと皆が言うのです。自分からしたらしつけに厳しい、怖い祖父でしかありませんでしたが、その裏ではそういう苦労を重ねてきたんだと今更知ったことがたくさんありました」
結局4年間勤めた商社を辞めて、2014年4月大衛に入社した。
「最初は三重県にある工場に1年間住みこみ、工場全体のことを学びました。次に東京へ行き、関東で営業を1年やり、3年目は総務系の部署の責任者として購買部門を担当しました」
兼任する部署が増え続け、結局会社全体を見るようになるのにそう時間はかからなかった。
ちょうど2021年が創業70周年にあたるので、そのタイミングで事業承継をしようという話になっていた。
「本来なら、ホテルでその祝賀とともに後継ぎのお披露目をしようと父は考えていたようでしたが、コロナでかないませんでした」
パーティーこそしなかったが、6月に社長に就任した。しかし肩書が変わっただけで、加藤社長の仕事は何も変わらないという。
「もともと父は経営の細かいことには口を出さず、現場に任せるタイプでした。ですからうちは各部門のトップがとてもしっかりしています」
しかし、その弊害も否めなかったという。製造、営業、企画、購買の部門が縦割りで、お互いの状況を理解しようとする風土ではなかったのだ。
「目指す方向は一緒のはずなのに、部門が違うと全部バラバラなのは、会社にとって本当にもったいないことだなと思ったのです」
加藤氏は、それぞれの部署とじっくりと話をして、皆が同じ方向に向かうことができるようにと入社したときから動いていた。
「商社は究極の縦割り組織でしたからね。その時の苦い経験が大いに役に立ちました」
優秀なトップたちが、それぞれの立場で事業発展を考えて利益を出そうとしている。それ自体は正しいのだが、譲りあったり、調整が必要なポイントもあるという。
「短い間でもその部署で働いたことがあり、会社を俯瞰している自分が間に入れば、わかってくれることも多いのかなと思っています」
銀行との信頼関係も一から築いていった。
「過去の経緯からくる不信感もあり、最初はもう、ケンカしまくりでした。次第にうちにも悪い部分もあるとわかってきましたが、でもここは主張させてもらいますということを繰り返して、最後は腹を割って話ができる間柄にまでなることができました」
現在、営業利益、経常利益ともに5期連続で成長を続け、銀行との関係も良好だ。
左が初代、加藤 勝治。右が厳しかった祖父の加藤 勉
出生率が増えない少子化という社会現象の中、将来を見据えた新規事業も視野に入れている。
「僕らが見ている未来って、やはりお母さんを通してなんです。結局、お母さん本人や、お母さん予備軍の方々の課題解決をしなくては成り立たないと思っています。そのために使っていただける商品やサービスを考え続けています」
世の中の社会課題に目を向けたときに、取り組むべきだと考えたのがまずは「不妊治療」というテーマだった。
「治療をしたくても産院がわからない、時間がないといった女性たちを助けるしくみを考えています」
このアイデアをアトツギU34のピッチイベントで提案し、たたいてもらった。
「とにかく申し込んでしまってから、あとから骨組みを考え出す形でしたが、自分を追い込まないともう前に進まないと思いました」
もともと経営者の知り合いがそういない中で、同じ年代や立場の人とのつながりを求めて入ったのがアトツギU34だ。
「厳しい意見もたくさんいただくのですが、逆にいうと相談できる相手がその分多いのはありがたいですね」
このコロナを経て、病院側の考え方や体制が大きく変化しているのを感じている。
「病院は経営がとても大変になっています。人件費を削減する病院も出てくるでしょう。その少ない人員の中でどうやって医療を回していけるかをテーマに開発した医療用ガウン『セルフガウン』がWHOの推奨商品として便覧に掲載されるなど新しい商品も開発しています」
今までの積み重ねがあってできることがあると、今回くらい実感したことはない。
「病院の環境整備の在り方まで思いをはせて、それを啓蒙して伝えていけたら、ビジネスの伸びしろは、まだまだあると考えています」
営業の社員が自信をもって病院にもっていける商品を品質管理の徹底を図りながら、一つでも多く世の中に送りだしていきたい。
「以前に比べたら、社内の目の色も変わってきてるんじゃないかと感じています。それぞれの部門が真剣に取り組んでくれている証拠です。会社の数字にそれが結びついていますから」
父である会長が何も言わずに全権を任せてくれたありがたさと重責をますます感じている日々だ。
※アトツギU34はアトツギファーストに生まれ変わりました。
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