日本の“食”を支える大切な農業 その未来を肥料と行動力で守りたい 株式会社服部 専務取締役 服部 直美氏
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創業して22年のテレビ制作会社を早々と後輩に事業承継して、取締役となった池田由利子氏。若くして社長を退任すると、元リクルートの経営者仲間から「うらやましい」「どうやって社長候補を育てたの?」と聞かれることが多いといいます。50代で事業承継をしたかったという池田氏の考えと、それを継ぐことになった奥田祐司社長の思いを伺いました。
2016年、大阪のホテルで創業20周年のパーティーを開き、大勢の関係者を招いて祝賀会を開いた。その壇上で池田氏は、ゆくゆくは奥田社長に事業承継するとあいさつをした。
「その後事務所が手狭になり、大掛かりな引っ越しをすることになって、そのタイミングで社長も、ロゴも、ホームページも一気に変えるのが合理的だと判断し、2018年7月に社長を退任しました」
新しいオフィスは奥田社長が、クリエイティブな人材を採用できるようにとデザインやインテリアを自分で考え、作っていった。こうして新しい場所で、新しい社長が会社経営する体制が自然と固まっていった。
「奥田社長から、社長になる条件として言われたのが、私が会長にならずに退くこと。院政を引くような形に見えるのが一番嫌だと」
業界の人たちから、実質は裏で池田氏が決めていると思われながら、社長という肩書だけを都合よく負わされるのはごめんだということだ。そこで取締役として、何かあったら相談に乗ったり、手が足りない経理を手伝うことにした。
「奥田社長は、よい意味でロジカルな思考の持ち主で、勘が頼りの私とは真逆。システマチックに物事を計画して、進めてくれるのでこのコロナ禍での適切な対応などを見ていると、本当に私が社長でなくてよかったと思いました」
池田氏が奥田氏を後継者にと考えたのは、創業して10年ほどたち中堅社員が大勢育って、主導権を競うようになったことで、分社化したときだった。
「やりたい人には、独立してやってもらえばよいと考えました。でも奥田社長には、悪いけど残ってほしいと私から伝えました」
皆と独立できない悔しい気持ちもあっただろうが、奥田氏は結局本体に残り、動揺する若手をよくまとめながら、実績を残してくれたことを今でもよく覚えている。
「ディレクターは時間をかけてよいものを作りたい。経営は短い時間でいかにその効率を上げるかを考える真逆の思考です。そのなかで、奥田社長はバランスよくその両方ができる人材でした」
池田氏は、創業した翌年から事業承継のことが常に頭にあったという。
「4月に新入社員が入ってきたときに、この子が50歳になったときに私は80歳なんだと思ったら、果たして責任をもてるのかと悩みました」
採用した人にはどこへ行っても食べていけるスキルを身につけてほしい、それまで会社がきちんと継続するためには、経営者は自分で良いのか、いつか人が育ったら経営を若手に任せようとずっと思っていたという。
奥田社長は池田氏の口癖を覚えている。
「入社してびっくりしたのは、早くおばあちゃんになって隠居したいと言っていたこと」
リクルートの創業者の江副浩正氏が引退したのが51歳なので、自分も50代前半までには後継者に引き継ぎたいとずっと考えてきた。
「奥田社長には、一番仕事のできる40代で社長になってほしかった。50代で渡すと守りに入るかもしれないし、下の世代が次は自分たちかなとピリッとするためにも早いほうがいいと考えていました」
池田氏は、あまり細かな指示をしたり、教えながら仕事をするタイプではないという。
「社員はずっと放置というか、放し飼い状態でしたね。私はカリスマ社長じゃないから、みんなそれぞれ自分で考えて、問題解決をしてねという感じ」
奥田社長は、事業承継以前から、そんな社員と池田さんの間に入って調整役となってきた。
「みんなが困っていたから、自分がやらなくてはと追い込まれていきましたね。パーティーの後くらいから、これは本格的に何とかしないといけないと思うようになりました」
とても粗い形だがこれがある種の後継者教育となり、奥田氏が承継する覚悟もできていった。
だが、周囲は池田氏が50代という若さで事業承継したことを素直に受け取らなかった。
「ある事件が起きて、私は全く関係がないのですが、その責任を取って引退したとか、不治の病らしいとか、いろいろなうわさが流れました。信頼していた人もそう思っていたのにも驚きました」
これから会社を発展させるためにしたことだったが、早々と社長を交代すると、色眼鏡で見られるのだと学んだ。
「それ以降は、毎年健康診断の結果をSNSで全部公開しています。でも誰がなんと言おうが50代でよかったと思います」
会社を引き継いだ奥田社長は、どう思っていたのだろうか。
「祝賀会であいさつはしたものの、なかなか覚悟も決まらなかったのですが、引くに引けない状況になりました。引き継ぎも一切なかったし、まあ昔から池田氏からの指示は何もなく、投げっぱなしなので、みんなが困らないようになんとかせねばと思いました」
何か問題が起きた時に相談できる経営者仲間が奥田社長にいるわけではない。今はメンバーと一緒に考えながら、しくみで解決することを進めている。
「私が社長になったことで、メンバーが私以上にしっかりしてくれたと思います。これからはみんなで一緒に懸命にしくみを作っていくんだというイメージが浸透してきたかなと思います」
最後に池田氏が、これから事業承継する人へ伝えたいことがあるという。
「ついつい、今日やらなくていいや、明日でもいいとずるずると先延ばしにしてしまいがち。でも誕生日までとか期日を決めてやるのがいい。まずはそれがいつなのか、決めることからですね」
経営から外れて気持ちが楽になり、時間もできたので、今までの人生でやり残したことを、一個ずつやっていくつもりだという池田氏。今後は女性リーダーの育成や、事業継承相談にも乗れたらと思っている。
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