父が築き守ってきたプロテック 「人のために」の理念を貫きたい プロテック株式会社 代表取締役 小松 麻衣氏
- 40-50代
- 北海道・東北
- 女性経営者
- 後継者
東京都江戸川区にある、麦茶ときな粉の製造・販売を手掛ける小川産業株式会社。会社に近づくと、香ばしい匂いがあたり一面に立ちこめている。土地勘のない私達でも、離れた場所から同社の位置がうかがえるほどだ。
創業明治41年、現在の代表小川良雄氏は3代目にあたる。112年間、変わらぬ地で、変わらぬ味を守り続けてきた。
創業当時の江戸川は、千葉に近く、材木など様々な荷物を運ぶ船の停留所があったため、いまでいうカフェ(当時のお茶屋)や洋食屋が多く立ち並んでいた。
創業者である祖父は地の利を活かし、せんべいを作って売る生業を始めた。その後、焙煎できな粉や麦茶を作るようになったという。夕涼みに男性たちが麦湯を飲みながら釣りを楽しんだりしていたという話を聞き、当時の風情が目に浮かぶ。
実は麦茶の歴史は古い。平安時代の頃から「麦こがし」といって、麦を炒って粉にし、お湯に溶かして飲んでいたらしい。
小川産業は麦茶以外にきな粉も製造している。原材料は、佐賀県の高タンパクな大豆を使っているが、その佐賀県にある吉野ケ里遺跡からは、豆を焼いて粉にし、何かに使ってた形跡が残っている。いにしえの時代から日本人が愛してきた食品だと知り、がぜん興味が湧いてきた。
小川産業の主力商品『つぶまる®』は、昔ながらの石釜を使用し、麦の粒を砕かずに煎りあげた煮出し用の麦茶だ。窯の周りを所狭しと歩き回り、手間を惜しまぬ小川氏の姿を見ていると、麦に対する愛情がわかる。材料の六条大麦は茨城県産と栃木県産のブレンド。このこだわりこそ、上品な味と香りの源だ。
引き続き話を聞いてみると、小川氏はとんでもないアイデアマンなんだと気づく。なにしろ、新しい商品のアイデアがポンポン出てくるのだ。
まずは、11月発売の「マイボトルつぶこライト」。水でもお湯でも出すことができるティーバッグ状の麦茶で、味はあくまで軽くそして甘い。色も濃すぎない。昨今の脱プラスチックの動きを受け、「マイボトル」を持ち歩く人が増えているのを見てすぐに開発した。さらに、ティーバックの素材もポリエステルではなく不織布に変えた。
また、麦茶がノンカフェインであることをいかし、コーヒーに味わいを近づけた、ドリップタイプの深煎り麦茶も開発した。
一方のきな粉。もともと高たんぱくで素晴らしい食品だが最近の食卓ではあまりなじみがない。粉状で使いづらく、冷蔵庫に一度しまったらそのままになることが多い。なんとか、きな粉を食べてもらえないか。そう考えた小川氏が開発したのが、「テーブルきなこ」。ボトルガムと同じ容器を使い、テーブルに置きやすくした。ふりかけ感覚で使えて、きな粉トースト、きな粉ご飯、きな粉ヨーグルトなど、普段の食事に気軽に取り入れてもらう狙いだ。
「原材料のこだわりはもちろんだが、やはり肝心なのは商品力だね」
そう話す小川氏は実に楽しそうだ。
新型コロナ感染症拡大の影響はあったかという問いに対して、「むしろ追い風」と躊躇なく答える小川氏。
「コロナ禍の影響で、運動する人や、食べるものに気をつける人、外食を控えて自炊する人が増えてきた」
高タンパクなもち麦きな粉は、筋トレをしている人にぴったり。今後の需要増に期待をかける。
「3、4月は少し元気なかったけど、5、6月の売り上げはそれぞれ9%、3%上がった」
健康志向のトレンドを逃さず掴む。
小川氏は、政府開発援助(ODA)の依頼で、スーダンにきな粉工場を作り、現地の人々に栄養と共に仕事を提供する取り組みを行った。
そもそも、海外に目を向けたきっかけは、日本小売業協会に呼ばれ、ニューヨークに行った時のことだという。
「うらぶれた感じはなく、みんな楽しげにやっている姿を見て、アメリカという国は、さまざまな人種が上手く活躍する国だな、という印象を抱いた。一方で、スーダンみたいな貧しい国の人も元気だった。なんでなんだろう?」
そんなことを考えるようになったという。マーケットを感じたのは、その後のことだ。
麦茶は、体を冷まして気持ちを穏やかにする効果がある、とされている。
「世界中の人が飲むようになれば、戦争なんて無くなるんじゃないかと感じた」
アメリカのサンディエゴに3、4年前から、台湾には今年の1月から「つぶまる」とドリップの麦茶を輸出している。
実は麦茶を飲む文化は、日本と韓国くらいで、中国と台湾にはなかった。沖縄の商談会で台湾人の業者と出会い、機会を手にした。
モンゴルにも機会があった。別の展示会に出たときに知り合ったモンゴル人とビジネスの機会があったのだ。
モンゴルの人々は、植物を食べる文化があまりない。動物性タンパク質はとるが、植物性タンパク質をとる機会がほとんどないのだ。そのためなのか、平均寿命が65歳ほどと日本に比べるとかなり短い。貢献出来るのでは、と思い立った。現在商談はコロナ禍で止まっているが、来年以降進めたいと話した。
きな粉の海外展開についてさらに夢は広がる。
「アメリカ人は大豆は家畜の飼料用で、人間が食べる文化がない。でも肥満問題で、大豆でできた人工肉バーガーが流行ってるのは追い風だ。パンにかけるなど、取り入れやすい方法でアメリカに普及させていきたいね」
今年で112年、3代続く歴史ある小川産業では、事業継承はどのように考えているのだろうか。小川氏は、「親族内承継にこだわりはない」と言う。とりあえず、120年目を目指してやろうと思っていた。
しかし3年前、息子から、「3年後に会社を辞めて家に入る」という話をされた。今年の11月、息子が入社する予定だ。
「今30代の息子が小川産業に入るなら、150年目を視野にいれなくちゃならない。真剣勝負になってくると思い、構えている。変な構えではなく、改善や工夫が必要になってくるよ」
「大手業務用厨房機器メーカーで学んだ色々なノウハウや売り方を身につけて帰ってくる息子を楽しみにしたい」
そう話す小川氏。息子が来て苦しくなったら、共倒れだ、と今から準備に余念がない。
「息子には、釜のことなど、基礎から全て教えて、それから表に出てもらう」
今から約25年前、日本はバブル景気に湧いていた。
「金借りろ、建物建てろのイケイケドンドンだった」
バブル崩壊の煽りを受け、一度はつぶれる寸前まで来たというが、踏ん張った。気になる商品を出し続けていれば、買ってくれる人もいる。
「小川さんの麦茶待ってますよ」という嬉しい声が聞ける。それがあるから今がある。
「昔からのお得意様との関係を続けてもらうために、息子は外に出していく」
釜の修理をしてくれる人も高齢化している。メンテナンスを繰り返し、手探りでやっている。
「釜がダメになれば新たな方法を、やりながら考えるしかない」
四代目に事業を継ぐ。小川氏の元気の源になっていることだけは間違いない。
苦しい時代も経験し、長く経営を続けている小川氏から、若い世代の経営者に伝えたいこととは、何なのだろうか。
「そんな大それたことは言えないよ」と笑いながら、答えてくれた。
「自分が思う光に到達するよう頑張ることが大事。埋没したくはないからね。お客さんに『これこれ、これなのよ!』と言ってもらえることが喜びであり、最も大事なことだね」
「心が歪んでいると作るものも歪む。心が素直だといいものができる。値段が高くてもいいものを。それが一番大事。ハートで作るんだ」
そこまで話して小川氏は自分の胸を軽く叩いた。
「自然な状態で素直な状態で作る。シンプル・イズ・ベスト。シンプルライフ・イズ・マイウェイです」
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