エヌエヌ生命が編む 伝統と革新のコラボレーション
2025年9月9日 丹後テキスタイルツアーから
MONO MAKERS PROGRAM 大阪・関西万博へ
オランダにルーツを持つエヌエヌ生命保険株式会社(以下、エヌエヌ生命)が2023年からMONO JAPANとともに実施している日蘭協業支援プログラム「MONO MAKERS PROGRAM」(以下、MMP)は、日本のものづくりの担い手と、オランダのクリエーターがオンラインプラットフォームで出会い、協業を通して欧州展開を目指すプログラム。2025年、その挑戦から生まれたkiten.KYOTO代表の加藤剛史氏とオランダ人デザイナーのローラ・ルフトマン氏のチームが、大阪・関西万博EUパビリオンのプロジェクト「Artisanal Intelligence - 職人の知恵」に参画することになった。
ルフトマン氏は、京都に滞在し加藤氏の導きのもと京都の伝統産業と出逢いながら滞在製作を進めた。
「常に舗装されていない道を選び、世界にポジティブな影響を与えていきたい」と願うルフトマン氏。そんな彼女に加藤氏は京丹後のテキスタイルツアーを提案した。
九月初旬。今回はその旅で出会った、KUSKA(kuska fabric)、PARANOMAD、 DESIGN橡(とち)、創作工房糸あそび――。伝統と革新を両手に世界を跳ねる、四つのテキスタイル工房をレポートする。
丹後テキスタイルツアー ナビゲータは原田美帆氏
加藤氏の依頼で今回のツアーをコーディネートしたのは、「PARANOMAD」代表の原田美帆氏だ。織物職人・テキスタイルアーティストでもある原田氏は、この夏アメリカ・ニューヨークの展示会で2回目の出展を果たした。そんな氏の視点を活かしたツアーは、日本の伝統文化を海の向こうに届け、新たな共創を生むヒントに満ちていた。
職人が生み出すグローバルな展開
「KUSKA(kuska fabric)」
原田氏の案内で訪れたのは与謝野町にある「クスカ株式会社」。
「KUSKA」は2010年から職人によるオールハンドメイドのネクタイにこだわると同時に、大胆な海外展開を行っている。イタリア・フィレンツェの見本市出店から始まり、現在はロンドンの老舗テーラー「HUNTSMAN」にもKUSKAのネクタイが並ぶ。小学校の体育館とほぼ同じ広さの工房に、20台の織機と織り上がった生地をプロダクトに加工する作業場が詰まっていた。ガシャンガシャンと明るく力強い音が工房を満たす。京都の伝統産業、西陣織の力織機を引き継ぎ、手を加え現在も使い続けているのだ。
この工房を率いるのが、趣味のサーフィンをきっかけに地元に戻った楠泰彦氏だ。1936年に丹後ちりめん製造業として始まった家業を3代目として引き継いだ。楠氏は既存の流通のあり方を捉え直し、OEM中心だった生産体制から自社ブランドを直接届けるB to Cへ転換。それだけではなく、東京で勤めた建設会社での経験を活かし手織り機を自ら改造。さらに営業を学びながら海外展開も成すという、まさしくパワフルなマルチプレイヤーだ。
同じく家業3代目の加藤氏は、未来への期待に胸を高鳴らせる。「どのように海外展開の道を開き、その好機をつかんだのか」。その問いに楠氏は「人との縁と自然の流れに沿った」と答える。
楠氏は働いている職人達がより楽しく取り組めるよう、伝統的な技術をアートに展開させる試みも行っている。ケニアのデザイナーやAIが作成したデザインを紋様(パターン)に取り込み、職人の手作業で織り上げるのだ。最新テクノロジーとアナログの融合だ。
――伝統とアートの境界を自在に行き来する未来へ。
廃業寸前だった家業の実情を、縛りのない視点から見直し学び直した。楠氏の取り組みは新たなハイブリッドへと着地しようとしている。
異素材の饗宴
「DESIGN 橡(とち)」
「次もすごいです。覚悟しておいてください」原田氏に促されながら暗い工場へと入っていく。KUSKAで聞いた音とはまた違う、重たい音が響いている。その燻んだ空間にニコニコと笑う男性が立っていた。世界中を遊び場にするような、子ども心が瞳の中に隠れている。「DESIGN橡」の豊島美喜也氏だ。
大阪で建築設計の仕事をしている時、床に雑多に置かれた金網に見惚れた。きれいだと感じた。織れるのではないかと織り始めた。最初はうまくいかなかったが、いつの間にか織れるようになっていた。まるで素材と織機と自分が友達になるかのように、豊島氏は話してくれた。DESIGN橡の金属線織物は、「ロレックス ブティック レキシア銀座店」をはじめハイブランドのファサードや、フロアの装飾に使われている。豊島氏は、自身の建築の知識と遊び心と実体験を組み合わせ、デザイナーの意図をさらに輝かせている。
工房は外から見ると二階建てのよくある木造の家。しかし中はさまざまな織機か並ぶ。工業用ミシンやトルソーもある。さらにその奥に木工の工場まであった。今は六本木 東京シティビュー&森アーツセンターギャラリーで開催する、「CHANEL(シャネル)」の特別展示のため、織機を製作しているそうだ。
KUSKAの工房へ向かう道も、後に紹介する原田氏のPARANOMADスタジオへ向かう道も、穏やかな田舎の風景が広がっていた。広い空と田んぼに揺れる金色の稲穂。扉を開けた瞬間、景色は一変する。そこには職人たちの創造の世界が広がっていた。京丹後、そしてDESIGN橡は、独自の感性と技術が融合する特別な場所だった。
織りと技の無限の宇宙
「創作工房糸あそび」
最後の訪問先は、「創作工房糸あそび」。代表の山本徹氏が出迎えてくれた。
1350年、丹後ちりめんの製造業を創業。その3代目の山本氏は東京と名古屋でアパレル会社に勤務してのち、家業を継承する。高速の機械織を用いて大量生産と低価格の仕事を受けていた自社を、小ロット、高品質、多品種に事業展開した。ユニークなのは働き方への眼差しだ。「がむしゃらに仕事を受けるのを辞めた。忙しい時は忙しく、暇な時は暇を楽しむ」苦しい時もあったが、先を見据えて耐えた。同時に人の出会いを信じて待った。その姿勢に叶うように時代が流れていく。今は仕事がとても忙しいそうだ。
18年ほど前からフランスやイタリアの展示会へ出展するようになった。展示会は出会いの場だ。シルクで作られたリボン織りを展示会に持ち込むと、あるバイヤーが「素晴らしい技術だ」と声をかけてくれた。その数年後、コロナ禍が始まる。リボン糸を製造していた二つの会社が倒産。山本氏は失われる技術を守るため、その機械を引き取り、自社で糸づくりから染色まで一貫して行う体制を築いた。結果、糸も織も染めも、全て自社で行う世界でオンリーワンのリボン織りになった。
アパレル会社での経験が糸あそびの取り組みをより豊かにしている。国内外のさまざまなデザイナーとくみ、シルク・綿・ウール・麻・和紙、6重織のジャガード・アイリッシュリネン――三日ごとに新しい生地を織ることもある。あらゆる要望を叶える職人の技術と山本氏の先見性の合わせ技で、価格に振り回されない信頼と価値を確立した。今や丹後の小さな工房に、多種多様で上質な生地を求めるデザイナーやバイヤーが訪ねてくる。
海外展開において、日本の価値とはなんだろうか。山本氏は純国産のシルクを例えに出し語ってくれた。
もともと日本の技術や職人技は、欧州でとても高く評価されている。そして日本古来在来種の蚕「小石丸」の絹糸は生産量が1%にも満たない。原資にこだわり希少な国産蚕を用いることは、養蚕業を守ることになる。昔ながらの国内産業を守りながら、ゆっくりと紡ぐ。その時間と継承を顧客は身につける。そんなストーリー性を海外のバイヤーは重視し、価値を見出しているのではないかと。
挑みつづける手と心
「PARANOMAD」
締めくくりに、この旅を案内した原田氏の「PARANOMAD」を紹介する。
原田氏は芸大で彫刻を学び、ハウスメーカーに就職したのち2015年に与謝野町に移住。PARANOMADをスタートさせた。原田氏は彫刻家・名和晃平氏のスタジオ「SANDWICH」出身で、バックオフィスから作品製作まで多岐にわたる業務経験を活かし、ショップも兼ねる自身のスタジオを自ら改築した。日の光がたっぷり入るスタジオは丹後でありながら、ヨーロッパのアトリエを思わせる空気が漂う。木製の織機の周りに、雑多に積まれた荷物ですら原田氏の世界観を構成している。
この夏、原田氏はニューヨークで開催されたギフト商材の展示会「SHOPPE OBJECT2025」に出展。世界への道を歩み始めている。
原田氏が今回紹介してくれた美しい工房と、独自の感性を持つ職人たちは、原田氏にとってもかけがえのない存在だ。互いに励まし合い、助け合ってきた。原田氏は今回の土地と人をつなぐ旅のデザインに加え、ルフトマン氏への英語通訳も担当した。
「欧州にはない文化を知ることができた」とルフトマン氏は語り、加藤氏もまた「この場を知る機会を与えてくれた原田氏に深く感謝している」と話す。
伝統と革新を手に2人の協業は続く
驚きと発見に満ちた旅を終えて、2人はどんな思いを抱いたのだろうか。
ルフトマン氏
「日本を訪れるたびに、高齢者が経済や工芸、若手の成長、日常生活を支えていることに驚かされます。日本には今も多くの工芸が生きています。今回の旅を通して、道具そのものが一つの工芸だと気づかされました。例えば、ちりめんを作るとき高品質な木製の歯車が欠かせませんが、今では入手が困難です。道具づくりが危機にさらされると工芸自体も危うくなる。部品は日々高齢化する職人たちが交換・維持しています。これらの技術や思想は日本やアジア特有で、欧州には存在しないものです。
日本の職人と協働することで、長期的な関係を築き、伝統工芸とビジネスモデルの保存と探究に貢献したいと改めて感じました。何より自身の心が求めるものを信じること。これは日本の職人たちと共有できる感覚だと思います。
それから、海の景色の美しさにも心打たれました。私は海が大好き。加藤さんとの嬉しい共通点です」
加藤氏
「実は母の実家が丹後の久美浜というところなのです。昔は道もなく陸の孤島という印象がありました。今回、あまりにも世界とつながっていることを知り衝撃を受けました。こんな景色があったのかと。改造された織機や希少なリボン織機への探究心と執念にも心を打たれました。
私は技術を持っていません。デジタルのスキルもありません。ただ私は人との出会いやつながりを大切にしたいと願っています。自分や家業が何者なのかを言葉で表現することが全てを動かす起点で、人との出会いとつながりが前進する力になる。今回出会えた先駆者の皆さんの姿に少しの焦りとワクワクを感じながら、このつながりを未来に広げたいと感じました。
丹後の海に夕陽が沈む光景も忘れられません。もっとこの土地とつながりを持ちたいなと感じました」
NN