父が築き守ってきたプロテック 「人のために」の理念を貫きたい プロテック株式会社 代表取締役 小松 麻衣氏
- 40-50代
- 北海道・東北
- 女性経営者
- 後継者
1990年に大阪天王寺で創業した豊開発は、土木工事の施工管理を主業務としている。創業者である清水義巳会長が築いた信頼を吉田順典社長が引継ぎ、安全管理と品質管理を徹底して実践してきた。その工事の仕上がりと経験の積み重ねによる知見が発注先から大きな信頼を得ている。次期社長と目される清水勇輝氏は、現場を支えるバックオフィスの整備や採用強化、そして新しい事業の柱を打ち立てて、10年先を見据えたいと奔走中だ。
豊開発には、他社にはない強みがある。それは清水会長が独立した時から守り続けている「事故は絶対に起こさない」ことと「仕上がりの質にこだわる」ことが紡いできた元請け企業からの信頼だと清水勇輝氏は言う。
「土木の重仮設工事を任せられたら、計画計算から材料の手配、施工業者の組み合わせの提案と施工管理まですべてを担います」
なかでも今までに手掛けた施工実績から得た、現場に最適な工法などの知見が財産だ。データだけでは導けない工事進行の解決方法をあらかじめ取ることができる。
「例えば、線路のそばの工事現場では何に気を付け、どういう準備をしたらいいのかなどの経験が豊富な人材がいます。以前手掛けた現場の土質の特徴などから、施工の提案ができるのは、経験豊富なベテラン社員のおかげです」
建物が建つ土地整備のための杭工事や地盤が崩れないための重仮設工事(山留工事)は、建物の基礎でとても大事だが、あまり人目に触れることはない地道な仕事だ。
「仕事を受注し続けていくためにも、そのノウハウが会社の命なのですが、社員の経験による暗黙知の部分が多すぎて言語化できないのが悩みです」
「あそこの現場、以前やったよな」という会話で今は解決している問題も5年後、10年後を考えた時に、同じように施工できるか不安だという。
「土地ごとの特性に合わせた施工をやってこられたというのは誇りです。その現場の土地を見て、適した重機、材料、工法を選択し、提案するということが豊開発の強みなので、それを引き継いで自分が残していかねばと思っています」
勇輝氏は、そもそも父である清水会長から会社を継いでくれということを言われたことがなかった。
「父は、家に仕事のことは持ち込まないという主義でした」
大学卒業後はセキュリティ会社に就職し、営業を経験した後、本社の経営企画や営業企画に配属された。
「経営会議の運営や株主総会の段取り、管理会計、売上計画策定など経営に近い場所で5~6年仕事をさせてもらいました」
ここで組織の作り方やマネジメントの面白さを感じ、経営に携わってみたいという気持ちが湧きあがってきた。
「ちょうど会社が50周年を迎えるということでそのイベントを手掛けたり、社史を作ったりという大きな企画を担当しました。また清掃会社のM&Aや不動産会社の立ち上げなどを任され、得難く面白い経験もさせてもらいました」
いまだにその時の不動産会社の社長に会うと「会社を立ち上げてくれたおかげで仕事ができている」と言ってくれるのがうれしい。
「その後、父が体調を崩したことで、戻ってこないかと言われるようになりました。仕事が面白くなってきていて先延ばしにしていたのですが、2018年に父が70歳になるタイミングで豊開発に戻ることにしました」
後で聞いたのだが、会長は会社を終わらせることも考えていたという。
「母からそれを聞かされて、20人もの社員さんを抱えているのにそれはないだろうと。それに父が立ち上げて30年も継続してきたことは素晴らしいことだと思いました」
それを50年、100年続く会社にしたいと思えたので、やってきた事業は違うけれども会社に携わりたいと考えた。
入社したのはよいが、何をどうやれということは誰からも指示されない。
「吉田社長について半年ほどお得意さん回りをしたり、現場に行ったりしたあと、管理部でバックオフィスの統括をすることにしました」
今は、新しい事業の柱を作ることと、ITツールの導入やバックオフィスの戦力強化に力を入れている。
「業務効率化、情報の見える化のために、グループウェアやSFA、チャットツールなどを少しずつ導入しています。いきなりではついてこられないこともあると思いますから」
採用についてもHPを整備したりしながら積極的に行っている。
「定期的に採用を行ってきていなかったため、現在当社の社員の平均年齢が50歳を超えています。今はまだ良いのですが10年後、その先を見据え、会社を担ってくれる人を採用し教育していきたいのです」
現場に新人が入ってきても、それをフォローする体制が整っていないと続かないため、その体制整備にも取り組んでいる。
「現場の仕事を受け継いでくれる若い人と、バックオフィスから新しいことをやってくれる若い人の両方が必要だと思っています。その両輪をうまく回していくことが、これからの豊開発の継続や発展には必要です」
暗黙知を大切にしてきた風土のなかで、トップダウンで仕事が進んでいくのは今は否めない。
「これからは指示を待つだけではなく、自ら考えて動く人々がいる組織に変えていきたいのです。そして女性や外国人、障害のあるないなど一切関係なく、多様な人材が働く環境が整った会社にしていきたい。いろいろな働き方ができる会社で、フラットな組織にし、新しい事業や取り組みがどんどん出てくる会社にしたい」
そのためにはあと5年は必要だと見ている。施工管理の男性社員に育休を取得してもらったり、子どもが発熱した際に自ら在宅で働いてみるなどのトライアルをしているところだ。
今まで会社で手掛けた現場の情報をまとめたツールとして、土木マップの開発をしたいと考え、スタ★アトピッチJapanのバーチャルピッチランでプレゼンをした。
「施工管理のアプリなどもすでにありますが、もともとは自分の会社の知見をどうにかしてデジタル化して共有したいと思ったのがきっかけです」
しかし、目利き力ともいえる判断基準をどう言語化するか、型にするかというところで止まっている。
「自分一人でやっているので限界があります。これから入社するであろう人材と一緒にやっていきたいと思っています」
新規事業提案の壁打ちや新しい取り組みについて相談できる場所、アトツギU34のサイトを見つけたのは、まだこの家業後継者支援事業の正式ローンチ前だった。
「会社に入って半年くらいたったころ、いろいろ考えることがあるのに誰にも相談できずにモヤモヤしていました」
そんな時に大阪産業局のサイトを見ると、アトツギベンチャープロジェクトの特集があり、アトツギU34と出合ったのだ。
「自分がいきたいのはここだ!と感じました。その2018年当時、もう33歳だったので、ここに入れなかったら終わりだと感じて、ランディングページの問い合わせ先にメールを送りました」
中でもメンターの存在が大きいという。
「家業に入って同じような経験をされた方には相談がしやすいですね、中でも組織の作り方の目標にしているメンターさんがいて、目指すべき組織のあり方が見えた時は本当にありがたかったです」
アトツギU34以外の家業後継者支援プログラムにも積極的に参加している。
「ファミリービジネスの大企業の事業承継の株の話など、とても参考になることが多いです。基本的に前向きな人たちが集まっているので刺激を受けています」
家業をもちろん大切にしながら、外の世界も見てそこにも身を置いて家業を振り返ることを大切にしている。
「自分で経験してみて、家業にはたくさんの可能性があると思っています。中小企業が培ってきたノウハウや経験、経営資源を上手く生かし、後継者が新たな事業、取り組みを始めることと円滑な事業承継をテーマに博士課程に通っています」
ファミリービジネスの承継とイノベーションをライフワークとして博士課程で研究しながら、実務とアカデミックの両輪でファミリービジネスの継続に携わりたいと考えている。
「黒字経営で、技術やノウハウがある中小企業が後継者がいないという理由で倒産してしまうのは、すごくもったいないことです」
日本の中小企業はファミリービジネスがほとんどだ。
「事業承継には内部昇格や事業譲渡などの方法もあります、私はファミリービジネスという強みを生かすことで、中小企業の事業継続を考えていきたいと思っています」
お客さまの声をお聞かせください。
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