亡き夫が残した言葉「会社があって、お客さまがあっての私たち」
有限会社古田商会 代表取締役 古田 千賀子さん
1957年岐阜県出身。先代である旦那さまが1980年に事務用品の販売会社、古田商会を開業し、経理などを務める。2016年5月に創業者である先代が逝去すると事業を承継した。先代の「お客さま第一主義」の意思を引継ぎ、先代が作り上げた取引先やお客さまを守り続けている。
どのような経緯で会社を承継したのでしょうか。
主人が急性心不全で。本当に突然。昼間まで普通に仕事をしていたのに、夜に急に亡くなりました。
みんなも、「え!?」という感じで、子ども達もびっくりしていました。
翌朝、取引先に電話したら「奥さん、冗談言っとるの?」という感じでした。日曜日の夜に亡くなり、月曜日にお通夜を行い、火曜日にお葬式をしました。本当にすぐにしましたね。
主人が亡くなった時に会社をやめるという選択肢もありましたが、「奥さん、やらないかんやろ。やめてどうすんの。」
というお客さんが多く背中を押された感じですね。
専業主婦で主人が会社をやっている感じだと、引継ぐことはできなかったと思います。でも、私は全部わかっていましたので、続けられるなと思い継ぐことを決めました。
先代がお亡くなりになられてまず何をしましたか。
とにかくお店を開けて、お客さんの注文や電話を受けなければいけないと思いましたので、すぐ仕事をしました。
主人のスタンスとして、「店が一番、会社が一番」というのがいつもあり、子ども達にも「お前達が生活できるのは、会社があって、お客さまがあってのことだぞ」といつも言っていましたね。
もちろん主人が亡くなって、悲しみに打ちひしがれて泣くのも一つの手かとも思いましたけど、それはいけないと思い、とにかく電話だけでも取ろうと思いお店を開けました。
周りの人はびっくりしてみていたと思いますね。「奥さん、もうやってるの!」という感じで。
とにかく、会社は開けて回さないと!、と思っていました。
生命保険などはいかがでしたか。
生命保険金は、借入の内入分と退職金でもらう分、会社にプールする分と振り分けました。
内訳は税理士先生と相談しましたね。
会社を続けていくには絶対に運転資金が必要だから会社にプールする分はこのくらい、主人の経営年数から死亡退職金はこのくらいという感じです。
主人が亡くなって生命保険金がでたとしても借入が全部無くなる程は入っていませんでしたので、保険金は足りなかったですね。
承継してやっていけるなと感じたタイミングはいつでしょうか。
銀行の借入の手続きがうまく私に切り替えられた時が、軌道にのったと実感したタイミングの一つですね。
あとは、仕入先に手形で支払っていたところがあり、税理士先生から、「社長との取引だったから、奥さんには売れないので、お金を全額払え。
と言われるかもしれないので、その可能性は考えておいてください。」と言われていました。
だけど、どこも何も言わず普通に今までと同じように取引をしてくれて、すごくありがたかったし、良かったなと思いやっていけると感じました。
突然の承継を体験して行っていることはありますか?
今は自分自身の身の回りを片付けています。それは、衣服だったり、書類だったり、金融関係の書類だったり、全ての物を…です。
主人がどんどん溜めていくタイプだったので、引継いだ時の後片付けがものすごく大変だったのです。この大変なことを息子達に経験させてはいけないと思っており、私が亡くなった時にスムーズに後片付けをできるようにしておかなくては…、と思っています。
まずは会社の書類は10年保管ですので、それより前の物は処分しました。
あとは、大切な書類をわかりやすくまとめて保存しています。
どのようなやり方一番良いかはまだわかりませんが、少しずつ実行しています。
※本記事に記載の情報は2021年9月30日現在のものとなり、将来変更となる可能性があります。