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私たちの事業承継#4

美容業界からスチームパンクの世界へ。父の想いを紡ぐ

株式会社三光ダイカスト工業所 代表取締役 三宅 ゆかりさん プロフィール写真

株式会社三光ダイカスト工業所 代表取締役 三宅 ゆかりさん

1962年静岡県出身。大学卒業後、美容業界にて20年勤めた後に、2011年に父が創業した株式会社三光ダイカスト工業所に入社。2012年に父が逝去し叔父が事業を承継するも、翌年に叔父が難病を患ったため突然事業を承継した。
最高品質のダイカスト製品を世に送り続けるだけでなく、社内で作成した作品を「スチームパンク*展」へ出展し評価されるなど会社のファンを増やしている。

*産業革命の原動力となった蒸気機関が、現実の歴史における絶頂期のありようを超越して発展した技術体系や社会を前提としたSF作品。
(「スチームパンク」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』より。)

 
 

突然の事業承継にまつわるエピソードをお聞きする「私たちの事業承継」。第4回目にご登場いただくのは、金属加工業を展開する株式会社三光ダイカスト工業所にて現在も同社の代表取締役を務める、三宅 ゆかりさんです。

-どのような経緯で承継したのでしょうか?

創業者の父はとても忙しく、ほとんど家にいませんでした。

職人気質な父だったため、家にいても気軽に話しかけることができないような雰囲気でした。

そんな父が闘病生活に入り、私は父とその時はじめてきちんと話すことができました。

父は私のことをこんなに考えていてくれて、そしてこんなに話をする人なのかと、今までの父へのイメージが真逆になってしまいましたね。

私は美容業界で20数年リーダーとしてやってきましたけど、今ここで父を助けなければ、と思い2011年に会社に入りました。

ただ、その時は社長になる気はなくお手伝いという気持ちでした。

翌年、父はバレンタインデーの日に亡くなりました。昼に病院に行ったのですが、「寝かしてくれ」とのことでしたのでいったん家に帰りました。

その日の夜、病院から危篤だと連絡がはいりました。

私はすぐにまた病院へ戻り、先生に心臓だけは動かしていただいていたので、家族を呼んで一応会えたっていう形にはなりました。

会話が出来ていた昼の時にもっともっと話が出来ていれば・・・というのが心残りですね。

亡くなった後はすごいですね。夜中の12時に病院から「すぐに出てください」と言われました。

夜中ですけど葬儀屋さんに電話して、遺体を自宅に運ぶために戻って準備をしました。

その夜は悲しんでいる暇もなく一睡もできませんでした。本当にはかないものですね。

父が亡くなった後は叔父が会社を引継ぎました。

ただ、1年もたたないうちに叔父が難病を患いましたので、急遽私が会社を継ぐことになりました。

三宅 ゆかりさんの話している写真①

―なぜ承継しようと思ったのですか?

最初引継ぐつもりがなかったのですが、心が変化したのはやはり社員の顔を見た時ですね。

父が「社員は140人だが、家族や協力会社を入れると500人から600人の生活を背負っているんだ!」といつも言っていたので。

それを自分が実際に背負うことを考えると正直寝られませんでしたね。

だから夜中に震えもくるし、自信もないわけですよ。やめる選択もありましたけど、責任感なのでしょうか。

自分でも何に動かされたのかわかりませんが、ここでたたなければ・・・というのはありました。

母には猛反対されました。母は父が苦労しているのを知っていますから、そんなことをして欲しくないって言う一心で。

母は強いですからね。「やめなさい!!あなたにとても継げるものじゃない!」と必死で私をとめたのです。

私も反発するかのように会社を継ぐと言って引きませんでしたけど。

―相続などの手続きはいかがでしたか?

母が通帳と印鑑の管理をきちんとしていましたのでわからないといったことはありませんでした。

ただ、凍結している銀行をまわって書類を書く手続きに結構かかりましたね。

はじめてのことですので、必要書類をそろえているつもりなのに足りなくて、市役所や税理士のところに何度も行ったりしました。

仕事をしながらの手続きは本当に大変でした。その時に一番頼りにしたのは税理士です。

実は父が亡くなる前にどのくらいの相続があるのかを教えて欲しいと聞いたのですが、母が嫌がりました。

生前中のほうがよいと税理士も言っていたのですが、その話をしたとたんにシャットアウト。

生きているのに亡くなった時の話をしているからかなのかはわからないですけど、嫌がりましたね。

だから相続の詳細については父が亡くなってから知りました。

三宅 ゆかりさん 話している写真②

―承継してみて驚いたことはなんですか?

会社を継いだ時に売上がリーマンショックの前と比べて半分になっていましたが、借入額が変わっていませんでした。おかしいですよね。

そこで借入がなにに使われているかを徹底的に洗いました。

そうしたら、何に使ったかわからない金額がかなりあり驚きました。

弁護士と税理士と一緒に調査しましたが、本当に何に使ったのかわかりませんでした。

そのため、まずは借入と支出の見直しからはじめました。それだけではありませんが、会社を継いだ時にあった借入は完済することができました。

―承継する際に役にたったものはありましたか?

父が亡くなってから会社を引継ぐまでの間に、先代である叔父に了承を得て行かせてもらったのですが、地方銀行が主催している若手経営者の勉強会が本当に役にたちました。

MBAの簡略版のような勉強会で、30代40代の後継者が多く参加していました。

知識を得られるのはもちろんなのですが、なによりも似ている境遇の相談相手ができたことは大きかったです。

当時は社長になるつもりはない時でしたけど、そこでの学びは私にとってとても有意義でしたし、今でも何かあるとそこで出会った人たちに相談していますね。

三宅 ゆかりさん 話している写真③

―生命保険などは利用されましたか?

父は生まれたときから心臓に穴があいていたので昔は保険に入れませんでした。

その後エヌエヌ生命の保険ではありませんが、持病があっても入れる保険に加入しとても高い保険料を支払っていました。

ところが亡くなる直前に満了してしまっていたのです。

ですので、他界後は保険金も受け取れず、会社の借入もかなりありましたので、返済などにあてることができませんでしたね。

そういうこともありましたので、保険の見直しは定期的に行ったほうがよいと思っています。

―突然の承継を体験して「こうしてあるとよかった」ことはありますか?

私は社長になって本当に何をしたらよいのかわからなかったので、一日の流れを残してもらえるとよいですね。

朝何時に出社したらいいかとか、ミーティングの内容や進め方などです。

大まかでよいので、マニュアルがあったらいいと思いますね。

社長が全てを確認できないのでチェックするところの要点や、現場のことはこの人に聞きなさいとかですね。

後は商工会議所には顔を出したほうがよいよ、とかですね。地域との連携や対外的なこともわかりませんので。

 
三宅社長とエヌエヌ生命社員(インタビュアー)

三宅社長とエヌエヌ生命社員(インタビュアー)

 

―承継して「やっていけるな」と感じたタイミングはいつでしょうか。

ここ最近ですね。営業利益が伸びてきているので、少し自信がでてきましたね。

最初の3年は大変でした。社員はなかなかついてきてくれませんでしたので。

だから会社に行くのは気が重くて嫌だな、と本気で思っていました。

そう簡単に人間の心って動かないですからね。3年前に社員とチームを組んでからですね。

それに出るまでの1~2年は、社員との関係はそんなにうまくいっていませんでした。

でも、スチームパンクプロジェクトがきっかけで、社員とコミュニケーションが取れるようになりました。

社員とコミュニケーションを取れるっていうのは社員に相談できるということですからね。

前はそれすらもできなかった。今は相談相手が社員ですから、それが唯一幸せなことですね。

そうなれば何とかこの先の色々な困難を一緒に乗り越えていけるのではないかと思いますね。

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