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失敗した豊臣秀吉の「事業承継」

豊臣秀吉の朝鮮出兵に関しては、もうろくした武将の無計画な暴挙と長くいわれていました。しかし、最近の学説では、当時、世界中を植民地化し栄華を誇っていたスペインに対して、「日本は強国であり植民地化は難しい」と思わせるために、先手を打つ意図があったとされ、再評価されています。
当時、秀吉は56歳でありました。今の常識で考えると、56歳という年齢は現役バリバリの年齢であり、むしろ無計画な暴挙と語られてきたことの方が不自然に感じられるのではないでしょうか。

経営者の皆さんも、ご自身の会社の一国一城の主ともいえますので、中には秀吉とご自身を重ねて考える方もいらっしゃるのではないでしょうか。
ある決断に対して、その時は周りから間違った判断だったと非難されても、長期的に考えれば正しい判断だったという経験をお持ちの経営者の方も多いでしょう。

さて、これだけ優秀な武将だった豊臣秀吉の豊臣家でさえ、自身の没後、最終的に徳川家に滅ぼされてしまいます。それは秀吉自身の後継者問題に一つの原因があったのではないかといわれています。
当初、子宝に恵まれなかった秀吉は、甥の秀次を後継者に指名していました。しかし、ここからは諸説ありますが、秀次を後継者に指名した秀吉にはその後秀頼という息子が生まれ、実子を後継者にするべく秀次を自決に追い込んだといわれています。秀吉の死後唯一の成人男性であった秀次亡き豊臣家にはまだ物心もつかない秀頼だけが残され、以後徐々に勢力を失っていきます。そして、秀吉の死から17年後の大阪夏の陣にて豊臣家は滅亡してしまいます。

歴史に「たら・れば」はありませんが、もしも秀次が生きていれば徳川幕府が、豊臣幕府になっていたかもしれません。これだけ、有能で長期的に国の展望を考えることができ、一度は権力の基盤を築きつつあった秀吉でさえ、自身の没後には政権を存続させることができませんでした。これを現代の企業に置き換えてみると、どんなに優秀な経営者であっても、今は会社の基盤がしっかり整っていたとしても、経営者自身に万が一のことがあった場合には会社はどうなるかわからないとも考えられるのではないでしょうか。

歴史に「たら・れば」がないように、会社経営にも「たら・れば」はありません。
残された後継者や社員、会社のお客様が「たら・れば」と考えなくて済むように、いつ何時生じるかわからないこの難しい事業承継という問題を、ご自身が現役バリバリのときにあらかじめしっかりと考えておくことが大切だといえるでしょう。

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